被災地に足りなく、復興に必要なもの
- カテゴリ:日記
- 2011/09/27 06:26:19
政治: 被災地に足りなく、復興に必要なもの
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/52397684.html #政治
----------
被災地に足りなく、復興に必要なもの
★★★ここから★★★
所信表明の中に、野田内閣がなすべきこととして、被災地の復興を上げられました。
被災し、被災地で過ごすものとして、実感する被災地に足りないをお伝えしようと思います。
被災地に足りない物は、お金でも物資でもありません。
夢と希望です。
夢と希望は、明日のことを考え、夢を語り合えることで生まれます。
しかし、被災地では、自治体は目の前の復旧行政で手がいっぱいで、未来が語られていません。政府からも未来が語られません。
その結果、被災地は統制された行政がおこなわれず、ばらばらに動き、復興という目標にたいして、バラバラのベクトルの労力が向き合い、悪意なき足の引っ張り合いとなり復興に向けた労力が徒労に終わり、夢を語ることを忘れてしまっています。
そのせいなのか、自治体が負担すべき小学校の経費を小学校に向けられた寄付金で賄うように申し出たり、復興案を提出しても、鼻で笑われ愚痴をこぼしにきた暇人のようにあしらわれ、集められた署名を渡しても、さもクレーマーのように受け止められてしまう始末です。
スクールバスを請け負う業者に要望を伝えても、そんなことを言うのなら、スクールバスをやめてもいいんですよと脅されます。
原因は、被災地の人には心の余裕がないことはわかっています。その余裕がない理由が、政府が未来を語らず、国会で現実に立ち向かっていないことで、政治が実質無政府状態になっているからにすぎません。
せっかく、予算を通しても、あれこれ理由をつけられ、使われない状況では形式だけの無駄な予算になっています。被災地で、これまでかろうじて切り盛りしているのは心ない政治よりも、心あるボランティアと民間企業の底力であることをどうか知ってください。
政府は口ではなく、行動で誠意をしめされることを望みます。それは、具体的には政府の中にある裁量をフル活用することです。そして、予算が足りないときはそれを言い訳にせず、予算が足りない分、有能な官僚の知恵と能力を活用すべきチャンスであるということです。
やるべきことがあるときに、それを妨げる条件があれば、それはやらない理由にすれば、今までの政府の失敗は繰り返されることを忠告したいと思います。
被災者は困難に対して耐え忍んでいます。
が、それは好んで自主的に耐え忍んでいるわけではありません。
頼れるはずの組織に実質的に見放され、それでも頑張らねばならないから耐え忍び頑張っているのにすぎません。
そんな状況で、夢を語れるはずもありません。
夢は語らねば、失われます。
復興とは、すべての人が夢が語れる社会であるべきです。
しかし、今、被災地では夢を語っても、鼻で笑われます。
こんな状況では、どんなにお金をかけても復興できるはずもありません。
正直なところ、前内閣で政治については、的外れな政策に絶望しています。野田内閣がそうでないことを祈っております。
★★★ここまで★★★
夢を持つには、夢を語ることから始まります。
現代日本においては、大きな夢を語ると、大抵、鼻で笑われます。
だから、現代日本では、多くの人が夢を持つことができません。
ただし、鼻で笑われることは恥ずかしいことではありません。
なぜなら、他者に笑われるということは、それは独創的であることだからです。
他者が、鼻で笑うのはその夢が理解できず、信じられないからです。
理解できず、信じられないのは、独創的であるからこそです。
独創的な夢は、あきらめることなく努力し続けることで達成できますが、鼻で笑われることで、夢の実現に努力することをやめてしまいます。
そんな現代日本で、足りないことは夢をみることが不足しているのは当然といえるでしょう。
とはいいつつも、夢を語ることなく、こっそりと夢を見ることはできます。
が、しかし、東日本大震災は、そのこっそり夢を見る余裕すらなくなってしまっています。
だからこそ、被災者が夢を語ることができるようになれば、目の前の障害や苦難があり、大変であろうとも、夢に向かって進めます。
★★★ここから★★★
所信表明の中に、野田内閣がなすべきこととして、被災地の復興を上げられました。
被災し、被災地で過ごすものとして、実感する被災地に足りないをお伝えしようと思います。
被災地に足りない物は、お金でも物資でもありません。
夢と希望です。
夢と希望は、明日のことを考え、夢を語り合えることで生まれます。
しかし、被災地では、自治体は目の前の復旧行政で手がいっぱいで、未来が語られていません。政府からも未来が語られません。
その結果、被災地は統制された行政がおこなわれず、ばらばらに動き、復興という目標にたいして、バラバラのベクトルの労力が向き合い、悪意なき足の引っ張り合いとなり復興に向けた労力が徒労に終わり、夢を語ることを忘れてしまっています。
そのせいなのか、自治体が負担すべき小学校の経費を小学校に向けられた寄付金で賄うように申し出たり、復興案を提出しても、鼻で笑われ愚痴をこぼしにきた暇人のようにあしらわれ、集められた署名を渡しても、さもクレーマーのように受け止められてしまう始末です。
スクールバスを請け負う業者に要望を伝えても、そんなことを言うのなら、スクールバスをやめてもいいんですよと脅されます。
原因は、被災地の人には心の余裕がないことはわかっています。その余裕がない理由が、政府が未来を語らず、国会で現実に立ち向かっていないことで、政治が実質無政府状態になっているからにすぎません。
せっかく、予算を通しても、あれこれ理由をつけられ、使われない状況では形式だけの無駄な予算になっています。被災地で、これまでかろうじて切り盛りしているのは心ない政治よりも、心あるボランティアと民間企業の底力であることをどうか知ってください。
政府は口ではなく、行動で誠意をしめされることを望みます。それは、具体的には政府の中にある裁量をフル活用することです。そして、予算が足りないときはそれを言い訳にせず、予算が足りない分、有能な官僚の知恵と能力を活用すべきチャンスであるということです。
やるべきことがあるときに、それを妨げる条件があれば、それはやらない理由にすれば、今までの政府の失敗は繰り返されることを忠告したいと思います。
被災者は困難に対して耐え忍んでいます。
が、それは好んで自主的に耐え忍んでいるわけではありません。
頼れるはずの組織に実質的に見放され、それでも頑張らねばならないから耐え忍び頑張っているのにすぎません。
そんな状況で、夢を語れるはずもありません。
夢は語らねば、失われます。
復興とは、すべての人が夢が語れる社会であるべきです。
しかし、今、被災地では夢を語っても、鼻で笑われます。
こんな状況では、どんなにお金をかけても復興できるはずもありません。
正直なところ、前内閣で政治については、的外れな政策に絶望しています。野田内閣がそうでないことを祈っております。
★★★ここまで★★★
夢を持つには、夢を語ることから始まります。
現代日本においては、大きな夢を語ると、大抵、鼻で笑われます。
だから、現代日本では、多くの人が夢を持つことができません。
ただし、鼻で笑われることは恥ずかしいことではありません。
なぜなら、他者に笑われるということは、それは独創的であることだからです。
他者が、鼻で笑うのはその夢が理解できず、信じられないからです。
理解できず、信じられないのは、独創的であるからこそです。
独創的な夢は、あきらめることなく努力し続けることで達成できますが、鼻で笑われることで、夢の実現に努力することをやめてしまいます。
そんな現代日本で、足りないことは夢をみることが不足しているのは当然といえるでしょう。
とはいいつつも、夢を語ることなく、こっそりと夢を見ることはできます。
が、しかし、東日本大震災は、そのこっそり夢を見る余裕すらなくなってしまっています。
だからこそ、被災者が夢を語ることができるようになれば、目の前の障害や苦難があり、大変であろうとも、夢に向かって進めます。