Nicotto Town



ハードな旅(2)


さて4日目
朝8時からオプションのトロギール観光です
この街は紀元前3世紀に出来たギリシア人の移民都市として始まり。11世紀には
ハンガーリー王の支配下に入り、1420年から1797年までブェネツィア、19世紀には
ハプスブルク家に支配された。
島なのですが橋で繋がっていて、周囲は城壁で囲まれた中世そのままの旧市街は
世界遺産に登録されています。
市庁舎や時計塔、数々の教会や中でも見所は聖ロブロ大聖堂です、扉に彫られた
アダムとイブの像はクロアチアの宗教美術の傑作と言われているそうです。
確かにその細かい彫刻やギリシャ時代まで遡れる街の旧さにはやはり
目を見張るものがたくさんありました。

10時にスプリットへ(30㎞、約30分)
着後スプリット市内観光です(世界遺産)
アドリア海沿岸の中心都市でクロアチア第二の都市です、293年ディオクレティアヌス帝が神殿を建てた所の近くの都市が異民族侵入で放棄され、市民が宮殿の周囲に移住
して来たのが町の始まりで
12~14世紀には自治都市として繁栄し、その後ベネツィアの支配下に入つた。
宮殿の一部は民家やカフェになっていて、うまく旧市街と同化していました。
いろいろな支配下に入り、先の内戦をくぐったりと辛酸を舐めてきたのだろうが
今はとても平和でゆったりと時間が流れているように感じたし
そうあり続けて欲しいと思いました。

昼食後ドブロブニクへ(200㎞、約4時間)
途中ボスニアのネウムに立ち寄りましたが、これはトイレ休憩とお買い物だけでした。

19時 ホテル到着
ドブロブニク泊

5日目
8時世界遺産ドブロブニク観光です
アドリア海の真珠と呼ばれ、ベェネツィア共和国と覇権を争った海洋都市。
イギリスの作家バーナード・ショウは「地上の楽園を求める者、ドブロブニクに来たれ」
と記している街だそうです。
ピレ門、フランシスコ会修道院、プラツァ通り、スポンザ宮殿、旧港、旧総督邸
大聖堂、オノフリオ小噴水、城壁めぐり、
街の散策の後、最後城壁の上を歩きましたが、西安の城壁とは比べられませんが
景色に関しては旧い街の美しい事やアドリア海も近くに見え ま~眺めのよろしい事

昼食後オプションでモンテネグロ世界遺産のコトル観光です

2006年にセルビアモンテネグロから分離独立した新生国家になったばかりの国です
緑深い山々をベェネツィア人がモンテネグロ(黒い山)とたとえたのが由来だそうです
やはりこの国も12世紀にセルビア王国にその後内陸部をオスマン朝、沿岸部を
ベェネツィアに支配され、1799年オスマン朝から独立し1910年モンテネグロ王国となる
そのあともいろいろ合ったのだろうが資料がありません
そんな事もありどんな国や街が現れるのか、正直ドキドキしました
かなりの距離をバスやフェリーに乗り、着いたコトルはウワーと声が上がりました
いかにも硬そうな岩山の頂上に紀元前の建物が残り、そこまで上る階段の途方もない
長さ、大げさに言わせて頂けば、ヨーロッパにも万里の頂上があるじゃんみたいな
本当にこのオプションは儲けたなーと嬉しくなりました
そのコトルの街は小さいけど、とても落ち着いていてゆったりとした感じの
いい感じの街でしたし、海岸もきれいでしたよ

20時ホテル到着
ドブロブニク連泊

とりとめもない旅日記で恐縮ですが6日7日は又次回に

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2009/12/05 18:46
行きた~~~~~~~~~~~いw
とりあえず、また妄想旅行でもしようっとww



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