納めの水天宮
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2025/12/05 00:40:27
こんばんは!5日(金)は、
北日本から西日本の日本海側を中心に雪や雨が降り、雷を伴う所もあるでしょう。
ただ、午後は次第に雪や雨の範囲が狭まる見込みです。
その他の地域は晴れ間の出る所が多いですが、所々で雨や雪が降りそうです。
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【納めの水天宮】 おさめのすいてんぐう
☆「納めの水天宮」とは、毎月5日の水天宮さんの縁日のうち、
一年の最後となる、12月5日の縁日を指します。
この日は古いお札を納め、一年の無事を感謝する特別な日です。
<概要>
〇納めの水天宮
毎月5日は「水天宮」さんの縁日です。
12月5日は一年で最後の縁日であることから、
「納めの水天宮」と呼ばれ、
古いお札を納めて、一年の無事を感謝する日でもあります。
@毎月5日は「水天宮」さんの縁日
安産祈願や子授けを中心に、多くの参拝者が訪れる日です。
特に1月5日は「初水天宮」で、
12月5日は「納めも水天宮」と呼ばれています。
★水天宮さんの縁日(毎月5日)
□由来
江戸時代、久留米藩有馬家の江戸上屋敷に祀られていた水天宮さんは、
庶民の参拝が制限されていました。
そこで幕府の許可を得て、
毎月5日のみ、一般参拝が許されるようになったのが始まりです。
このことから「情け有馬の水天宮」と呼ばれ、庶民に親しまれました。
◆久留米藩有馬家
室町時代に赤松氏の流れを汲む有馬氏が起源を持ち、
1620年から21万石を領した大名です。
藩祖の有馬則頼(よりより)公は、豊臣秀吉公に仕えて、
関ヶ原の戦い後に徳川家康公に接近しました。
有馬家は、久留米城を居城としまして、
城下町の整備や文化の発展に貢献しました。
藩の歴史は、草野氏や蒲池氏の治世から始まり、
豊臣時代を経て、有馬氏が統治を行いました。
△久留米藩有馬家の祖、有馬則頼公
戦国時代から安土桃山時代の武将で、
豊臣秀吉公や徳川家康公に仕えまして、
関ヶ原の戦い後に、摂津三田藩を立藩した人物です。
▼概要
・生年月日
1533年(天文2年)~1602年(慶長7年)です。
・出身
播磨国三津田城(満田城)です。
・家系
摂津有馬氏で、
父は有馬重則公で、母は細川澄元公の娘様です。
▽活躍と功績
・戦国期の動向
・三好長慶さんや別所長治さんに仕えたのち、
豊臣秀吉公に従います。
・天正8年(1580年)に、
豊臣秀吉公の中国攻めで戦功を挙げまして、
播磨淡河に3200石を与えられます。
・九州平定や朝鮮出兵にも参加しまして、
功績を重ねて、1万5000石まで加増します。
・文化人としての側面
・茶人としても知られまして、
豊臣秀吉公の御伽衆、
『おとぎしゅう「相判衆(そろばんしゅう)」』を努めました。
・『おとぎしゅう「相判衆(そろばんしゅう)」』
・御伽衆
豊臣秀吉公の御伽衆は、
豊臣秀吉公の話し相手や知識の補佐役として、
召し抱えられた人々で、彼の耳学問を支える存在でした。
・役割
将軍や大名の側近として、
雑談や経験談、書物の講釈等を行いまして、
主君の知識や教養を補う存在です。
・起源
室町時代後期に始まりまして、戦国時代に広く流行します。
武田信玄公や織田信長公も召し抱えていました。
・性質
話術や博識が求められまして、
浪人や僧侶、学識者等が多く起用されました。
江戸時代には少年が遊び相手として、
務めることもありました。
・金森長近さんや徳永寿昌さんと並び「三法師」と称されました。
・関ヶ原の戦い(1600年)
・子の有馬豊公とともに、東軍に属しまして、参戦しました。
・戦後、摂津有馬郡三田に2万石を与えられまして、
三田藩を立藩します。
▼子孫と久留米藩
・長男の則公は小牧・長久手の戦いで戦死します。
・次男の豊公は豊臣秀吉公や徳川家康公に仕えまして、
関ヶ原の戦い後に丹波福知山6万石を与えられまして、
後に筑後久留米21万石へ転封されまして、
久留米藩初代藩主となりました。
・以降、有馬家は約250年間にわたりまして、
久留米藩を治めました。
□意味
縁日とは単なる露店の日ではなく、神仏と縁を結ぶ日です。
水天宮さんでは「5」という数字に特別な意味がありまして、
毎月5日が神様と結びつく日とされています。
@総本宮
福岡県久留米市にある「水天宮」さんが総本宮です。
久留米市の水天宮さんは「全国の水天宮の総本山」さんで、
安産や水難除けの守護神として信仰されています。
★基本情報
住所 :福岡県久留米市瀬下町265-1
電話番号:0942-32-3207
アクセス:JR久留米駅から徒歩約10分
☆水天宮さんの意味や由来
■総本宮
全国に約100社ある水天宮の総本山で、
久留米市の水天宮さんが中心的存在です。
□祭神
・天御中主神 ・安徳天皇
・高倉平中宮様(建礼門院様) ・二位の尼様(平時子様)
これらの方々を祀っています。
■由来
壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡した後、
安徳天皇や平家一門の霊を慰める為に創建されたと伝えられています。
問題 「納めの水天宮」の意味についてですが、
次の文章の???に入る言葉を教えてください。
・「水天宮」さんは、元々、水の神様(水神)を祀る神社です。
・水難除け、漁業や???を祈る信仰から始まりまして、
後に安産や子育ての守護神として広く信仰されるようになりました。
・「みくまり(御子守り)」の語が「子守り」に通じることから、
子供の守護神としても信仰されています。
1、農業の安全
2、治水の安全
3、航海の安全
ヒント・・・〇〇〇安全の意味
@水の神としての役割
水天宮さんは「天御中主大神」や壇ノ浦で入水された、
安徳天皇等を祀りまして、水にまつわる神格を持ちます。
@〇〇安全=水難除け
船乗りや漁師の守護神としても、厚い信仰を集めています。
@江戸時代の背景
江戸は水運の町であり、川や海を利用した物流が盛んだった為
水運業者や旅人の安全祈願の場でもありました。
お分かりの方は数字もしくは???に入る言葉をよろしくお願いします。
























