Nicotto Town



戦いの後

昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾、

翌8月15日、天皇の玉音放送によって日本国民に向け終戦の宣言がなされます。
日本側310万人、米国側40万人の死者が出たこの戦いは、
ようやく終戦に至りました。

日本を支配する象徴のように、皇居のとなりにあった第一生命ビルに、
GHQ本部が置かれました。連合国と言いながら、実質的に日本を統治するのは
アメリカ合衆国でしたので、最高司令官として赴任したのはアメリカ軍の
マッカーサー元帥です。

かねてより、天皇陛下は元帥との会見を希望されており、それならば、と
アメリカ大使公邸での会見がひらかれることとなりました。

シルクハットにモーニング、きちんと正装された陛下は、お車で到着され
ましたが、玄関にマッカーサー元帥の姿はありません・・。
通されたレセプションルームでは、コーンパイプを手にした元帥が
天皇陛下をいぶかしげに眺めていたそうです。
(敗戦国の「王」か・・どうせ命乞いでもするのだろう・・)

そこで天皇陛下の語られた言葉は、通訳の藤田侍従長によりますと

「敗戦に至った全責任はわたしにある。文武百官については私の命に
 したがったのみで、彼らに責任はない。私の身はどうなろうと
 構わない、あなたにお任せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう
 連合国の援助をお願いしたい。」

それを聞いたマッカーサー元帥は、パイプを机に置き、姿勢を正し
改めて天皇に向き直ったそうです・・・。

かつて、第一次大戦で敗北したドイツのヴィルヘルム皇帝は言いました。
「あれはすべてドイツ国民がやったことだ、私は乗せられただけだ。
 どうか、命は助けてくれ。」
と・・・
(「王」とは支配する側であって、自分の身を犠牲にして、
 民を助けてくれと懇願する「王」など、世界じゅう聞いたことがない!)

陛下との会見について、のちにマッカーサー元帥は回顧録で
こう記しています。

「大きな感動が私を揺さぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り
明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようという態度に
私は激しい感動を覚えた。私は、すぐ前にいる天皇が一人の人間としても
日本で最高の紳士(ジェントルマン)であると思った・・・」

15分を予定していた会見は35分に延び、終了後部屋を出た
マッカーサー元帥の態度は一変していました。
彼は予定を変え、自ら陛下を玄関まで付き添い見送り、
最高の「敬意」を表したのでした。

彼と天皇陛下との友情は、末永く続くこととなります。







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