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橋下発言が飛び火 大勲位・中曽根元首相…慰安所


...memo

・・・「終りなき海軍-若い世代へ伝えたい残したい-」、、、ホモ曽根氏の慰安所。。。^^;


橋下発言が飛び火 大勲位・中曽根元首相と「慰安所」
(日刊ゲンダイ2013/5/16)

橋下徹・大阪市長の「慰安婦は必要だった」発言に世界中が怒り、呆れ返っている。

デモが起きた韓国だけでなく、ヨーロッパや中東でも橋下発言が大きく取り上げられた。いかに人権無視のトンデモ発言だったのかがよく分かる。


橋下発言をキッカケに、78年に出版された「終りなき海軍」(松浦敬紀編著)という本が注目されている。なんと、大勲位の中曽根康弘が、戦前、「慰安所」建設に関わっていたことが記されているのだ。
この本のなかに、〈三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやった〉という大勲位の発言が出てくる。
中曽根元首相は出版後の会見で、この発言の真意を問われ「事実と違う。つくったのは海軍の工員の休憩と娯楽の施設」と否定していた。
ところが、最近になって、中曽根元首相が積極的に慰安所づくりに関与していた“証拠”が見つかったのだ。
「高知県の市民団体が2年前に公表したところによると、62年に当時の防衛庁がまとめた資料に、中曽根元首相が戦前、海軍の主計長を務めていた『海軍航空 基地第2設営班』についての記述が出てくる。インドネシア・ボルネオ島において『主計長(中曽根)の取(とり)計(はからい)で土人女を集め慰安所を 開設』と記されているのです。民家を慰安所につくり替えた地図も残っていて、信(しん)憑(ぴよう)性が高い」(軍事ジャーナリスト)

いつ批判の矛先が自分に向けられるか、大勲位はヒヤヒヤしているのではないか。

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8810.html

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橋下「風俗発言」慌てて謝罪
(日刊ゲンダイ2013/5/16)

「国際感覚が乏しかった」
日本維新の会の橋下共同代表が「風俗発言」について慌てて謝罪だ。
きょう(16日)午前、フジテレビの番組内で、在日米軍に風俗業の利用を求めた自らの発言について、「国際感覚が乏しかった。


非常に反省すべきところだ」と述べ、「アメリカの風俗文化について認識が足りなかった」と釈明した。
しかし正式撤回はせず、「米兵には性的エネルギーのコントロールを議論してほしい。(風俗の利用は)方法のひとつ」と発言。また、旧日本軍の従軍慰安婦に関して「容認はしていない」と強調した。高まる国内外の批判を収めようと謝罪に踏み切った形だ。

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8811.html

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2013/05/22 15:34












あのねあのね様

佐々と寺尾の関係は、佐々自身が書いた本に書いてあるから、まず、間違いはないよ。佐々は自分が書本の中で、オウム事件のとき、寺尾に逐一、指示を出していたことを自慢気に語っているよ。本人が書いた本でそう言っているのだから、まず間違いはないよ。

嵐は嫌
2012/12/04 21:56

ちなみに、警察って移動とかあるし、後藤田みたいに
内務省時代の警察になると、移動の幅も広くなるわけ。
後藤田の場合は一時期、自治庁にもいたから、
警察庁→自治庁→警察庁てなふうに移動しているよ。
実はこの移動ってかなり重要。後藤田の自治庁時代の上司は小林よそじ
(ごめん、ケータイからだと漢字が出ない)なんだけど、
小林の義父が正力松太郎なのよ。正力とホモ曽根が
原発業界を引っ張ってきたのは有名だけど、要するに、
ホモ曽根とナベツネと後藤田の3人は正力の子分として同僚。
ホモ曽根が統一教会の代理人でオウムの黒幕なのは
説明はいらんでしょ。佐々の場合は、警察という
職歴の間に香港総領事館領事をやっている。やつらは、
移動があるから、警察庁だとか警視庁だとかで区分すると、
重要な部分を絶対に見落とすよ。あのねあのね様、
このぐらいは、知っといてね。いつもインテリ気取って
投稿しているんだからさ。

あと、自衛隊も元々は警察予備隊だから、
警察官僚から防衛官僚に転身した人間もけっこういる。
オウム事件において、もっとも怪しいのは、このタイプの
人間。自衛隊と公安警察の両方にパイプが無いと、
サリン事件なんかは、実行がかなり難しいしね。
そういった類いの人間がカルトと繋がっているのでしょう。
ちなみに、寺尾の場合は、公安畑から、刑事に移った
タイプ。
要するに、エライ順に書くと、正力→小林→後藤田→
佐々→寺尾という腐敗ラインが警察内部にはあるわけ。

で、重要なのは、ノン・キャリアの人間が出世する
ケースの後ろ楯ね。そういうケースは、上記のラインに
属した場合が殆ど。

嵐は嫌
2012/12/04 22:40
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2013/05/22 15:34

もうちっと言うとさ、後藤田が一時期、自治庁時代に、
読売の小林の直属の部下だった
事実は大きいよ。なんせ、ナベツネと氏家は大学時代に
共産党党員だったってだけじゃ
なくて、革マルの黒田と出身校が
同じで、友達だったらしいからね。
まあ、細かい情報も、一個一個
点を線で繋げていくと、新しい
発見があるわけだ。ろくすっぽ
調べもしないで、インテリぶって
怠けていちゃいかんよ、人間は。

嵐は嫌
2012/12/05 00:14





すいませんが、御高察を。
richardkoshimizu's blog
<< 作成日時 : 2012/12/03 12:43
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_28.html










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2013/05/22 15:26



橋下徹の偽装裁判       が判明しました     http://antina2010.com/



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2013/05/22 15:25





橋下「風俗発言」慌てて謝罪
(日刊ゲンダイ2013/5/16)

「国際感覚が乏しかった」
日本維新の会の橋下共同代表が「風俗発言」について慌てて謝罪だ。
きょう(16日)午前、フジテレビの番組内で、在日米軍に風俗業の利用を求めた自らの発言について、「国際感覚が乏しかった。


非常に反省すべきところだ」と述べ、「アメリカの風俗文化について認識が足りなかった」と釈明した。
しかし正式撤回はせず、「米兵には性的エネルギーのコントロールを議論してほしい。(風俗の利用は)方法のひとつ」と発言。また、旧日本軍の従軍慰安婦に関して「容認はしていない」と強調した。高まる国内外の批判を収めようと謝罪に踏み切った形だ。

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8811.html







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2013/05/22 15:25




橋下発言が飛び火 大勲位・中曽根元首相と「慰安所」
(日刊ゲンダイ2013/5/16)

橋下徹・大阪市長の「慰安婦は必要だった」発言に世界中が怒り、呆れ返っている。

デモが起きた韓国だけでなく、ヨーロッパや中東でも橋下発言が大きく取り上げられた。いかに人権無視のトンデモ発言だったのかがよく分かる。


橋下発言をキッカケに、78年に出版された「終りなき海軍」(松浦敬紀編著)という本が注目されている。なんと、大勲位の中曽根康弘が、戦前、「慰安所」建設に関わっていたことが記されているのだ。
この本のなかに、〈三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやった〉という大勲位の発言が出てくる。
中曽根元首相は出版後の会見で、この発言の真意を問われ「事実と違う。つくったのは海軍の工員の休憩と娯楽の施設」と否定していた。
ところが、最近になって、中曽根元首相が積極的に慰安所づくりに関与していた“証拠”が見つかったのだ。
「高知県の市民団体が2年前に公表したところによると、62年に当時の防衛庁がまとめた資料に、中曽根元首相が戦前、海軍の主計長を務めていた『海軍航空基地第2設営班』についての記述が出てくる。インドネシア・ボルネオ島において『主計長(中曽根)の取(とり)計(はからい)で土人女を集め慰安所を開設』と記されているのです。民家を慰安所につくり替えた地図も残っていて、信(しん)憑(ぴよう)性が高い」(軍事ジャーナリスト)

いつ批判の矛先が自分に向けられるか、大勲位はヒヤヒヤしているのではないか。

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8810.html





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2013/05/22 15:24







中曽根元首相:旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない-慰安婦問題
記者:廣川高史 - March 23, 2007 01:18 EDT

3月23日(ブルームバーグ):中曽根康弘元首相は23日午後、日本外国特派員協会で記者会見し、自らが旧海軍時代に従軍慰安婦が詰める「慰安所」を設置したと指摘されていることについて「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」と否定した。

従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与の実態に関しては「具体的なことは知らない」と述べるにとどめたが、「日本として謝罪すべき問題だ」とも指摘した。また、米下院に提出された旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する対日非難決議案へ日本政府が取るべき対応について「結果次第だ。考えるべき問題があれば考え、処置すべきことがあれば処置すべきだ」と語った。

また、安倍晋三首相が、当時の官憲などが慰安所の設営や慰安婦の募集・移送に関与していたことを認めて「おわび・反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を継承する、としていることに賛同する考えを強調。その上で、「日本政府、国民は正式な謝罪を行っている。改めて政府が言うチャンスがあれば必要だ」とも語った。


http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=auVti5ZLiSxw&refer=jp_asia%253Cbr/%253E








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2013/05/22 15:22







国民が知らない反日の実態 - 従軍慰安婦の正体
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/11.html




従軍慰安婦の真実
従軍慰安婦の証拠を検証するページです (図解入り)
http://makizushi33.ninja-web.net/





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2013/05/22 15:21





磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.] 様
鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!




終りなき海軍-若い世代へ伝えたい残したい-

2010年08月13日 | 読書日記など


『終りなき海軍-若い世代へ伝えたい残したい-』
   松浦敬紀・編著/文化放送1978年

この本は、中曽根康弘が「慰安所」をつくったと書いているので、いろいろな本で引用されています。
ですから、一度、手にしておきたいと思いました……。

若き日の、海軍時代のモノクロの写真もありました。中曽根の文章は9ページありました。

「二十三歳で三千人の総指揮官」衆議院議員 中曽根康弘(海軍主計大尉)。下「」引用。
「-略-三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。-略-」

もくじ

この本は、元海軍の人たちが、いろいろ文章をよせています。下「」引用。
「本書が「終りなき海軍」と題したのは、このためであり、かけがえのない体験を素直に語ってもらうことによって、その心のひだにふれることができよう。同時に本書は、旧海軍の人びとの、若い世代への申し送りになっていることも特にふれておきたい。」

「超党派の政界「オールド・ネイビイ・クラブ」」 下「」引用。
「日本海歌群に籍をおいた国会議員は衆院四十一人、参院二十六人の合計六十七人。このうち共産党と社会党の一部議員を除く党派の“海軍議員”が超党派で、「オールド・ネイビイ・クラブ」をつくっている」

共産党にもいたんですね……。

読売新聞の正力享(九期)も海軍であり、文章を寄せている。

福田総理はお伊勢さんにはお詣りするが靖国神社に行かなかったという。





http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/27481a957a3dbc1cb720eb257d520e11







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2013/05/22 15:19





2011/10/27中曽根康弘元首相(旧海軍の主計中尉当時)の慰安所『取り計らい』問題
2011年11月01日 11時05分24秒 | 日記

2011/10/27中曽根康弘元首相(旧海軍の主計中尉当時)の慰安所『取り計らい』問題


中曽根康弘元首相(旧海軍の主計中尉当時)、慰安所「取り計らい」を作ってやった!! ⇒旧海軍資料に記述(防衛省防衛研究所の史料閲覧室で発見証明される)




中曽根康弘元首相が旧海軍の主計中尉のころ、
ボルネオのバリクパパン(現インドネシア)で慰安所の設置に関与したことを示す、
旧海軍の資料を市民団体「平和資料館・草の家」(高知市)が入手し、
2011/10/27発表した。
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2013/05/22 15:18

■中曽根康弘は回顧録で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と記している
ことがすでに明らかになっている。

■資料は「海軍航空基地第2設営班資料」。同館(市民団体「平和資料館・草の家」)が、
『 防衛省防衛研究所の史料閲覧室 』で見つけた。

「第二設営班 矢部部隊」の活動状況が25ページにわたり記されている。
隊長、工営長、軍区長と並び、『 主計長 』として中曽根康弘の氏名があった。

■資料によると、
部隊はダバオに上陸した翌1942年にバリクパパン(現インドネシア)で飛行場の整備などに従事。その際、「(隊員の)気荒くなり、日本人同志けんか等起る様になる」などとして、

●「主計長の取計(とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」と書かれている。慰安所の場所を示す地図もあった。

■2011/10/27日に記者会見した同館(市民団体「平和資料館・草の家」)は、
「中曽根康弘が現地の女性を集めて慰安所を設置するよう計らったことは明らか。
海軍の関与を示す重要な資料」と主張している。



●中曽根康弘は「終りなき海軍 若い世代へ伝えたい残したい」(文化放送開発センター出版部、1978年刊)に回顧録を寄稿。
設営隊の主計長としてバリクパパン(現インドネシア)に上陸した当時を振り返り、
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と記していた。


中曽根康弘の回顧録をめぐっては、
●辻元清美衆院議員(当時社民党)が2007年3月に質問主意書で取りあげたところ、
政府は答弁書で「回顧録の中に(慰安所の)記述があることは承知しているが、関係者からの聞き取り調査については答弁を差し控えたい」と回答していた。


朝日新聞は記者会見があった2011/10/27日に、
中曽根康弘事務所にコメントを求めたが、2011/10/31日までに回答はなかった。
朝日新聞(中島嘉克)


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大須田勉




摂氏99度崩壊寸前・間違いなく公開されるヒミツ計画 様
http://blog.goo.ne.jp/rdxcv99/e/8125878074027b0075bde3f1419b13b8



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2013/05/22 15:17





ボルネオ島の日本海軍322基地に「設営班慰安所」 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設/ブログ高知 から

2011-10-27 15:15:34 | 社会


ボルネオ島バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述   高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり)

中曽根康弘海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして、各方面が追求してきました(本人は、いわゆる従軍慰安所ではないと否定してきました)。高知市の平和資料館・草の家(岡村正弘館長)は、防衛省防衛研究所に、その問題に関連した資料があることをつきとめ、10月27日午前、その文書の内容を記者会見で報告しました。その文書は、ボルネオ島バリックパパンの日本海軍322基地に海軍の「設営班慰安所」があったこと、それは、中曽根康弘主計中尉の「取計」で「土人女を集め」、1942年3月11日に開設したとをのべています。(藤原義一)


 【文書の所蔵先】

 草の家の会見によると、その文書は、東京都目黒区の防衛省防衛研究所にあります。同所の戦史研究センター史料閲覧室で閲覧できます。請求記号は「⑤航空基地」、史資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(表紙をあわせて26ページ)です。
 この文書は、海軍航空基地第2設営班の幹部だった人(宮地米三氏)がまとめたもので、1962年4月に、その文書の複製がつくられ、それを同研究所が収蔵してきたものです。
 文書の中身は、①同班の動きの大要を書いた縦書きのもの、②その詳細を書いた横書きのメモ、③地図などです。
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2013/05/22 15:16

【文書の意味】

 中曽根康弘氏は、かつて、「衆議院議員 中曽根 康弘 (海軍主計大尉)」の名で「二十三歳で三千人の総指揮官」という題名の文章を書いています。松浦敬紀編著『終わりなき海軍』(文化放送センター。1978年8月30日)の90-98ページに載っています。
 これに、つぎのようなことを書いています。

 ・ 海軍主計中尉だった1941年11月26日、設営隊の主計長を命ぜられた。部隊を編成し、11月29日に出航した。目的地は、フィリピン、インドネシアだった。
 ・ 12月8日の開戦と同時に、「わが船団」は、ダバオに突入した。早速、飛行場設営の仕事が始まった。
 ・ その後、バリクパパンに進入した。
 ・ 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。………」
 この文章の「慰安所」について、中曽根氏はジャーナリストに質問されてきました。
 中曽根氏は、それは、いわゆる軍慰安所ではないといってきました。
 しかし、こんどの文書には、中曽根氏が「苦心して」「つくってやった」慰安所が、中曽根氏が「土人女を集め」て日本海軍の基地内につくった日本海軍の慰安所だったことが書かれています。

*以下 サイトでお読みください(画像あり)
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html

続きもあります
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-4383.html




薔薇、または陽だまりの猫 様
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/63a687a23f53e53682b0e31124bc12a9

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