Nicotto Town


メルカッツ提督苺


人が人を裁く

先日、お友達の一人に
『人が人を裁くことは嫌い』
との書き込みを頂きました。

私達は生まれながらにして様々な法律や慣習、しきたりに囲まれて
生活しております。
さて、これらはなぜできたことなのでしょう?

私達は集団で生きて行くことを定められた生物です。
一人では生きられません。
『俺は誰の世話にもなってない』
と言う方もいるでしょう。
しかし、例えば日本にいれば多くの国民の税金で運営された組織
身近に言えば警察などによって、行使される保護を受けております。
原野の中で孤独に生きるには弱い存在です。

さて、そんな条件の中で集団が調和を保つにはどうしたらいいのでしょう?
人畜無害な人ばかりならなんのしきたりや、観衆もいらないでしょう。
しかし、十人十色と言います。
自己を厳しく律することができる人もいれば我欲を優先させる人もいます。
当然ここに軋轢が生じます。

身近な例で行けばニコタの世界がそうです。
自分の欲しいアイテムを持っている人がいます。
プレゼントの交換機能を使って、ウソの申し出でうまく交換して
トンズラする人もいます。
それらを防ぐために運営さんは日夜コメントのチェックやIDの管理を
されているわけです。

話しがニコタにとどまらず、実社会になったらどうでしょう?
詐欺や強盗、殺人などの行為が横行しています。
これらがなぜいけないかと言えば、他人の尊厳を踏みにじるからです。

それがしは思います。
『他人の尊厳を守れない者に人権など無いと』

集団で生きて行く上で、何らかの規制がなされ、互いに約束事を交し
調和を保つことは必要なことだと思います。
それが守れない者は罰則を受け、更生してもらうか、或いは集団から
出てもらうことになるでしょう。

古代史の中に『性善説』と『性悪説』があります。
しかしどちらも元は同じ老子の思想に端を発し
『人間は生まれながらに無垢な存在である』
と、となえています。
ここで無垢な存在であるから、どんな色にも染まる弱さを持っている
と言うことまで一緒です。
性善説は、『育て方を間違えなければ立派な人間になる』と言い
性悪説は、『無垢な人間は弱い存在であるから補強の為に法が必要』
と言っております。

どちらが正しいなどと言うのは無意味な議論です。
どちらも行き過ぎれば害悪以外の何ものでもありません。

以上のような幾世代にもわたり積み重ねられた経験と知識により
法律や慣習が生まれてきたのは、ひとえに集団生活を円滑にするため
の道具だと考えます。
となれば、それを監視し執行する人が必要になってくるわけです。
簡単な仕事ではありません。だからこそ司法試験など法律関係の
資格試験は狭き門なのです。

同時期に、同じお友達から
『あなたが立候補しても私は貴方には投票しない』
と言われました。
それがしは、この書き込みを見た瞬間
『あんたの言うことは出たらめで信用できない』
と言われたのと同じ衝撃を受けました。
はっきり言いまして、死にたくなりました。
今でも引きずっております。

『人が人を裁くべきではない』
観念論としては理想郷的で居心地よさそうですが、今の世には向きませんね。





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