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七五三

ニコットおみくじ(2025-11-15の運勢)

おみくじ

こんにちは!高気圧に覆われ、広く晴れるが、

北海道と東北の日本海側では午前中に雨や雪の所も。
沖縄は晴れで、夜は曇り。
気温は全国的に平年並みか高い。

【七五三】 しちごさん

☆七五三とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事であり、
 神社や寺等で「七五三詣」を行い、報告や感謝、祈願を行う奉告祭です。

<概要>

○七五三

@起源

 「七五三」の起源は、江戸時代に遡(さかのぼ)ります。

 この時代、子供が生まれてすぐに亡くなったり、
 幼児期に、病気で亡くなったりすることが多かったのです。

 そして、5代将軍の徳川綱吉公が、
 旧暦の11月15日に自分の長男が無事に成長するようにと、
 健康祈願の為、神社にお参りをしたことが由来といわれています。

 ★江戸時代の子供が生まれてすぐ亡くなる大きな理由
   
  乳幼児死亡率の高さと感染症の流行でした。

  特に麻疹(はしか)や天然痘(てんねんとう)、
  赤痢(せきり)等の病気が幼少期の死因として多く、
  衛生環境や栄養状態の悪さも影響しました。

  □江戸時代の乳幼児死亡率

  ・生後1年に死亡する割合は、約15~25%と非常に高いです。

  ・10歳になるまでに、約4割の子供が死亡していたとされています。

  ・「7歳までは神のうち」という言葉があり、
   7歳まで生き延びること自体が大きな節目でした。

  ■幼少期に多かった病気と死因
  
  ◇麻疹

   感染力が非常に強く「命定め」と呼ばれる程、致命的です。

   江戸時代には13回も大流行して、多くの子供が命を落としました。

  ◆天然痘「疱瘡(ほうそう)」

   顔に「痘痕(あばた・とうこん)」を残すだけではなく、
   死亡率も高いです。

   乳幼児にとっては、特に危険でした。

   △痘痕

    主に皮膚に残る傷跡や凹凸を指し、
    特に天然痘によって出来た痕を意味します。

  ◆赤痢(痢病)
 
   下痢や脱水で用事が命を落とすことが多かったです。

  ◇インフルエンザや風邪

   栄養不足や医療の未発達によりまして、
   軽い病気でも致命的になりやすかったです。

  ◆おたふく風邪「流行性耳下腺炎(りゅうこうせいじかせんえん)」

   合併症で命を落とすこともありました。

  ◇脚気「かっけ(ビタミン欠乏症)」

   栄養状態が悪く、免疫力低下や心不全を引き起こします。

  ■背景要因

  ◇衛生環境の未整備

   上下水道が未発達で、感染症が広がりやすかったです。

  ◆栄養不足
 
   米中心の食生活で栄養バランスが悪く、免疫力が低下しました。

  ◇医療の未発達

   抗生物質やワクチンが無く、病気に抵抗が出来なかったです。

  江戸時代の子供の死は「呪い」や「祟(たた)り」と、
  結びつけられることもありました。

  実際には医学的・社会的要因による、高い乳幼児死亡率が背景にありました。

 ★5代将軍の徳川綱吉公が、自分の長男が無事に成長する為にお参り

  徳川綱吉公の長男である、徳川徳松(のりまつ)様の健やかな成長を願い、
  綱吉公は神社や寺へ参拝をされました。

  これが後の「七五三」の起源になったと伝えられています。

  特に天和元年(1681年)11月15日に行われた、
  「髪置の儀(かみおきのぎ)」が行われまして、
  これが後世の「七五三」の由来となったとされています。

  □儀式の内容

  ◆髪置の儀(数え年3歳)

   平安時代以来の風習で、
   幼児期に剃(そ)っていた髪を伸ばし始める節目の儀式です。

   そして、綱吉公は徳松さまの無事な成長を祈りまして、
   この儀式を盛大に執り行いました。

   この儀式が「七五三」の起源とされまして、後に庶民にも広まりました。

@七五三が庶民に広まる

 最初は江戸(現:東京)の武家社会だけで行われていましたが、
 次第に江戸の庶民もお参りをするようになり、関東から全国へ広まりました。
 
 そして、明治時代になりますと、
 現在のように、子供の年齢が3歳、5歳、7歳の時に健康と成長を願う為、
 神社やお寺へ参拝するようになりました。

@鬼宿日(きしゅくび)

 11月15日にお参りしたのかについては諸説ありますが、
 最も有力なのが「鬼宿日だったから」という説です。

 鬼宿日は中国が発祥の暦の区分け、
 「二十八宿(にじゅうはっしゅく)」の一つです。

 ☆二十八宿

  月が地球を西から東に一周する間に通過する28個の星座のことです。

  「二十八舎(にじゅうはっしゃ)」ともいいます。

  ■起源

  中国の周(しゅう・紀元前1046年頃~紀元前256年)の、
  時代ともいわれています。

  元々は月の位置を把握する為に作られました。

  月の位置が分かれば、太陽のおおよその位置も分かりまして、
  季節の移り変わりを把握することが出来る為、
  暦を作ったり、天候の変化を予測したりする為に用いられました。

  後に吉凶を知る為にも利用されるようになりました。

  二十八宿は飛鳥時代(592~710年)に、
  中国から日本に伝わり、運命や吉凶を占う為に用いられました。

  一方、中国からインドへ伝わった二十八宿はインドで吉兆を知る為に、
  「二十七宿(にじゅうしちしゅく・にじゅうななしゅく)になりました。

  ◇二十七宿

   二十八宿から派生したものなので、
   二十八宿の「牛宿(ぎゅうしゅく)」という星座が含まれていないだけで、
   他の27個の星座は同じです。

   主に「宿曜占い(すくよううらない)」という占いで使用されています。

   ▲宿曜占い

    「宿曜占術(すくようせんじゅつ)」や、
    「宿曜占星術(すくようせんせいじゅつ)」と呼ばれていまして、
    月の運行を基にしまして、月の満ち欠けによって運勢や吉凶を占います。

   その後、二十七宿は、
   唐(とう・618~907年)の時代に逆輸入されまして、
   二十七宿やインドの経典を約したものが、
   中国密教の「宿曜経(すくようきょう)」という経典になりました。

問題 上記の「宿曜経」という経典を日本に伝えた人物名を教えってください。

1、空海(くうかい)様

2、最澄(さいちょう)様

3、日蓮(にちれん)様

ヒント・・・〇日本に伝えた人物

      平安時代(794~1185年)の初頭に
      弘法大師(日本に伝えた人物)によって、
      唐から倭に伝えられました。

      宿曜経が伝わった後、日本では二十七宿が主流になりまして、
      陰陽師も運命や吉凶を占う為に密かに使用したといわれています。

      そして、江戸時代の1685年に、
      貞享暦(じょうきょうれき)へ改暦された後は、
      二十八宿が主流となって現在に至ります。

      二十八宿は二十七宿や十二直(じゅうにちょく)と一緒に、
      カレンダーの暦中(れきちゅう)に記載されることが多いです。

      @十二直

       ☆由来

        北斗七星の動きを十二支に当てはめて作られた暦法です。

       ★種類(12の日柄)

        健、徐、満、平、定、執、破、危、成、納、開、閉です。

お分かりの方は数字もしくは、
「宿曜経」を日本に伝えた人物名をよろしくお願いします。

   




 

 

 






 



   

 




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