Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


即位の礼の日に『オイディプス』を見る


朝起きて、あたりが静か…。
ああ~、今日は休日だったのでした。

即位の礼。
休日になるのなら、
毎年、即位の礼をやってもらいたいです。 ☆\(ーー;

そうとは知らないまま、
事前に買っておいた芝居を見に行ってきました。
火曜日なのに、昼公演のチケットがあったのは、
この日が、休日だったからなのですね。

渋谷文化村・シアターコクーン
原作    ソポクレス
翻案・演出 マシュー・ダンスター
出演    オイディプス   市川海老蔵
      イオカステ    黒木瞳
      コロスのリーダー 森山未來


『オイディプス』
それはギリシア悲劇の最高傑作と言われる作品。
一度は見ておきたいと思っていたのでした。

でも、『オイディプス』をそのままの形で上演しても、
現代人にとって面白いのかなあ、
とも思っていたのでした。

ですが、マシュー・ダンスターの翻案は見事でした。
何重にも深読みができる、
現代的な『オイディプス』で大満足です。
今年は、新国立劇場で上演された『オレステイア』も含めて、
ギリシア悲劇の当たり年です。


オイディプス。
それは、スフィンクスに謎をかけられ、
その謎を解くことによって、
古代ギリシアの都市テーバイを救った英雄ですが、
『オイディプス』のお話は、
そのオイディプスがテーバイの王として迎えられた後、
テーバイが疫病に襲われ、
市民たちが王オイディプスに救いを求めるところから始まります。

ですが、そのオープニングシーン。
市民たちは、防護服を身につけ、消毒を受けてから、
王宮に入るのでした。

この演出は、当然の事ながら、
豚コレラ、鶏インフルエンザ、そして、
福島における防護服を身につけた人々の
除染作業を思い起こさせます。

その市民たちは、
疫病からの救いを神に求め、
オイディプスに求めるのですが、
当のオイディプスは、
そのような神に救いを求める市民を、
愚かで蒙昧な輩と見下している人物として演出されています。

しかし、オイディプスは、
不安に責め苛まれる市民の陳情に応えるべく、
神託を求め、その神託の内容とは、

  「先王ライオスを殺したものが、
   まだテーバイに留まっている。
   その穢れをテーバイから追放せぬ限り、
   この災厄は終わらぬ」。

その神託を知ったオイディプスは、
自らの心が、市民たちと共にあることを示そうと思って、
この災いをもたらした人物を見つけ出し、
テーバイから追放することを
市民に対して安請け合いする…

のですが…
その情景は、王と后があでやかな衣を纏い、
テレビを通じて国民に向けて記者会見する姿として描かれます。

即位の礼の当日に、この演出を見る私たちは、
当然の事ながら「国民と共に」と語る
天皇皇后を想起させずにはおきません。


同時に、この情景は、
自分たちの苦難を救う救世主を求めて、
安請け合いの公約を口にするポピュリスト政治家と、
そのような人物に期待を託す市民の姿とも重なります。

『オイディプス』という芝居は、
この安請け合いをしたオイディプスが、
先王ライオスの殺害事件の真相を明らかにしていく
推理小説のような話なのですが、
真相を究明していくに従い、
明らかになるのは、
他ならぬオイディプス自身が、
その殺人犯であるということ。

オイディプスは、青年の頃、

  「そなたは、実の父を殺し、その母を娶る」

という、
父殺しと近親相姦を予言する神託を告げられており、
その神託から逃れようとして、
オイディプスは、故郷のコリントス王の元を離れ、
テーバイにやってきたわけです。

しかし、その旅の途中に、
年老いた男の一行とケンカになり、
その一行を殺害していた…

  今回の芝居では、
  神託から逃れようとして起こした
  交通事故および轢き逃げ事件によって、
  年老いた男たちを殺害した設定になっていましたが、

その年老いた男こそ、先王ライオスであり、
ライオス亡き後のテーバイに迎えられたオイディプスは、
ライオスの妻イオカステを、自らの妻として迎えるのです。

そのライオスもまた神託を与えられており、
それは、

  「息子によって自分は殺される」

というもの。
その神託が実現するのを怖れたライオスは、
妻イオカステとの間に生まれた子どもを、
羊飼いであった下男に託し、
殺すように命じるのですが、
子どもの命を憐れんだ羊飼いは、
隣国のコリントスの羊飼いにその子を渡してしまう。

そして、その子は、コリントス王の手に渡り、
コリントス王の子どもとして育ち、
しかし、自らの神託が実現するのを怖れて、
コリントスを離れ、
その道すがら、先王ライオスを殺してしまい…


つまり、『オイディプス』という物語は、
運命から逃れようとしてあがく人間たちが、
しかし、結局は、
運命の掌中にあったことを思い知らされる物語なのです。

自らの息子と交わったことを知ったイスカリオテは、
首をくくり、
オイディプスは、自らの罪を自覚して
自らの手で我が目を潰し、
テーバイを追放されていく。


そして、先王の弟クレオンが、
オイディプスに代わって王の座につくのですが、
その時の記者会見において、
市民の代表が、

  「災厄は去った。美しい国へ」

と演説します。

『美しい国』。
これは、もちろん安倍首相の本のタイトルですね。


つまり、テーバイの市民たちは、
災厄から逃れようとして、
災厄の元凶であるオイディプスに救いを求めたのであり、
そして、今また、
新たな王に希望を見出そうとしているわけですが…



誰かに期待を託すよりも、
自らが今の状況に立ち向かうべきではないでしょうか。
自らの目で、王の真の姿を見定めること。

第二、第三の王を求めるのではなく、
自らが運命に立ち向かう当事者となること。


令和の始まりに、いいものを見ました。

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2019/10/25 14:27
>ソルトさん

ただ、市川海老蔵の演技は、
もう少し陰影というか、
メリハリが欲しいように思いました。
アバター
2019/10/23 22:29
意味深い話ですね。(ー`´ー)うーん
良い話を聞かせてもらいました。



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