Nicotto Town



猫公方

空一面を薄っすらとした雲が覆い、洛中は日中も寒風が吹き抜けて
冷え込みが厳しかった。
 
文正元年(1466)も終わりが近づいた師走、京の七口の一つである
東寺口(鳥羽口)に、突如として、弓と毛皮で覆った空穂(矢入れ)を
背負った騎馬武者の一群が現れ、槍を担いだ徒歩の士がこれに続き
さらに騎馬武者達がこれに連なった。
 
一群は、室町御所と同じ、丸に二つ引両の旗を靡かせながら
北に向かって通り過ぎて行った。
 
「あのいかつい顔付きの大将が、河内の獄山城に籠もって幕府の
大軍を相手に3年近く争いはった、右衛門佐(畠山義就)はんや」
 
通りでこの光景を見物していた一人が言った。
 
「せやけど、なんでその右衛門佐はんが、京に出て来よったんや?
万里小路の館(畠山邸)には管領(畠山政長)はんがいやはるのやで?
この京で管領はんと合戦しやはる気やろか?」
 
隣にいた男が不安気につぶやいた。

「これは、いよいよ猫公方どののおかげで、この京が焼野原に
なるやもしれぬ」

着古した雲水衣に、蓬髪姿、腰に朱鞘の太刀を帯刀しているという
風狂な姿をした僧が言った。

「今の御所様(8代将軍・足利義政)が...猫ですか?」

その僧の隣で思慮深げな目で通り過ぎて行く軍勢を眺めていた
男が少し驚いて尋ねた。

「畠山の家が2つに割れて、十年余りの間、今の御所殿は
この家の家督争いの裁可をまさに猫の目の如く、何の忠も咎 も無い
両者に勘当と赦免を繰り返し、右衛門佐に至っては、勘当される事と
赦免を受ける事、両3度に及ぶ。
これが為に、領国の河内や隣国の大和では久しく兵火が
絶える事が無い。 ・・・あの御所のやり様は、常にこの有様じゃ」

僧は辟易とした表情でそう言い放った。

(どうやらこの禅師どのは反骨の精神の持ち主らしい)
隣で聞いていた男はそう思った。

(確かに、何の定見も持たず、政務を周囲の言うがままに
している今の御所では、天下は一向に治まらぬ)

今より数年前、連年の天候不順と災害、蝗害等で、大飢饉となり
寛正2年(1461)の2月頃には京に餓死者があふれる惨状に
なった(一説には8万2千人と言われる)

この最中に義政は、室町にある(花の御所)の大改築を行い
市中で炊き出しを行っていた願阿弥と言う時宗の僧に
わずか500貫文の施しを行っただけで、自身は巨額の費えを
投じての庭園作りに熱中し、これを聞いた後花園帝がご心痛の
あまり、「残民争いて首陽の蕨を採る」で始まり、
「満城の紅緑、誰が為に肥ゆる」で終わる漢詩を義政の元へ
届けさせた程だった。

その後も3管領家(細川、畠山、斯波家)の内、畠山、斯波両家は内訌で
争乱が続くなど、世上は混沌としていたが、義政は猿楽、花見の酒宴
等に日を送り、「咲き満ちて、花より外の 色もなし」等と浮かれていた。

この頃には、義政は隠退して数寄生活に没頭したいと思う様になり
嗣子が無かった為に、寛正4年(1464)12月、当時、天台宗浄土寺門跡
だった弟の義尋を「後に実子が誕生しても僧籍に入れる」と言う誓紙まで
出して強引に還俗させた後、足利義視と名乗らせて家督を相続させようとしたが
果たして翌年11月、御台所(正室・日野富子)が男児を産むと、義政は
この継嗣問題を曖昧にした。

実は僧の隣で話を聞いていた男はこの頃今出川殿と呼ばれている
足利義視の元に出仕していた。

「まったく、女と言う御蔵は、釈迦も達磨も、お世継ぎもひょいひょいと産む」

禅師どのがひどくきわどい事を言った。

(いずれにしろ、こうも天下の名家がそれぞれ2つに割れて争っている様では
民の迷惑は計り知れぬ)

そう思っている、この男は後に駿河今川家と言う大守護の家督騒動で、主導的役割を
果たす事になるのだが、この時にはその運命を知る由も無かった。

「まあ、こんな事を道端でどうじゃこうじゃと言うのも愚かと言うものじゃ」

禅師どのはそう言うと笑って歩き出して行った。

(あれは、高名な一休禅師殿では無かろうか?)

はるか後世に(北条早雲)と呼ばれる事になる男は思った。

翌年一月、両畠山は上御霊社で激突、敗れた畠山政長は一時行方知れずとなった。

3月、朝廷は戦乱を避けたいと言う想いから元号を応仁と改めた。

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2012/02/26 00:24
そりゃこれだけの内容を書こうと思ったら大変な準備がいったと思います。

ブログノートが要りそうですね (ノ≧∇≦)ノ だけどその力量に感動です@@

(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチパチ
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2012/02/25 23:28
まゆさん

コメントありがとうございます。

そうですね。荒れた時代です。

そもそも、成立当初から、朝廷が南北に別れてるし、6代と13代は、家臣に殺されるし
後半は戦国時代になってるし、比較的平穏だったのは、4代の義持の時位でしょうね。
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2012/02/25 23:22
やあさん

コメントありがとうございます。

元々は読み辛い人名、畠山義就(よしなり)とか、漢字、空穂(うつぼ)とかに
読み仮名を入れて、少なくとも2点について、(御所とは本来、今上(天皇)の
在所を指すが、この時代には将軍やその在所をそう呼んでいた事、)
(北条早雲が在世中に北条姓を名乗った事が無い事)注釈を付けるつもりだったのですが
字数がギリギリだったので省いてしまいました><
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2012/02/25 23:21
パールくんさん

コメントありがとうございます。

出来るだけ、雰囲気を出そうとしたら、こうなってしまいました><

出来るだけわかりやすく簡潔にと言うのは今後の課題にします><
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2012/02/25 22:56
スイーツマンさん

コメントありがとうございます。

この辺りの時代と言うのは、ここでは書き切れなかった程に
無意味に混沌とした状況だったので、題材としてはあまり
選ばれない様な気がします。

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2012/02/25 22:40
sakinoさん

コメントありがとうございます。

うろ覚えの部分が多かったので、考証の(ウラ取り)に結構時間がかかりました。
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2012/02/25 20:07
北条早雲と一休さん(成人)の出会いですね。
一休さんの成人向けのとんちにwwww
室町時代って荒れた感じがする~。

漢字が多い件については、内閣総理大臣ミッキーマウスくんになんとかしてもらいましょうw
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2012/02/25 17:53
わ・・・わわわわわ^^;

パールくんさんと同じく、ハードルが高い~^^;

読めない字がいっぱい~^^;

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2012/02/25 13:38
ぅぅー、すごい。。。難しい言葉がいっぱい(*´∀`)
歴史小説って、普段は使わない言葉とか多いから、難易度高いですー!
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2012/02/25 07:55

  歴史小説が好物のご様子
  マイナーな人・足利義政に着目
  往時の有名人が続出してますね
  
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2012/02/25 01:01
え~~かいじんたま この文章ご自分で@@ すごいこんな難しい漢字もいっぱいだし
よくこれだけの歴史を踏まえてかかれましたね@@ 感心って言うか感動しました@@



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