Nicotto Town


メルカッツ提督苺


歴史的事件の検証。

完全に趣味の範疇です。

歴史に詳しくない方でも『織田信長』はご存知かと。
そしてこの人が歴史の舞台に躍り出た事件と言えば
5倍以上の今川軍を破った
『桶狭間の戦い』
なのですが、先日とある古い歴史検証番組を見て時代を感じました。

どんなことかと言いますと、以下のようになります。

1.今川軍は狭間道(谷に沿った道)に細長く布陣していた。
2.今川軍の本陣は百姓家にあった。
3.今川軍は宴会を開いていた。
4.織田軍は今川軍の本陣のみを急襲した。

以上が昔の検証でおもだったところです。
現在はどうかと言いますと…

1.狭間道はなく、小高い丘に今川軍は布陣していた。
2.百姓家は周囲にはなく、周囲を見渡せる地形を利用していた。
3.今川軍は夕飯の用意をしていた。
4.織田軍は今川軍の先陣を急襲し、全軍を混乱させた。

となっております。

どうしてこのように検証が変わったかと言いますと、戦場の地形によります。
桶狭間という呼び名から狭間道を連想しますが、戦場となったとされる地域
周囲数キロにわたり、平野に小高い丘が点在する地帯だったのです。
丘と丘の間に陣をはるのはどんな素人が考えても不利。
ましてや当日は雨であったことが各種文献より明らかです。
従って、本陣を丘の頂上に置き周囲をぐるりと囲む円形陣であったと
いうことが、容易に検討がつきます。

百姓家についても、丘の上にわざわざ家を建てる苦労は避けるはず。
と言いますか、丘の上に家を建てるのは裕福な庄屋でしょうが、
古くから戦場になっている地勢状、わざわざ戦場に巻き込まれるところに
家は立てないでしょう。従って百姓家の説もボツ。
宴会の話ですが、雨の中で酒を飲むのは今の花見を連想して頂ければ
いいかと思います。泥んこの中に座り込んで酒を酌み交わすことを
したでしょうか?
また、近隣の農民が酒やおつまみを献上した話も記載している文献が少なく
マユツバものと言われておりました。

打ち取られた今川義元も当代でもすぐれた用兵家でありました。
敵国領内で油断するにもほどがあります。
ましてや、今川軍と織田軍は三河・尾張の領有権を巡って抗争の
歴史を積み重ねています。桶狭間の戦いが初めてではありません。
敵の力量を十分把握していることでしょう。そこで宴会説もボツ。
最後に襲撃した場所ですが、先程も触れましたように今川軍の陣は
円形と考えられます。従って本陣のみを襲撃するのは物理的に無理です。

では、どうやって本陣まで切り込まれたか?
今川軍には油断はあったでしょう。雨が降っていて織田軍の接近に
気付かなかったこと。織田軍の砦を次々と陥落させていること。
そして戦力差です。全軍で2万5千から3万の今川軍。5千弱の織田軍が
襲ってくるたは思わなかったでしょう。

しかしこれには織田軍の強兵の刑(兵力集中を装う)があります。
各地の砦に兵力分散をしなくてはいけない織田軍にとって中央軍の
兵力集中がカギでした。今川義元は千名程度と踏んでいたようです。
それを織田信長は各地から兵力を集中できるだけかき集め三千名にまで
増やしました。
今川軍の本陣は五千。円形の布陣の為兵力の集中運用に時間がかかり
まして、不意を突かれたことも手伝い混乱をきたしました。

しかし、織田信長にとっては今川義元を討たなければ勝利はありません。
そこで目印になったのは朱塗りの輿でした。
これは足利将軍やそれに直属するような高級官職の人が乗るもので
今川義元が馬に乗れなかったわけではありません。
進軍中も自分の威光を示すために使っていたのです。
しかしこの時点ではいい標的になりました。

以上が今日の桶狭間の戦いの検証です。

時代とともに、かつては事実と考えられていたものに新しい見解が
盛り込まれ検証が変化していくのは、歴史が過去の遺物ではなく
現代も生きている証のように思います。

アバター
2010/11/03 00:06
桶狭間の戦いと聞くと僕は
「太原雪斎が生きていたら果たして信長は生きながらえただろうか」
の歴史の「if」を考えてしまいます^^
相当歴史が書き換えられると思って1人ニヤニヤしてしまいます(*^v^*)
アバター
2010/11/02 23:33
久しぶりに得意の戦史が出ましたね。

確かに子供のころの常識は狭い道に本陣を置いていたという光景ですね。
テレビドラマの影響でしょう、私でもその光景が頭に浮かんでしまいます。
刷り込まれたイメージは怖いですねえ。
今川義元がすぐれた用兵家だったというのはあまり知られていませんよね。
ちょっとぼけていたようなイメージが刷り込まれていますね。

私は戦史や戦術は苦手分野ですが、強兵の計(兵力集中を装う)の説明を
理解するのに「銀河英雄伝説」の戦術論を思い浮かべるとわかりやすいんですねえ。
いいことなのかどうかよくわからんけど。
作者の田中芳樹氏が桶狭間の戦術も勉強されていた、ということでしょうけど。

>時代とともに、かつては事実と考えられていたものに新しい見解が
>盛り込まれ検証が変化していく

そういうところが歴史の面白さです。歴史にはいろんな見方があるということ。
そのあたりから私は歴史にはまっていったんですよ。
ちょっと違うのは私の興味は歴史上の英雄だけではなく、
市井の一般市民の生活にあったことでしょうね。

日本史に興味を持つようになってからは少なくとも日本史系の小説はほとんど読まなくなりました。
永井路子さんという作家の小説は読まず、歴史エッセイ(当時歴史の専門家からも
高い評価を受けていたそうです)を読み漁っていたのが
高校生のときです。「歴史を騒がせた女たち」シリーズというのが文庫本で何冊も出てました。

でも、「三国志」「水滸伝」ついでに「銀英伝」なんかは大学時代に読んだんですよ。
懐かしいです~♪
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2010/11/02 21:29
「おけはざま」のたたかい は 字のごとく、
おけの ような ばしょ と せまい路 
あるいは
おけの そこの ような ちけいの たたかい 
だろうと おもっていました。。。

いまと むかし では 検証も ずいぶん ちがうのですね。
でも、いにしえの できごとを
よんだり みたりするのは
とても きょうみが あります。。。
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2010/11/02 20:51
なるほど!
最近はそういう見解が多くなっているのですね!
論理的でとてもおもしろかったです。
天下人になる運が、信長の方により多くあったんでしょうね。
彼もその運を早く使い果たした気がしますが・・・。
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2010/11/02 20:18
ここまで新事実が出てきても世間の今川義元の評価は「無勢に負けたダメ武将」なんですよねぇ(ーー;)
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2010/11/02 16:37
う~ん、難しい話だ。(--;
アバター
2010/11/02 16:31
それは、昔と今の、検証に違いが出てきても、おかしくはないですからね!
大変良く勉強されています! とても素敵です!




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