マドンナ・ヴェルデ
- カテゴリ:テレビ
- 2011/05/26 20:29:41
某国営放送のドラマです。
荒筋を申しますと、病気で子宮を失った娘に代わって母親が娘夫婦の
受精卵を使って代理出産をするというお話です。
当然のことながら、周囲には大きな波紋が及びます。
ましてや、今の日本では、認められていない不妊治療の方法です。
しかし、ドラマを見ておりまして『ただの不妊治療では片付けられない』
そう感じました。
女性にとって、心を寄せる伴侶の子供を産むことはどんなことなのか?
お腹を痛めていない子供は、遺伝的関係だけで親子と言えるのか?
他にも胸を締め付けられるような問題は多々あります。
そもそも出産というのは大変危険なものです。
20世紀後半数十年にはかなり減りましたが、出産に伴う母親の『死』は
当たり前のようにありました。
ましてや、ドラマの主人公である母親の年齢は55歳。
高齢出産もいいところで、命と引き換えになる可能性は今でもあります。
ドラマの中で親子の夫婦のあり方について対立があり、母親は
家を出ようとするシーンがあります。
その時娘が『私の子供を連れていかないで!!』と言いますが
母親がたしなめるように『いいえ、この子は、私の子です』と言います。
ものすごい説得力です。
何年か前、ある女性芸能人の1人が子宮を摘出しなければならなくなり
涙ながらに『主人に申し訳ない。子供が産めなくなって』と言って
涙に沈むような会見を見ました。
女性にとっては、ものすごく残酷なことなのでしょうねぇ。
後日、アメリカで代理出産してもらい、子供を連れて帰ってきたとき
子供に戸籍を認めてもらえませんでした。
先程も書きましたが、日本では代理出産が認められていないからです。
アメリカでは、この代理出産がビジネスのようになっており仲介業者は
何百社とあります。
なんか『そんなに簡単に金銭で子供をやり取りしていいの?』
などと思いましたが、やはり代理母と遺伝上の夫婦との間で子供の親権をめぐる
裁判が起こっているそうです。
先程も書きましたが、出産は非常に危険なものです。
それがしの母親も、それがしを産む前に4回流産しておりまして
それがしを出産した時も、かなりひどい出血に見舞われたそうです。
不妊治療とかは『夫婦の合意の下で』必要性はあるかとは思います。
しかし、代理出産というものはどうなのでしょう…
俗に『産みの親より育ての親』などと言いますが
産む方だって簡単にポンポン出せるものではないでしょう。
安易に良し悪しを下せるものではないでしょうが、
『出産はできない、でも、子供は欲しい』
そう言ったご夫婦は少なくないでしょう。
また、これだけ医療技術の発達した時代です。
『自分たちの遺伝子を持った子供が欲しい』
そう言った要求もあるでしょう。
目を背けてはいけない問題という風に思った次第です。
どんな方法がいいのでしょうねぇ。
皆さんどう思います?
広場からきました^^
十人十色でしょうが
なにもかも 思い通りの人生って
ちょっと怖い気がします
なにより つまんないですね・・
どこまで許されるか難しい問題ですね。
女性は妊娠すると分泌されるホルモンが脳に働きかけ
出産までに母性本能がより強く成長するそうです
代理母がいざとなって子供を引き渡そうとしなくなるのは
こういう事も一因ではないでしょうか?
また江戸時代には「三行半(みくだりはん)」(正式には離縁状)と言う物が
あったことはよく知られていますが
夫が紙に三本半の線を引いただけで勝手に離縁出来る物ではなく
結婚時に妻の側が納めた「持参金」を慰謝料として返済しなければなりません。
しかし江戸っ子は「宵越しの金はもなない」(と言うより持てない^^;)
と言われるように当然そんな蓄えはありません
そこで平身低頭妻の側に頭を下げて「離縁してもらう」事も多かったそうです。
話が少しずれてしまいましたが、現在のように不妊治療も無く乳児の死亡率が
多い時代ですから妻に子供が居た場合は再婚時に「歓迎」されたそうですよ。
医療技術の進歩によって「自分の遺伝子を残したい」という動物的エゴが
蘇ったとも言えるのが現状ではないでしょうか?
とてつもなく難しい問題ですね。
妊娠や不妊の問題はとてもデリケートな面があり、かつ感情的な面、生命観、宗教観さまざまな要素が絡んできますものね。
わたしの判断材料はマスメディアなどで報じられる表層だけなので、これからいろいろ知れば意見が変わることはあるかもしれませんが、あえて書きますと。
代理出産には反対です。
人間が「生命」というものに手を加えていい限界をギリギリ越えているような気がします。
この「限界」を決めるのが、人間自身なので、論議が分かれると思いますが。
本来母体内で行われる受精が人工的におこなわれるため、将来的になんらかの「加工」がされた「人類」が生まれるようになると思います。
恐らく、「頭がよくなる」、「足が速い」、「見た目が好ましい」など、まるでニコタのアバターのようにオーダーメイドで生命が「加工」されることになるでしょう。
もしかすると、もう始まっているかもしれません。
人類は、「可能」になった技術を必ず「やってみたくなり」、そして必ず「実践」してしまいます。
そのときたいがい「限定的」とか「安全」と言い、なし崩し的に行っていきます。
原発がいい例です。
わたしたち多くの人類は、高度で専門的な知識がないため、その良し悪しを判断することすらできません。すでに人間以外の「生命」は生物農薬やクローンなどさまざまな加工がされています。
また、少子化が進むにつれ各国は、「優秀」な子どもを多く世に出すことに必死になるはずです。
自分の遺伝子を残したいという強い欲求、家族や親類、社会からの執拗なまでのプレッシャー、想像できないほどの苦しみだと思います。
でも、次世代にこれ以上やっかいごとを押し付けてしまっていいものかと思います。
かろうじて制御できるうちに、勇気を持って止めないととりかえしのつかない厳しい「未来」を次世代以降に残すことになると思います。
ですから、わたしは現時点では反対です。
長々と失礼しました。
あまり男女にこだわりたくないです。