脳裏から離れない映像
- カテゴリ:日記
- 2011/12/24 20:25:45
今年も数々の歴史的事件・事故・天災、いろいろありましたねぇ。
その中では日本人であるそれがしは『東日本大震災』を挙げないわけには
いかないでしょう。
大きな揺れの後に東北地方太平洋岸を襲った津波。
驚愕の事態でした。
その中で最も涙を誘うのは、ある町役場の防災放送でしょう。
大槌町だったか南三陸町だったか忘れてしまいましたが
地震直後から津波に警戒するように放送が流れ、津波が観測され始めてから
『津波が・襲来・しております・町民の・皆さんは・高台へ・大至急・避難して下さい』
町役場にも等しく津波は襲ってきております。それでも放送は途切れず流れ続け
多くの人の命を救いました。
放送が途切れた時、町庁舎は完全に津波にのまれ、中にいた職員を
全てのみ去っていきました。
防災放送を流していた女性職員も行方不明となりました。
ニュースを見ておりまして、その後の遺体捜索で発見されたとは聞いてません。
この女性職員、5月に結婚する予定だったと聞きました。
町内放送を切り上げて身の安全を確保する選択肢もあったでしょうが
それをしなかったですね。
職務の重要性、それを認識していたからこそ一命をなげうったのでしょう。
いったいどれだけ多くの方が救われたことでしょう。
この行為、これ以上は筆舌には尽くせませんね。
脱帽して敬服するのみです。
今年はこの震災に限らず、様々な分野で時代を築いた方が多く他界されました。
改めて、今生きていることの実感と感謝の気持ちを大切にしつつ
新しい年を迎える準備をしたいと思います。
危機管理課所属の20代の若い女性が亡くなったので。
彼女が放送していたのは、役場の隣の防災庁舎の中で、
災害が起こった時に、町長たちが指揮を執る為の建物です。
その建物が津波で骨組みしか残っていません。
現在、遺族が町長に対して不信感を抱いているようです。
町長が仕事を中断させて、高台に避難するように命令していれば、
もしかすると助かったかもしれませんからね。
その母親が、「息子を誇りに思うし、立派だったと思うけど、それでもやっぱり逃げてほしかった」とインタビューに答えていたのが印象深いです。何が正しいとか間違ってるわけでなく、人間の暮らしってこんなかんじだなとしみじみ思いました。
忘れるわけでなく、引きずるわけでなく、新年を迎えたいなと思いますよ。
はいごに しのびよっていて
いろんなひと ものに
ふりかかるものですね。。。
きょうの しあわせを かみしめます。。。
女性職員の方は、自分を犠牲にしてまで町の人を救ったんですね。
涙が出てきますね><。