自我と私は、もともとは、一心同体である。だから、
肉体の求めに応じ、睡眠を取るときは、自我の元に。
また、沈黙をする時も、自我の元に。勿論、肉体の終焉
、死と遭遇する時も、自我の元に。言い換えると、常に自我の元に存在する私は、此の世を彷徨う旅人である。
自我と私は、もともとは、一心同体である。だから、
肉体の求めに応じ、睡眠を取るときは、自我の元に。
また、沈黙をする時も、自我の元に。勿論、肉体の終焉
、死と遭遇する時も、自我の元に。言い換えると、常に自我の元に存在する私は、此の世を彷徨う旅人である。
私と言葉は、親子の関係、と言えるほど親密である。
意味に満ち満ちた世界に住んでいる自我が、刹那に瞬間瞬間に好きな意味をを選び、言葉に変える。先ず最初に、私が産まれる。同時にこの世の様々な生命、物質、現象、事象、宇宙、………………………が産み出される。
自我と私は、諸元は同時に生まれ一緒に住んでいた。
しかし、自我は、或る意味を見い出だし、言葉にする。
そのときに、私も言葉にされて、この世を彷徨い始める。物欲に塗れた、現世を生きながら、時には自我を想い出す。それが、幸福へと繋がる、源泉への入り口だ。
常に生きているのは、私の(自我)です。それは、常に存在している、と言い換えても良いでしょう。私の(自我)は、混沌とした、意味が満ち満ちた世界に住んでいます。そして、刹那に、瞬間瞬間に、意味を言葉に変えるのです。この世界は、言葉で出来てます。この私も………。
現在の私は、83歳の後期高齢者です。
人生航路の、いくつもの、山河を乗り越えて来ました。
しかし、これは、如何程の自己紹介にもなりません。
常に、泰然として、側に在り続けている(私)を紹介したことにはならないから。……それは自我……………………………