Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


真夜中にぼんやり考えていたことについてのメモ


思ったことを忘れないように
ちょっとメモ。

宗教、あるいは哲学にとって躓きの石は、
経営と秩序。

この世界の存在構造を問い、
世界内存在である自らの生の意味を問うて生きていくことを
「求道」と呼ぶならば、
宗教者や哲学者の営みは、
正に「求道」を極めんとすること。

だが、「求道」も一つの生活である以上、
そこには「求道」生活を如何にして維持するかという生計の問題と
他の「求道」生活との競争・共存・棲み分けといった秩序の問題がつきまとう。

「求道」という生き方をどのように持続するか
この問いと真剣に向き合う時、
「求道」は、
単に世界と我の関わり方を、
観念的に、しかも脱俗的に追求する営みとはなり得ない。

「求道」という生き方を
持続させうる事業共同体・経営体として、
「求道」は成立していなければならない。

だが、事業経営体でもあるということが、
「求道」という生き方を
常に世俗の内へと拘束し、
制約し続けるのだと思う。

また、
事業共同体であるからこそ、
他の共同体との関係を
如何にして調整し、
秩序化するのかという問題を抱え込む。

神の正義としての神義論、
世界の存立構造としての教義論・イデオロギー論のみでなく、
この世において、
生計と政治を営まねば生きていくことができない人間たち。

結果として人間は
日々の生き方を指し示す信義論・道義論の他に、
共同体の(拡大)再生産を可能にする経営論、
そして、この世の秩序の整え方としての正義論を抱え込むことになる。

「求道」が不可避的に引き寄せる
これらの問題に真摯に向き合えば
神義論・教義論の他に
共同体経営論、
共同体内正義論、
共同体間正義論といった問いに向き合うこととなろうが、
それはまた、
「求道」の原初にあった直向きさを脇において、
一義化できぬこの世の複雑さに耐えること、
世俗の雑事にかまけることに他ならない。

だが、それは
「求道」が捨てようとしていた世界に他ならない。

と、夢うつつの中で考えていたことを
忘れないように、こうしてメモ。

なぜこんなことをぼんやり考えていたのかと言えば
真夜中にNHKの番組「歴史ヒストリア」で、
法然と親鸞のことを扱っていたから。

「武士にこの世は救えない」
しかし、
「僧にもこの世は救えない」

「非僧非俗」を進もうとする親鸞。
ふと、吉本隆明の『最後の親鸞』を思い出し、
マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』を思い浮かべる。

ま、
ここまでメモっておけば、
忘れないでしょうから、
寝なおすとしましょう。

今度はただ、
寝るだけの睡眠にしておきたいのだけど…。

うまくいくかな…。

アバター
2011/08/07 02:46
ええ、少し上から目線でお話ししたことは認めます。
だって、安寿さんがムキになればなるほど、大人げないなあという
思いを払拭出来ませんでした。
見識も理性も高くていらっしゃるのに、ご自身は感情に流されやすく
他者への配慮を他者に要求なさるほどにはご自身に対しては実践して
いらっしゃらないところがどうしても、幼く感じます。
社会的な平衡感覚の未熟さと断じ得ません。

先に述べた、ご自身の行為は二の次という姿勢と観点も無遠慮です。

私が少し水を向けただけで、たちまち態度を硬化させて問答無用に問い
詰めて来るところなどは、それなりに失敬なのではありませんか?

社会的にはどのようなお立場かは存じませんが、あなたは言葉ばかりで
なく、何気ない行為でもそれを露呈させています。
あ、そこがどこかを私に聞かないでくださいね。
無駄な、揚げ足取りの水掛け論になってしまうのは、必至ですから^^b

ご自身で分らなければ、シンパの方にでもお尋ねください。
ご自身への批判には、想像以上に神経質ですね。
私からは、問題提議で終らせていただきます。

後はご自身のこととして、問題があると思えば矯正なさってください。
ないと思えばスルーしてください。
私ごときには、安寿さんを撓める力などありません。
では。。。
もうこの件でお返事するのはやめにします。

重ね重ねの板汚し。ご容赦ください^^


アバター
2011/08/07 01:19
>小雪さん

>…許容します。

という「上から目線」の表現を、
なぜ私に対して用いるのでしょうか?

>それぞれの価値観はそのままでお話しできないものでしょうかね。

それでしたら、
まず、ご自身が、
異なる価値観に対する接し方を
意識された方がいいかと思います。

「それぞれの価値観はそのままでお話しできないものでしょうかね」
という問いかけは、
まずご自身に向けて発してみてください。

ご自身に対しては
「情緒的な表現しかできない」
という言い訳で、
異なる価値観と向き合う配慮への責任を回避し、
私には、あなたとの会話に付き合うことを求めるのですか。

それはマジョリティがマイノリティに向ける
同化と差別の論法によく似ているような気がします。

私は、そのような支配を内包した文脈の中では、
なるべくお話ししないようにしています。
アバター
2011/08/06 23:58
そうですか。。。
まあ、捉えようはそれぞれだと思いますから、私的には安寿さんの
感じ方も許容します。

尤も、私はこんな風に情緒的な表現しかできませんのでお許しくだ
さい。
また、私は安寿さんのシンパシイでもありませんから、安寿さんに
おもねるような書き方もできません。
それぞれの価値観はそのままでお話し出来ないものでしょうかねぇ。

問い詰めて来る行為自体は、安寿さん的には些かも行き過ぎた行為
ではない訳ですね?
板汚し、申し訳ありませんが、ちょっと驚き@@!ながらの、コメ
ントです。
アバター
2011/08/06 20:41
>こういうことを臆面なく問い詰めてくるところかな?

そのような性向は、「世間知らず」という
人を侮った形容詞で表現すべきことでしょうか?

>そして一本気なところが純情かな?

「一本気」とか「一筋」は確かに「純情」 かもしれませんが、
私自身は「一本気」とはほど遠いように思います。

>つい、親しさが湧いて可愛いって思ってしまいます。
>うふふ。怒らないでくださいね。

私は、あまり愉快ではありませんでした。
アバター
2011/08/05 00:53
うう〜〜ん。
こういうことを臆面なく問い詰めてくるところかな?
そして一本気なところが純情かな?
いちいち答えてる私もどうかと思うけれどねぇ。。。

とにかくいろんなところが、私の姉にそっくりなの。
ブログのロジックとかテーマとか。。。
毒気を自ら標榜するところとかはホントそっくり^^

つい、親しさが湧いて可愛いって思ってしまいます。
うふふ。怒らないでくださいね。

アバター
2011/08/04 12:31
>小雪さん

>安寿さんって世間知らずで、純情ですね。

どのような点から「世間知らずで、純情」と判断されましたか。
教えていただけると幸いです。

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2011/08/04 01:39
^^
小娘の私が言うのは僭越ですが、

安寿さんって世間知らずで、純情ですね。

とってもかわいいです。なれたらいいけど私にはムリポ。。。(泣

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2011/08/02 20:10
>小雪さん

>でも、安寿さんの文章は難しいんじゃなくて分かり難いのよぉ。

むずかしいんじゃなくて、
わかりがたい …
…という指摘もまた、わかりづらいです。

ま、自分が忘れないためのメモとして書いてみたので、
他人にとって、わかりやすい内容と文章ではない。
それは確かだと思いますが…

>私も、あれれぇ?って思うことがあります

具体的に、どこですか?
アバター
2011/08/02 14:33
気を吐いてますね。

意気軒昂ですねえ。。。

でも、安寿さんの文章は難しいんじゃなくて分かり難いのよぉ。

私も、あれれぇ?って思うことがあります。。。あ! あたしだからか(汗
アバター
2011/08/01 20:30
>風さん

風さんは、世評を述べたいようですが、
私の関心は、そこにはありません。
ましてや宗教者を論評するつもりもありません。

もちろん、この問いを追求していけば、
結果的に宗教者を、
わたしの関心から論評することにはなりますが…、

私が一番問いたいことは、
誰がそれを語ったのか思い出せないのですが、
親鸞を「日本的転向」の原型と捉えた、
その捉え方なのです。

あるいは、西行でもいいです。

武士を捨てて、詩歌に生きようとした西行に、
権力批判はあっても、権力論はない。
「この権力ではダメ。
 でも、それに代わる権力を
 どのようなものとして組み立てるのか」
という発想はないのです。

西行に焦点を当てて、
西行の思想や生き方を論じることは、
研究に十分値すると思いますが、

政治哲学に焦点を当てて、
西行を論じる時、
西行は結局、
無政治権力主義(アナーキズム)、
あるいは
捨政治権力主義ではありませんか?

それと同じような思考の辿り方が、
鎌倉新仏教にもあるように思うのですが、
そういう私のカンが正しいのかどうか、
それを立証してくれるような文献を、
あるいは、
私より先にこの問題関心について論じていた文献の情報を、
私は求めているのです。

厳しい言い方になりますが、
私が求めているのは、
風さんの個人的な宗教観ではなく、
私の問いに応えてくれる文献情報です。

悪しからず。
アバター
2011/08/01 14:56
こんにちは^^
アナーキズムを標榜するのには、この国は膨れすぎてるし、
原思想と限っても、何らかの纏まりの中に政治は生まれて
来るわけだから、現実には享受せざるを得ないでしょう。

法然や親鸞にしても、アナーキストとして括ってしまうには
かなり無理があります。
日蓮に至っては政治を曲げようとしただけの野心家ですか
ら論外。

世情は日和見的に揺れているだけ。
果たして法則など見出せるのでしょうか?
アバター
2011/07/31 22:32
>小雪さん

昨晩、まどろみながら書いていたので、
今日になって、ちょこちょこ修正を入れています。

ええと、
つまり、
哲学者が哲学するためには、
哲学以外の世事にかまけなくてはいけないのですが、
それは哲学者の求める生き方を裏切ることが多いということ。

だが、世事と向き合わぬ哲学は、
現世否定の力こそ鋭いものの、
現世を再構成できないということ。

したがって、
現世に責任を負おうとする哲学は、
世事の問題と向き合わざるえないということ。

これが昨晩まで考えたこと。
以下は付け足し。

だが、世事の問題を思想大系の内に位置づけようとする時、
哲学は、往々にして現秩序を観念的に正当化する
イデオロギーに堕しかねないということ。

そして、徳川期以前の日本の政治思想において、
現世における経営や秩序の問題と真摯に向き合った思想はあったかな、
現世否定・脱俗だけではなかったかな?
というのが、
調べなきゃと思った問いです。

権力否定のアナーキズムは、
ひょっとしたら日本社会の思想原型(エートス)なのかも、
と思った時、
日本社会においては、
なぜ政治思想が過度に観念的性格を強めてしまうのかが
わかったような気がしたのでした。

アナーキズムの政治無関心と
政治権力に極度な期待を寄せる政治過剰関心は、
同じメダルの裏表であり、
私たちはそれを
状況にあわせて適宜ひっくり返しているだけではないかと。

そして、鎌倉新仏教は、
末法の世に絶望した当時の宗教人が
アナーキズムへと振れた結果ではなかったか。

でも、違うような気もするので、
その辺りを調べてみる価値はありそう…と、
そう思っただけのことでした。

お粗末さまでした。  ☆\(ーーメ)
アバター
2011/07/31 21:53
>宗教者や哲学者の営みは、正に「求道」を極めようとすること。

と、求道とは違うと言う前提のお話ですか?

それなら良くわかります。

真夜中の考え事に突っ込んですみません ^^
アバター
2011/07/31 16:57
>風さん

「いつも…」ではないです(笑)。
「時々…」でもないです。

ただ、ここ数年、
マイケル・サンデルという政治哲学者の講義が
NHKで放映された関係で、
日本でも「社会的正義」とか「公正」についての議論が流行していて、

その時、ふと、
「日本の政治思想史の中で、
 政治(まつりごと)における「正義」という問題は
 どのように議論されてきたのだろう」
という疑問が思い浮かんで、
…そのまま消えたのでした。  ☆\(ーーメ)

特に、徳川幕藩体制が成立する以前の「正義」。
儒教の系譜における「正義」や「義理」は、
喧々囂々と議論されていたし、
研究もあるように思うんですが、
それ以前の議論となるとあまり聞きません。

そんなとき、鎌倉新仏教の成立をテーマにした番組を見、
「ああ、そうか。
 鎌倉新仏教は、政治権力への批判を根底に含みながら、
 しかし、政治権力の正統性をどのように再構築していくのかという
 正義論がここにはないな。
 新宗教の成立ではあっても、
 新しい政治哲学の成立ではないな。
 でも、そうかな?
 調べてみる価値はあるかも…」
という、以前の古い古ーい思いつきが目覚めかけようとして、
しかし、そのまま眠り込んでしまったというだけのこと。

でも、こうしてメモだけは残しておいたので、
また、いつか思い出すでしょう。
アバター
2011/07/31 15:39
安寿さんはいつも難しい事を考えているのですね~



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