Nicotto Town



丑の刻を駆ける鬼


車窓の外では、陽が落ちて、次第に春霞の空が闇に包まれて行くのが見えた。

汽車は蒸気と煙を吐きながら、山あいの谷間を流れる川沿いに沿って並行しながら
走り続けている。
ぼんやりと、がらんとした車内に目を移すと、斜め向かいの座席に座っている
ロイド眼鏡を掛けた中年男が手にしている新聞の見出しに、公布されたばかりの
「国家総動員法」の文字が見えた。

昨年からわが国はずっと支那で戦争を続けている。

♪ 臣民我等皆共に御稜威(みいつ)に副(そ)はむ大使命
  往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
 四海の人を導きて
 正しき平和打ち立てむ・・・

  嗚呼悠遠(ああゆうえん)の神代(かみよ)より
  轟く歩調受け継ぎて
 大行進の行く彼方
 皇國(こうこく)常に榮えあれ ♪  (愛国行進曲)

僕は一年前に村から町に出て徴兵検査を受けた時の光景を思い出した。

・・・

「軍医さん、わしゃあホンマに結核なんですかのう?」

検査官の軍医に僕は訊ねた。

「貴様、陸軍軍医のワシの診察を疑ォとるんか?
 
貴様は確かに結核じゃ。

今の体じゃお国の役に立てりゃあせんわい!
しっかり、養生せい!」

検査官の軍医はそう答えた。

・・・

汽車がトンネルに入り、窓の隙間から冷たい風が入り込んで来て
僕は少し咳き込んだ。

僕の父も母も僕と姉がまだ幼い頃に結核で相次いで死んだ。

その後僕は、2つ上の姉とともに祖母に引き取られて村にある
祖母の家で暮らす様になった。

3年前に姉が少し離れた他の村に嫁入りして、今は祖母と2人で
暮らしている。

そうして僕は21歳の今日まで生きて来られたわけだけども
僕も両親と同じ様にそれほど長くは生きられない気がする。

僕は窓の外を流れて行く闇を眺めながらそんな事を取りとめもなく
考えた。

・・・

荷物を抱えて、プラットホームに降りると真っ黒い山並みの上の方に
朧月が浮かんでいるのが見え、少し湿り気のある、春の夜風が心地よく感じた。

駅の改札を抜けて、駅前の小さな広場には薄っすらとした月明かりの下で
何本かの桜が満開になっている。

僕はその真下に立って枝々を埋め尽くした花を見上げながら、ちょうど一年前の
今と同じ頃、夜になって真っ暗になってから村の神社の境内に行き、
満開の桜の木の下の暗がりの中で密やかにサエと会って過ごしていた事を
思い出していた。

今ではいろんな事が、あの頃とはすっかり変わってしまった・・・

駅前の広場を抜け、何件かの家を通り過ぎて、田んぼの中を山際に向かって
伸びた、真っ暗な道を月明かりを頼りに祖母と暮らしている家のある
集落に向かって歩いて行く。

道は途中で別の集落に向かって行く道と僕の集落に向かって行く道とに
2つに分かれていて、道の脇に沿って続いている電柱と電線もそこで
二手に分かれている。

僕は集落が停電になった時、集落の人達から修理を頼まれて、その電柱に
上った事があるので、その気になれば、僕の集落の送電だけを切断して
集落を停電させる事が出来た。

僕はその分かれ道を左に曲がり山の峠に登って行く途中にある僕の
集落に向かって歩いて行く。

・・・

僕が徴兵検査で丙種合格(注・この頃では召集される事が無く事実上の
不合格に近かった。)になり、結核である事が知れると、集落の中で
僕は少しずつそれまでとは違う目で見られる様になって来た。

「なんぼ頭がええ言うてもなあ・・・お国の為に役に立てんのじゃったら
おえりゃあせんがな。」

集落の女の一人は、僕が側を通りがかった時、僕に聞こえよがしに
一緒にいた女に向かって言った。

その女は僕が18の時、僕に女を教え、僕に女の体で孤独を紛らわせる事を
覚えさせた。

「あんたも、今までずっと一緒におったお姉さんが嫁いで行ってしもうて
寂しゅうなってしもうたなあ。・・・まあ、ちょっとウチでお茶でも飲んで行きんさい」

そう言って亭主が遠くに出かけていない日に僕を家に招き入れた。

それから、集落の何人かの女と関係を持ち、一時の間、孤独を紛らわせる
事が出来る様になった。

僕は山奥の集落で鬱屈した思いを内に感じながらも、そうやって何とか
日々を過ごしていたが、やがてサエと会う様になって、それまでとは違った
それまで感じられる事の無かった満ち足りた気分を感じられる様になった。

僕とサエは相手を求め、相手に求められる関係になった。

しかし、そのサエも手のひらを返した様に冷淡になった、他の女たちと
同じ様にやがて僕を避ける様になり、その後縁談がまとまるとすぐに
他の村に嫁いで行った。

・・・

竹藪には囲まれた真っ暗な坂道をしばらく登って歩き、藪を抜けた所で
ようやく僕の暮らしている集落が見えて来る。

いつの頃からか、僕の心の中には、押さえ切れなくなった感情が出口を失ったまま
ぐるぐると渦巻いていて、それがずっと僕の胸を疼かせている。

僕は長い間、その感情を爆発させる事をずっと考え続けている。

しかし、祖母や今は他家に嫁いでいるが、子供の頃、母親代わりの様に
ずっと面倒を見てくれた姉の事を考えると、僕の心は暗く、重くなる。

・・・

祖母が寝静まった後、僕は自分の部屋として使っている、屋根裏部屋で
今日、町で調達して布に包んで持ち帰って来た日本刀を取り出して
電球の下で鞘を抜きあらためて刀身を調べて見た。

次に部屋のずっと奥に隠しておいた、五連発式を自分で九連発に改造した
ブローニング猟銃を手にとってその重量感を確かめた。

猟銃を隠している場所には900発の弾と懐中電灯も2つ用意してある。

僕はそのひとつを手にとって、電球を消して、それを点灯させてみた。

暗闇の中で懐中電灯に照らし出された部分の壁が小さな輪になって
ぼんやりと見えた。

小型なので、光も弱く2つ同時に点灯させたとしても照らせる範囲は
小さいだろう。

(自転車用のランプならもっと明るく広い範囲を照らし出せる・・・)

と、僕は思った。

電灯を消すと部屋の中は真っ暗になった。

(来月、サエが家の手伝いの為に、この集落に帰って来る・・・)

三日前、祖母が集落の誰かからそう聞いて来た。

暗闇の中で僕はその事を思い出していた。

・・・

昭和13年(1938)5月21日

同日午前一時四十分頃から、同三時前後にかけて

O県 T郡 N村 K部落に於いて

同部落に住む、21歳の青年が自宅で祖母をナタで、殺害したのを

皮切りに、5連発猟銃を、改造した9連発銃、日本刀等で、武装して11件の民家を

次々に襲撃、わずか一時間あまりの間に

30名を殺害(即死28名、重傷後死亡2名)

重軽傷者3名を出すと、言う事件が起こった。

襲撃された家は、一軒を除き、全てK部落内にあった。

犯人は、事件直後に、山中で自殺した。

・・・

(この話は実話をヒントにしたフィクションです。)

アバター
2013/05/07 00:45
なんか時間がタイムスリップしたような感じのお話で 読み入ってしまいました。

だけどこんな怖いお話が実話に合ったなんて 怖いことです><

↓ の方もおっしゃっておられますが松本清張の「砂の器」テレビヴァージョンの

お話にも合ったような・・・・・ 人間の凶器って恐ろしいですね
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2013/05/06 06:44
松本清張のお話にもこんな場面が…
いろいろ引用されてますね
アバター
2013/05/04 19:06
「たたりじゃ~」の台詞が有名なお話も確かこの一件がモデルでしたっけ?
それと、梶井基次郎の「檸檬」の一場面もふと頭を過ぎりました
やり場のないエネルギーを内側から一気に溢れさせるか、
そうはせずにほんの些細な疑似行動ですませるか
紙一重なんじゃないかと思いました
アバター
2013/05/04 09:08
甲種合格できず戦地に行けなくても
後に立派に役に立てた人はいっぱい居るのに>_<
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2013/05/02 21:45
松本清張も書いていましたよね。読んでいませんが……。

実に効率的に殺した感じですね。
まさに、理性だけになって感情がなくなった状態でしょうか。
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2013/05/02 20:19
津山三十人殺し ですね。

事件後他の村に嫁いでいた姉が遺骨を取りに来たそうです。個人的にはそのお姉さんが気の毒。
アバター
2013/05/02 16:28
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

人を殺しちゃだめぇ・・・(;_:)

自暴自棄になっちゃっていたのでしょうね・・・(;_:)
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2013/05/02 01:20
 けっこう有名な事件のようですね
 残念でもありますが、同情できないアンチヒーローでした
アバター
2013/05/01 21:24
 何人かの作家さんも、この実話を題材に作品を書いていますね。
 あの時代。
 今よりもずっと世間は狭くて、なのに冷酷でした。

 主人公の気持ちの流れのようなものが、とても切ないです。
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2013/05/01 14:11
徴兵不合格という烙印がそんなに重かったとは知りませんでした。
うちの父方にも母方にも不合格者がいたそうですが、
どちらもその後、出世しています・・・・。
やけを起こさなければ主人公の人生も変わったかもしれないと、悲しくなりました。
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2013/05/01 06:20
やりきれないと思いました
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2013/05/01 00:52
たまに、こういう事件あるね。
サエさんがそのままだったら、こういう事件起きなかった?
幽霊と付き合うよりは、マシよね…… 
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2013/04/30 18:47
秋葉の事件を思い出しました



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