Nicotto Town


三魅せつな33変人日記


平泉文化遺産決定


久々に良いニュースが来ましたね。

歴史に詳しい御方ならお判りでしょうが平泉って所は

源義経の最後の時を過ごした場所です。

この平泉と言う土地は当時の時代藤原秀ひらの領土でした。

秀ひらは義経に取って数少ない協力者だったのです。

その為源頼朝に再三義経を差し出せと要求しますが頑なに断ります。

しかしその後秀ひらは病死してしまい後見人は安ひらになりました。

しかしこの安ひらは自分の身に危険を感じ義経を討つ決意をしてしまいます。

義経を討つには簡単な事でした平泉に辿り着くまで多くの部下を無くし

義経配下の兵はは僅か数十人でした安ひらは何百人いえ何千人で義経を攻めました。

そして義経は僅か31歳の若さでこの世を去り弁慶も義経を守り多くの矢を受け立ったまま死んだのは有名です。

そして義経と言えば静御前です本当の夫婦では無く妾の女性でしたしかし

二人は愛し合ってました後平泉に向かう途中女性禁止の道が有った為別れなくては

ならず後頼朝に捕らえられます。

そして鶴岡八幡宮で頼朝と北条政子達の前でこう舞を披露します。

静は、

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」[1]「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」[2]

と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒さますが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けました。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛します。
しづやは静御前を指しますなすよしは義経この詩は
吉野山へ雪道向かってく義経を見て願わくば昔義経と過ごした日々に戻りたい
吉野山へ向かって義経の姿が恋しいって詩なんですね。

後静御前は義経の間に子を身ごもります頼朝は

「女子ならば生かすされど男子は斬る」と言ってますそして産まれたのは

男子でした。

静御前は必死で殺さないでくれと訴えますが受け入れてもらえず

その子は打ち首となります。

それに大きく悲観した静御前は京へ返されます

後静御前は母と共に尼僧になったと聞きますが

はっきりした歴史は残ってません

後に静御前は母の故郷で生涯を閉じます僅か20代の若さでした。

後義経は平泉から逃れモンゴルに渡り

ジンギスカンになったって逸話が残ってますが

これは恐らく義経をしたってた人達が義経はまだ生きていると思いたいからの空想

でしょう何故なら義経は弁慶を絆は強かったのです。

その弁慶を見捨ててまで生き延びようとは思わないでしょう。

そして義経に刃を向けた安ひらは御褒美所か

頼朝に討たれます一言で言えば自業自得かもしれません

兄弟にでも厳しい頼朝もこの時だけは義経の仇を討ったのかもしれません。

こうして平泉の藤原一族は滅んだ訳です。

4年前文化遺産に認められなかったのは名所が無いのが原因でした

そして今年地震が起きたのが発端で

文化遺産に採用された訳です。

また静御前は後に義経を追い再び平泉に向かった説が有ります
現在の福島県にいる義経を追うために通過したと伝えられる新潟県旧栃尾市にも静御前と伝えられる墓が存在する。福島県郡山市には、義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂がある。

これもはっきりしていません。

又静御前はどんなけ追求されても義経の向かった場所を白状しませんでした

繊細で真の強い女性で有った事が伺えます。

長文失礼致しました。

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2011/07/02 13:25
TANA☆BEさんはじめましてコメント有難う御座います。
有りますね。何故かと言いますと静御前は京から離れた後消息は完全に途絶えてしまい不明な点が多いのです。私が述べた所で本当にそこで生涯閉じたのかもはっきりしていません。
郡山の愛宕の名の神社に静御前が来てたのかは否定出来ません。
もしかしたら郡山の人達が静御前、義経を思い美女池と名づけ愛宕の名の神社と名付けたかも知れませんね
三国志の劉備、関羽、諸葛亮、の様に義経、静御前も多くの人々に愛されましたしもし静御前が郡山へ行き
そこでお世話になった人が静御前の霊を慰め責めてあの世で義経と結ばれて欲しいと願いをそして
二人の間に産まれそして男だからと短い生涯を終えた義経、静御前の間に産まれた子供を想い
そう名付けた事も否定出来ませんね。
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2011/07/01 22:46
美女池は郡山免許センターのすぐ脇にあります。鯉の養殖場ですが、石碑が立っていましたね。
近くに愛宕の名の神社があるので、何か関係はあるのかもしれませんね。
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2011/06/29 15:14
ただ確かに明るい良いニュースですが日本のメディアはおめでたい話題を直ぐに経済効果は?と結びつける
悪い癖が有るからいけません。
これ聞くと一辺におめでたいムードがダウンするんですよね・・・
まあメディア時代がおめでたいから仕方ありませんが・・・
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2011/06/29 15:07
シーナ・マルシアさん有難う御座います。
はい小学生の頃から歴史の本見て育ちました笑
特に大和時代、源義経、天草四郎、新撰組、明治維新、が大好きで
源義経伝で描いてた静御前の舞は実に美しく好きです。
天草四郎はキリスト教を広めた青年で美男子で有名でした
新撰組は近藤勇、土方で有名ですね特に近藤勇は受験生に人気が有り受験前に近藤勇ののお墓に合格祈願をすると合格するって言い伝えられてます。
明治維新と言えば勿論坂本竜馬ですねしかしその基盤を作った勝海舟、木戸孝允、高杉晋作を忘れてはいけませんそして吉田松陰この人は今で言うカリスマ塾講師と言う御方で今こそ倒幕!と
桂小五郎(後木戸孝允)高杉晋作、初代総理大臣伊藤博文、という門下生が中心となって明治維新が発展していきます。
私は高杉晋作が大好きで実行力、も有り義理堅く徳川慶喜が政治を朝廷に引き渡すきっかけを作った
一人でしたしかし肺結核で29歳という若さでお亡くなりになったのが悔やまれます。
まさに明治維新で活躍した人達はスーパースターとも言える輝きが有ります。
義経、静御前はお互いに愛し純粋な心持っていたから今も多くの逸話が残されています
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2011/06/29 14:48
山猿さんあ有難う御座います。
平泉は秀ひらの父から戦で荒れ果てた地を元に戻そうと尽力を尽くし平泉の領主となりました。
後秀ひらが継ぎ多くの平泉の市民に親しまわれまた権力でも平家、源家も一目置かれていたんです。
そして器量も大きく見る目も確かで義経の純粋な性格を見抜いて協力したんだと思います。
今で言う圧力に屈しない御方だったのです。
まあ今回内閣不信任案で圧力に屈しないで不信任案に賛成した松木も同じとも言えますが・・・
この性格をどうして国民の為に役に立てないのか・・・
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2011/06/29 11:02
せつな33歴史詳しいですね^^
久しぶりに明るいニュースですね^^
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2011/06/28 13:35
 お詳しいですね。歴史専門の方ですか?
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2011/06/28 13:17
葉月さん有難う御座います
そこが日本の悪い所でおめでたいニュースとかが有ると直ぐ経済効果と結びつく癖があり
皇太子の愛子様とか秋篠宮様の御子息誕生の時も直ぐ経済効果が出てきますね嫌らしいです。
私は名古屋に住んでますが熱田神宮、名古屋城が代表ですね。
因みに熱田神宮は義経がまだ牛若丸と名乗ってた時ここで元服(今で言う成人式)し
源義経となりました。
義経は活躍期間が非常に短い為当時の都の上官達は余り記憶に無いそうです。
静御前も謎が多く彼女の生涯を記載したのは非常に少なく
当時は北条政子ぐらいの恐妻男勝りな人間しか残さないでしょう
今では考えられないぐらい女性の扱いは酷い物でした。
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2011/06/27 17:04
多分に政治的な匂いを感じますが、いいニュースでした。
うつくしい場所が日本にはたくさんありますね。
義経と静御前はその悲劇的な物語から、たくさんの文学や絵画や芝居等がうまれたのでしょうね。



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