八朔
- カテゴリ:人生
- 2025/08/01 00:54:54
こんばんは!1日(金)は台風9号の影響で関東や伊豆諸島では雨が降り、
雷を伴って激しく降る所もあるでしょう。
この台風は1日から2日にかけて伊豆諸島に接近し、
2日(土)は関東に接近する恐れがあります。
関東の海上では暴風に警戒してください。
関東や伊豆諸島では高波に警戒が必要です。
そして、土砂災害等に注意・警戒が必要です。
その他の地域は概ね晴れますが、東北南部太平洋側では雨が降るでしょう。
【川柳】夏をテーマに5・7・5で一句
A、祭り風金魚逃避必死なり
〇日本の金魚の三大産地
日本の金魚の三大産地といいますと、
以前は奈良県の大和郡山、愛知の弥冨、東京都の江戸川が、
日本の金魚三大産地として並び称されていました。
しかし、現在は東京都江戸川周辺は都市化や宅地化の影響で、
埼玉県の加須(かぞ)にある水産試験場周辺に移ってしまいまして、
最近では東京都江戸川周辺の代わりに、
熊本県長洲町を入れて、三大産地としている場合があります。
@埼玉県加須市の金魚養殖の歴史
☆1950年代~60年代:鯉から金魚への転換
1950年代の埼玉県では、
稲作と並行して鯉の養殖を行う農家が多く存在しました。
しかり、当時の鯉の売り上げは低迷し、
養殖農家にとっては大きな課題となっていました。
そこで農家は、埼玉県水産研究所さんに相談したところ、
より利益が期待出来る金魚の養殖をすすめられました。
このアドバイスがきっかけとなり、
埼玉県の幾つかの金魚養殖がスタートしました。
★1960年代後半:金魚ブームの到来と市場の成長
1960年代後半に全国的に金魚ブームが到来し、
観賞魚としての金魚の需要が急増しました。
埼玉県の養魚業者達は増大する需要に対応する為、
大宮市、上尾市、上里町等に市場を開設しまして、
金魚の取引を活性化させました。
又、東京ではこの頃、水質悪化や土地の価格上昇によって、
金魚の生産者が減少していた為、
首都圏に近い埼玉県の金魚生産がさらに重要な位置づけとなっていきました。
こうして金魚養殖業が拡大しまして、
地域の産業として、確立されるようになりました。
又、1968年には埼玉県で初めて「埼玉県観賞魚品評会」が開催され、
県内の金魚養殖技術を競い合う場が誕生しました。
この品評会は現在も続いていまして、
地域の養殖技術と金魚文化の発展に貢献しています。
☆1970年代以降:水産流通センターの設立
1975年には、加須市に水産流通センターさんが誕生しました。
このセンターは、埼玉県養殖漁業協同組合さんによって運営されまして、
県内唯一の観賞魚市場として毎週水曜日に競りが行われています。
ここでは専門業者による取引が中心ですが、
春と秋には一般の来異常者も金魚を購入出来る展示即売会が開催され、
地域の人々にも親しまれる場となっています。
このように、埼玉県の金魚生産は、
地域経済と文化に密接に根付いたものとなっていきました。
@埼玉県の金魚生産を支えるその他の要因
埼玉県が金魚生産で発展した背景には、
気候や水質、技術、立地といった複数の要因が影響しています。
・気候条件 ・水質の良さ
・伝統と技術 ・首都圏へのアクセスと需要
これらの要因が複合的に働きまして、
埼玉県は現在、日本を代表する金魚生産地の一つとして成長しました。
@九州の金魚一大産地、熊本県玉名郡長洲町(たまなぐんながすまち)
JR長洲駅は、田舎の素朴な駅舎で風情があります。
駅構内には琉金(りゅうきん)の「りゅうちゃん」、
らんちゅうの「ランちゃん」なる長洲町の夏祭りで使用されるものが、
飾られています。
長洲町は、江戸時代細川藩の頃には金魚の飼育が行われていました。
そして、明治時代初期に本格的な金魚の養殖を始めたという、
長い歴史のある町です。
★日本全国唯一の金魚専門水族館「金魚の館」 さん
定番の品種から珍しい品種まで、
様々な金魚の品種を一度の見ることが出来ます。
長洲町の町花は「金魚草」です。
全国大会出場をかけて競われる「九州金魚すくい選手権大会」も、
毎年5月にここの広場で開催されます。
広場前には金魚すくいも出されているようです。
金魚すくいというと「ワキン」がお馴染みですが、
こちらでは「琉金」が一般的です。
長洲といえば「ジャンボシシガシラ」で、
大正末期に福岡県柳川市からシシガシラを購入し、
原種との交配を繰り返し行い、昭和の初めに作り出されました。
熊本県玉名郡長洲町には、大小20件以上の養殖場があります。
【八朔】 はっさく
☆八朔は旧暦で8月1日にあたる農業の祭りで、
豊作を祈願する日とされています。
<概要>
〇八朔の意味・由来・語源
「八朔」は「八月朔日(はちがつついたち)の略です。
@朔日
「さくじつ」「ついたち」と読みまして、1日という意味です。
8月1日といいましても、旧暦の8月1日ですので、現在の暦(太陽暦)で、
日付は20~50日後にずれます。
@朔
一般的に「新月」のことをいいます。
旧暦では、新月の日を月初めとしていました。
その為、1日を「月立ち(つきたち)と呼びました。
そして「つきたち」が転じて「ついたち」となりまして、
「朔日」も「ついたち」という読み方になりました。
@2025年の「八朔」
旧暦と新暦は約1カ月程のずれがありますので、
毎年同じ日になる訳ではありません。
旧暦8月1日を新暦に当てはめると、2025年は9月22日(月)です。
又、京都では旧暦8月1日という日付を、
そのまま新暦に引き継ぎまして、8月1日(月)に行われます。
@行事
この時期は稲穂が実り始める時期ですので、
農家では八朔に新穀(しんこく・その年に採れた穀物)を、
主家や恩人等に贈る風習がありました。
又、この時期は台風被害や害虫、鳥の被害を受けることも多くなる時期です。
問題 八朔の日の頃になりますと、
次の文章の〇に入る行事が行われてきました。
〇に入る言葉を教えてください。
本格的な収穫を前に、
豊作祈願と田の〇りをお供えするという意味を込めまして、
・田の〇の節句(たの〇のせっく)
・田の〇の祝い(たの〇のいわい)
これらの行事が行われていました。
1、夢(む)
2、実(み)
3、穂(ほ)
ヒント・・・〇お互いの約束を強める大切な行事
「田の〇の節句」と新穀に主家や恩人等に贈る風習が一緒になり、
「田の〇」が「頼〇」に転じまして、
親戚や地域で付き合いのある者同士で贈り物をすることで、
お互いの約束を強める大切な行事となりました。
鎌倉時代(1185年~1333年)後期になりますと、
この風習は武家社会にも受け入れられるようになります。
江戸時代(1603年~1868年)には、
徳川家康公の江戸城入場が、
天正18年(1590年)八月朔日だったことから、
八朔は幕府の重要な日として重んじられるようになりました。
お分かりの方は数字もしくは〇に入る言葉をよろしくお願いします。
こんにちは!曇りの金曜日をお疲れ様です。
そうですか、昔、お母様が屋台で金魚を獲ってくださりましたか。
優しいお母様ですね。
なるほど~、その購入した金魚を15cmまで大きく成長させたのですか。
金魚は水質管理や餌によって、大きく変化しませんか?
ということは?育成課程が合っていたのでしょうね。
そうですね、特にこうした「お米」の問題が出ていますからね。
より、豊作であってほしいなと、強く願っています。
現在もですが、台風による影響も出ないでほしいですね。
問題の答えは、2番の実(み)ですね。
どうもおめでとうございます(祝)
まさにこれから、2025年は豊穣でなければですね。
15cmまで大きくなったのを思い出しました。
今年の田の実りは、豊作でありますように(。-人-)☆
答え 2