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シン・ドラマ汁


ドラマ【八重の桜】

八重の桜
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】伊藤博文は、不平等条約改正に向け、下野していた大隈重信を招聘、大隈は外務大臣として入閣する。山本家では、死亡したみねが産んだ平馬覚馬の養子に迎え入れ、佐久が張り切って世話をしていた。心臓発作を起こして倒れたは、まだ本調子ではないのに、大学設立に向けて動いていた。そんな時、徳富蘇峰こと猪一郎が、自分が創刊した「国民之友」を携え襄を訪ねてきた。「国民之友」は今や人気雑誌となっており、最新刊には福沢諭吉に匹敵する教育者として紹介されていた。蘇峰は、この記事に共感した大隈が、に東京で募金集会を開くことを勧めていると言う。

【感想】1年近く続いた八重の桜も、残すところあと3回。そろそろ八重の二番目の夫・襄の命の火が燃え尽きようとしています。恐らく次回でグッバイなのでしょう。襄は病気のため46歳の若さで死にますが、八重はこの後、42年生き続け、昭和7年に86歳で亡くなります。母の佐久が87歳まで生きたので、山本家の女は長生きだったんでしょうね。残念ながらミネや久栄はその血を受け継いでおらず、八重も子をなすことができなかったので、その後この長命な一族の血は耐えてしまったんでしょうかね。ミネの息子・平馬に子供がいたようですが、男の子だった上、その後どうなったかまではわかりませんでした。というわけで、現在ドラマでは、やっと八重が生まれてから半分くらいの年月を描いてきたことになります。残り3回でどのくらいまでやるんでしょうかね。次回は襄の最期になるでしょうから、その後2回。実は襄の死後も八重は結構な活躍をしています。時代は日清・日露戦争へとなだれこみ、八重は従軍看護婦として広島や大阪で働いたそうです。また子供がなかったことで、養子をもらいましたが、気が強い八重とうまくいった養子はいなかったようですね。八重は相当頑固で変哲な女だったことが窺えます。このあたりは2回くらいであっさりやってしまうんでしょうかね…。さて今回の話ですが、襄はいつも穏やかで優しく、それでいて強い意志を持っている男ですが、さすがに死を前にとりつくろっていることができなくなったのか、珍しく八重の前で取り乱します。八重から死の宣告を受けた時も、それを医師から1人で聞いた八重のことを心配していたのにね。まぁ、これは覚悟してたんでしょうね。やりたいこと、やらなければならないことがたくさん残っている、それなのに自分の死は間近に近付いている。自分を心配してくれる人がいる。でもやりたいことはどうしてもやらなければならない。気がすまない。そんな時、周囲にいる人はどうすればいいのか、実際迷いますよね。少しでも延命するため、やりたいことを制限するか、それともやりたいことを優先させてやるべきか。前回、久栄が失恋し、八重は「自分のことよりずっとつれえ」と言ってましたが、今回もまさにそれですね。あと、みねが死んだ時、佐久が言った「変わってやれるもんなら変わってやりてえ」、これも同種の言葉でしょう。実は傷ついた人や死んでしまった人より、その人たちのことを親身になって考えている人が、一番つらい。のでしょうかねぇ。少なくとも死んだ人は、死んだ後は何も考えなくてもすむので、残された人の方がつらいことは確かでしょう。まだ若いのに死んでいく者たちを見送るのは、いくつになっても悲しいものです。永遠の傷となり、古くなっても癒えることはありません。触れば血が吹き出すように、涙が吹き出すのです。

アバター
2013/11/29 16:38
射的のシーンがあったのは覚えてますが、何を撃ち落したのかまでは
覚えてませんでした。あの時は、八重が襄に撃ち方を教えようとしたのに、
襄が嫌がったところが、昔八重が少年たちに鉄砲の撃ち方を教えていた時、
皆真面目に八重の言うことを聞いていたのと対照的で、
ああ、平和な時代になったんだなぁと感慨にふけっていたもので…。
あちこちに書かれている八重の言動を見ていると、かなり苛烈な女であったことは
確かだと思います。「よいものはよい」と、キリスト教徒と結婚し、
洗礼を受け、洋館に住み洋装をしていましたが、やはり「ならぬことはならぬ」という
会津精神を一生貫き通した女だったんではないかと思います。
アバター
2013/11/28 18:42
こんばんは
射的の屋台(?)で、八重が張り子の虎を撃ち落としていました。
宿に戻る際に持っていた戦利品の中に、あかべこみありました。
そうですね、福島で撮影したのは、復興応援のためだと思います。
実際の八重は、かなり個性が強かったのでしょうか?
ドラマの中の八重は、とてもすばらしい人物に思います。
アバター
2013/11/28 15:53
張子の虎やあかべこ、売ってるシーンありましたっけ?(;^ω^)<そのへんよく見てないw
福島で撮影したのは、やはり八重のふるさとであり、
この大河が東日本大震災の被災者たちを応援する意図があって作られたからなのでしょうか。
大学の設立を見届けられたかどうかは、調べればわかることなのですが、
それはドラマを見てから確認したいですねw
アバター
2013/11/28 08:25
おはようございます
静養していたところは、鎌倉という設定でしたが、撮影した場所は、福島県の猪苗代湖だそうです。
鎌倉に、張り子の虎やあかべこが売っていたのだろうか?って考えてしまいました。
襄は大学設立を見届けることはできるでしょうか?来週も楽しみです。



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