徳川慶喜
- カテゴリ:その他
- 2012/03/03 12:34:06
この徳川慶喜も当時変な人間と言われました
そこは三国志の劉備の息子劉蝉に似てます。
共通点はほどんど戦わなかった
頭が良い
戦い殺し合いが嫌いで殺戮を好まなかった
時代の先読みが上手い
どちらも苦しい舵取り要求された
劉蝉は既に関羽、張飛が亡くなって呉との戦で大敗し勢力が弱くなってしまい
更に諸葛亮死亡の為更に弱くなりこれで劉禅は判ったんでしょう
西暦263年蜀軍降伏し劉禅は幽閉されましたそれでも彼はそこで満足してたらしく
そこの子供とも仲良くしてたそうです。
しかし周囲は父の名を汚した臆病者として暫くの間劉禅の子供の頃の名前
阿斗は臆病者に着けられるあだ名になったのです。
次に徳川慶喜ですが将軍即位から倒幕対応に追われ更に
徳川家財産も次々と取られてしまいます慶喜は守るのに必死でした
その後戦でもほどんど戦わずに終わってしまいます
恐らく彼は勝ち目が無いし無駄に兵士殺したくない、死なせたくないからでしょう
そして大政奉還し彼は謹慎します後
勝海舟の助けが有って入閣します。
私はこの2人は凄く優しい人と思います。
無駄に戦っても意味有りませんし特に劉禅は
長坂の戦いで命懸けで趙雲が自分を助けてくれた
徳川慶喜も勝海舟が居て助けてくれた
そのお陰で二人は処刑を免れました。
しかしこの2人は有る意味有能ですね時代の流れをちゃんと見てる
この2人も今の時代に必要かも知れません。