我が家の戦争秘話その1
- カテゴリ:その他
- 2011/08/09 16:14:03
戦後66年になったのでそろそろいいかなあと言うお話を書き残しておきます。
といってももちろん私は戦争体験者でもないので身内の話になります。
『あんまり誰にも言うたらあかん』と我が家では言われてる話。
身内と言っても母方系統のこと。
母の祖父つまり私の曽祖父が戦争に行ってるのです。
でこちらの私の祖父というのが結構早世だったので曽祖父をおじいちゃんと呼んでました。
孫、ひ孫の仲でも特に可愛がってもらってたので、学生のころの長期休暇のときは結構一人で遊びに行って
入り浸ってたのです。
で、この夏の時期になると必ずと言っていいほど戦争関係のドラマなどがありますが
それを見ると戦争に行くというのは赤紙(召集令状)が来るのです。
これで喜ぶ人はあまり主人公にはいない。それはそうです。
あとは元々の軍人さんとか『お国のため!』的な方が描かれてたりします。
小学生のころのある日。曽祖父が軍人だったとは聞いたことがないので、
ドラマだか見ててふと やっぱり赤紙が来て 曾祖母とか祖母とかみんな悲しんで、それでもお国のためにと
送り出したのかなあと思い聞いてみたのです。
『やっぱりじいちゃんに赤紙来たん?』
すると曾祖母がしばらく黙った後
『そう思うじゃろ?じゃけど違うんよ』 ちなみに彼らは広島の人。
『赤紙無しで戦争行ったん??じいちゃん軍人やったん?』
小学生程度ではもうよくわかりません。
曽祖父本人はニヤニヤしながら話を聞いてます。
『じいちゃんね。自分から行ったんよ。信じられんじゃろ。子供もちいさいのに。』
このときは自分から行くというシチュエーションが小学生的に理解の範疇を超えてたので
これ以上の話はしませんでした。
それから数年後。
多分身内に戦中、終戦直後世代がいらっしゃるなら聞いたことがあるかと思うのですが
『サツマイモjは見たくない』
うちの場合父方がそうでした。
『サツマイモのつるまで食べた』 再現されたすいとんを食べて『すいとんがこんなに美味いはずがない』とか
着る物。食べるもの とにかく何もなかったと言う話
ドラマなんかでもそういう話はたくさんあります。
けど また曽祖父宅に入り浸りに行っていたある日、ふと思い出しました。
母方の人達からはそういう話聞いたことないなあと。
さっそく聞いたわけです。祖母、曾祖母。曽祖父のいるときに。
すると
曾祖母がそれこそ 苦笑いしながら
『誰にも言いんさんなよ』と言いながら話したこと。
『食べもんはいっぱいあったんよ』 『子供の粉ミルクも』 ちなみに祖母の妹が戦争中は乳飲み子だった。
『なんで???』
『このじいちゃんがね 何した思う?』
『軍の物資をくすねて大量にうちに送ってきてたんよ』
曽祖父はいつものニヤニヤニヤ(・∀・)ニヤニヤニヤ
結局そのおかげで戦争が終わってからも蓄えた物資のおかげで
まったく何不自由なく暮らせたらしい・。・・
そりゃ言えないよね
文字数オーバーのためここで分割~♪