1948年の今日
- カテゴリ:勉強
- 2012/01/30 16:24:59
人類史上でも屈指の偉大な思想家、ガンディー氏が暗殺されました。
なにをやったか知らない方にも知って頂きたい。
この方がどんな活動をしたか。
別名『インド独立の父』
非暴力・不服従主義を身体を呈して実践された方です。
20世紀初頭、インドの統治国だったイギリスで弁護士として開業後
南アフリカで人種差別政策の撤廃運動に従事し、第1次世界大戦後
インドに帰国。独立運動に身を捧げました。
とは言え、暴力・武力闘争はしませんでした。
当時『塩』の専売をしていたイギリスは、インド国民の生命線を
握っていたわけです。塩は水とともに生活には欠かせません。
これに対抗するため『海に向かいましょう』と呼びかけ、首都ニューデリーから
アラビア海に向けて歩き始め、道々の農村で民衆に訴えかけました。
やがてこの行進には数千人数万人と膨れ上がり、アラビア海に達した頃には
イギリス軍は手も足も出ない規模になってしまいました。
武器をとっての犯行運動ではないため、逮捕・拘留ができなかったイギリスでは
ガンディー氏の存在は日に日に厄介なものになっていき、対に独立を
勝ちとるに至りました。
この他にもガンディー氏は、貧しい農村復興には学問が不可欠と
学校建設に代表される農村復興運動やインドに潜在的にあった宗教対立
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を呼び掛けを行っておりました。
独立の立役者でその功績に見合った要職には一切付かず、在野の
思想家として活動し続けました。
ガンディー氏の行くところには常に民衆が集まり、民族融和も叶うかと
思われていました。
しかし、宗教にかぶれた狂信者には『不埒者』でしかなかった存在で
狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺されてしまいました。
死ぬ間際まで恨みを口にしなかったと言われています。
宗教にかぶれた人間は、限られたフィルターでしか物を見ることができない
ということを如実に表しているのでしょうが、そういった誹謗も
ガンディー氏は受け入れることは無いでしょう。
民族・人類の融和のためには、互いを受け入れ寛容することが
肝心ということが根底には流れていると唱えて止まない方だったでしょうから。
出かけてたのでお返事遅れてすいません;;
本当にいつもいつもありがとうございます^^
いろいろ親にやってもらったらできました!
気をつけます><
アバターや部屋などが全部移らなくなってるんです
だからメルカッツさんの顔が見えませぬ。
今日中に修理します^p^
もっていた かただったのでしょうね。。。
メメは きっても しゅうしゅうしていますが
インドの きってに ガンディさん えがかれていました。。。
いつまでも ひとびとに
ゆうきや やさしさを なげかけているのだと おもいます。。