Nicotto Town


メルカッツ提督苺


今年と言う節目

20年前の今日、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されました。
『20世紀中には無理』と言われたこの事件、民衆の東ヨーロッパからの
逃亡と言う形で始まりました。
もちろん、それまでに統一に向けての動きはあったのですが
東側諸国の経済的破綻から急速に進みました。
ベルリンの壁崩壊前にオーストリアに多くの難民が集まり西側への
亡命を訴えました。これに手を差し伸べたのが旧貴族王族たちでした。
オーストリア政府に働きかけ、西側への国境を開放させたのです。
もちろんこれには当時ソ連の書記長だったゴルバチョフ氏の黙認が
大きかったことは外すことのできない事実です。
同時に進んだ東側諸国の政権崩壊は、それまでソ連の強力な政治介入で
避けられておりましたが、当のソ連が経済的に破たん状態でなにも
できない状態でした。人々はだれが言い出したわけでもなく壁に集まり
よじ登り、やがてツルハシやハンマーで壊し始め歓喜と共に国境検問が
解放されました。
この時の情報は世界中を走り抜け、一気に冷戦の終結を迎えました。
当時多くの人々が『これで戦争が無くなる』と思ったことでしょう。

しかし現実には違いました。冷戦の落し物は新たに南北問題、
つまり、豊かな国(北)と貧しい国(南)に分かれ対立が出てきました。
経済格差は一部の国を除いて続いております。
現状、西側のリーダーだったアメリカも経済的に苦しんでます。
経済力の偏在化は新たな火種を落とし続けています。

そんな中で、今年は日韓併合100年だそうですね。
新たなパートナーシップでの100年と言うことで盛り上がっております。
しかし、併合された韓国がこの年と日にちを選んだことは大きいでしょう。
併合され、苦しい時代を押し付けられたのは韓国です。
見方によれば、解放された昭和20年8月15日に軸を置いてもいいはず。
それをしなかったのは、新たな日韓関係を構築する上で民族意識を
如実に出すことを、避けたのでしょうか。韓国流の配慮なのでしょうか?
いずれにしろ、自分の都合を押し付けるではなく、対話により
落とし所を見つける手法は友好関係を結ぶ上で心地いいですね。
パンダなんか使わなくとも充分なのです。

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2010/10/03 17:09
「民衆が壁を壊している」という映像は今でも印象に残っていますねえ。
それまで、東ベルリンから西ベルリン(ひとつの都市にすぎないのに)に
こっそり逃れようとした人が見つかったら
見張りの兵に射殺されていたんですから、当然ですが、大きな出来事でした。

確かに世界が大きく変わるのかと思いましたねえ。
でも、確かドイツ国内でも、旧東ドイツ側の地区と旧西ドイツ側の地区との経済格差が
長い間問題になっていましたよね。

東西の冷戦が終わったと思っても世界のほかの矛盾がいくらでも問題になりえたんですね。
「南北」という角度からの視点が出始めましたね。
「経済格差」は日本の中だけで見ても存在すると思いますが、
世界中にあり、今も解決していません。

戦争のあり方も変わってきて「テロリズム」という言葉が大きく広まりました。
優秀な軍隊を膨大な予算でそろえただけでは「戦争」に勝てない、
「テロ」という戦い方は今までの常識とはまったく違うようになってしまいましたね。


「日韓併合100年」ですが、1945(昭和20)年8月15日を使うと、特に日本人側に
太平洋戦争の終わりの日(真珠湾攻撃からはじまる)というイメージが強くなって
朝鮮半島を長い間植民地支配したという事実がわかりにくくなるから使わないのでしょう。

1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約(韓国併合条約)が結ばれた日、
少なくともこの日から(またはその日以前から)は
朝鮮半島が日本の植民地だったという事実をはっきりさせておきたいという考え方から
この日を使うのだと思います。
それでないと、少なくとも日本人のほうに朝鮮半島が不当な形で日本の植民地になっていたという
歴史的事実が理解できない人が増えるでしょう。


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2010/10/03 16:12
かべを こわしているひとたちを
TVでみた きおくが あります。
みんな
「こんなもの いらない」っておもいながら
こわしたのでしょうね。
はればれとした かおを みたきがします。。。




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