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安寿の仮初めブログ


新国立劇場でバレエ「マノン」を観てきました。


新国立劇場でバレエ「マノン」を観てきました。

この公演は5回公演だったのですが、
今日3回目の公演で、政府の自粛要請により、
公演打ち切り。

しかも、公演直前に
キャストの一人が怪我をしたらしく、
他の日に出演予定の方が、
急遽代役に立つという事態に。

そのため、開演時間も20分遅れでスタートするという
なんかトラブル続きの公演だったのです。

でも、これが最後の公演になっちゃったし、
突然のキャスト交代で大丈夫だろうか、
いやいや、そこはプロなんだからなんとかしなくちゃいけない
という緊張感が、いい方向に働いたのでしょう。

舞台と観客席が一体となった、
いい公演だったように思います。
アンコールが何回も繰り返され、
急遽代役に立ったキャストには、
ひときわ盛大な拍手が。


『マノン』とは、
マノン・レスコー、娼婦マノン。
つまり、ファム・ファタール、運命の女。
男を不幸にしていく魔性の女性なのです。

とはいえ、ケネス・ミクミラン演出の『マノン』は、
悪巧みを抱いた悪女ではなく、
気性の激しい、我が儘な美女でもない。

マクミラン版のマノンは、
どこまで無邪気で、無垢な女の子です。
そして、一定の年齢に達したにも関わらず、
何も考えずに無邪気なままでいることは、
彼女と関わった人々を次々と不幸にしていくという点で、
罪なことなのです。

「なぜ、あの人が好きになったの?」
「なのに、なぜ、別の人の申し出に答えたの?」
そんな質問に対して、マノンの答えは、おそらく

「だって、素敵な言葉をかけてくれたんだもの」
「だって、お金持ちだったんだもの」
そして、それ以上の理由など、マノンにはないのです。


そう、彼女は、カナリヤのような愛玩動物なのです。
だから、綺麗な巣箱や美味しい餌を差し出されれば、
何も考えずについて行ってしまう。

彼女は何も考えない。
何も考えないから、企みも打算も悪意もない。
ただ一瞬の情動の内に生きているだけ。
従って、彼女は、反省しないし、学びもしない。

その点で愚かな人なのですが、
しかし、快や美に対して素直であり続ける人は、
愚かさ・賢さの基準となる
社会の中での身の振り方や人生設計など、
初めから意識なんかしていないのです。


そんなマノンであるがゆえ、
マノンは、何も考えていなくても、
ただそこにいるだけで可愛い、
無垢なカナリアでなければいけません。

そして、この無垢なカナリアとしてマノンを描き出したのが、
マクミラン版『マノン』の功績でしょう。


舞台表現で言えば、
それは、二幕一場、
高級娼館の中で踊るマノンの姿に象徴されているような気がします。

ここでマノンは、
多くの男性ダンサーによって、
次々とリフトされて宙を漂っていきます。
なかなか、床に降りてこないのです。

その表現は、
マノンという女性が、
多くの男たちの上を、
次から次へと飛び移ってきたことを暗示していますし、
男たちの上を飛び交っていく無垢なカナリア、
あるいは、羽衣をまとった天女であったからこそ、
彼女は、男たちから愛され続けたことが、
描き出されているように思います。

それが、
マノンの魅力であり、
マノンという人の愛され方だったのです。


そのようなマノンは、
第三幕の流刑地において、
尾羽打ち枯らした小鳥のような姿となり、
森の中で、その小さな身体を
激しく叩きつけて死んでいくような踊りを見せます。

ここにも、マノンには意思がありません。
ただ、小さな命が、その命を激しくぶつけて、亡くなっていくだけ。
でも、そこに、マノンという人の本質と魅力が
集約されているのだと思います。


何も計算しないし、何も意志しない。
ただ、自らの命が赴くままに、自らの身体をぶつけていく。
そして、それだけなのに、
否、それだけだからこそ、
マノンは、どこまでも可愛らしく、愛しいのです。

娼婦を買う男性の気持ちがわかった気がします。 ☆\(ーーメ)




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