Nicotto Town



あの夏、君と海を見ていた頃


中学校の校門を出て国道や駅の方に向かっていく道を手前で右に曲がり
真夏の強い陽射しを一杯に浴びている青々とした水田の中を、真っ直ぐに
伸びた細い道を少し歩いて行くと丘陵沿いに家並みの続いている
集落にぶつかる。

さらにその集落を通り過ぎて、坂道を少し登って行くと道は切り通しになりさらにその先の
30メートル程のトンネルを抜けると鮮やかな青さの海が視界に広がった。

道はそこから海岸沿いを丘陵に沿ってゆっくりと下って行き砂浜の側を通って
漁港近くの瓦屋根の家が密集して建っている辺りの方まで続いている。

中学3年の夏休みのすごく暑かった八月初めの頃、僕は同じクラスだった谷原真梨子と
その道を歩いていた。

陽射しを遮る雲は無かったが、丘陵ののずっと彼方の方に入道雲が湧き上っているのが
見え、午後の静寂の中、蝉の鳴き声だけが辺りを覆っていた。

僕と谷原真梨子は、全身に陽射しを浴びて汗をかきながら水田の側の道を歩き
丘陵の切り通しの所までたどり着いた所で、やっと烈しい陽射しから逃れる事が出来た。

・・・

「上本クンって何と無く、小説書いたりするの向いてそうな気がする」

谷原真梨子が言った。

「小説?」

僕は少し驚いて思わず立ち止まった。

僕らはその時、切り通しの道から海岸の方へ抜けて行く短いトンネルの中にいた。

トンネルの中は少し空気がひんやりとして感じられ、両側の出口の方から聞こえて
来る蝉の鳴き声もちょっとだけ遠く感じられた。

僕はその頃、本なんて殆ど読んだ事が無かったし、文章を書いてみようなんて
考えた事も無かったので、彼女の言った事がすごく唐突であまりに意外だった。

「うん、上本クンと話したり、上本クンを見てたりすると、そんな事を思う事がある」

谷原真梨子は言った。

トンネルの暗がりの中でうっすらと見える僕を見ている彼女の視線は、僕の表情を
見ている様にも見えたし、僕の視線から僕の内面にある何かを読み取ろうと
している様にもみえた。

そのあと僕らは、トンネルを出て海岸沿いの道を岩場と岩場の間に少しだけ
広がっている砂浜の方に下りて行って、強い陽射しにじかにされされながら
かなりの時間をそこで過ごした。

その時、どんな話をしたのかは、今となってはあまりよく思い出せないけれど
あの日、海岸の方へ抜ける小さなトンネルの中で彼女が言った言葉と
トンネルのうす暗がりで見たその時の彼女の表情、そして真夏の太陽の下の
小さな砂浜で彼女と2人きりの時間を過ごしていた事は、鮮明な印象で
強く僕の記憶の中に残って、僕はその後も時々、その時の事を思い出した。

・・・

大通り沿いの2Fにあるコーヒーショップの窓に面したカウンター席から
外を眺めてみると、今日一日、都会を烈しく灼き続けていた太陽は
オフィスビルや高層マンション等が延々と建ち並んでいる、大通りの
向かい側の景色のかなり西の方の上空あたりまで傾いていた。

時計をみると午後5時をいくらか回っていた。

僕はそれまで読んでいた文庫本をしまって、グラスを載せたトレイを持って
立ち上がった。

コーヒーショップを出てまだかなり強い陽射しと熱気に包まれている大通りの歩道を
駅の方へ向かう交差点の方に歩いて行った。

交差点で交差している別の通りを右の方に歩き、線路のガード下を抜けて
駅前のローターリーに向かって歩いて行く。

途中、書店に立ち寄って文庫本を2冊買い、それから再び駅の方に歩いて行った。

僕は熱気に包まれた真夏の夕刻の雑踏の中を歩きながら、大学2年の、上京して
2度目の夏が退屈で気だるい気分の中で渇いた毎日が特に何事も無くただ過ぎて
行くのを感じていた。

駅の構内に入って改札の方に向かっている時、反対側から歩いて来る若い女の子と
目が合った。

僕の方を見ながら向こう側から歩いて来る、彼女がはじめ誰だかわからなかったが
彼女の顔を見た瞬間から、僕の記憶の中のどこかに引っ掛かりそうなものがあった。

「上本クン・・・」

彼女が僕の名前を口にした時、その声で一気に僕の記憶が蘇った。

その時、目の前にいたのは何年ぶりかで見る谷原真梨子だった。

「びっくりした! こんな所で、上本クンに会うと思って無かった」

谷原真梨子が言った。

「僕だってすごく驚いている」

僕が言った。

・・・

一時間後、僕らは近くの居酒屋で酒を飲んでいた。

僕はずっとビールを飲み続け、彼女は途中でサワーに切り替えた。

僕と谷原真梨子は中学を出てからそれぞれ別の高校に進学し、元々家も
少し離れた所にあったので、中学を卒業してからは、ほとんど顔を合わせる
事が無くなった。

だから、僕と彼女が偶然、再会したとは言え、今こうして2人で酒を飲んでいると
言うのはなんだか不思議な気分だった。

ただ、彼女が高校卒業後、東京の女子大に進学したと言うのは同郷の誰かに
聞いた事があった。

「上本クンって、中学の頃からあんまり変わってないね」

谷原真梨子が言った。

「そうかな」

僕が答えた。

僕の目から見た、谷原真梨子はおかっぱ頭だった中学生の頃に比べると
少し伸びた髪を後ろで束ねている今は、当たり前だけどずいぶん大人に
なった様に見えた。

僕がそう言うと、彼女は「そう?」とだけ言って小さく笑った。

「上本クンは? 今、付き合っている人とかいないの?」

だいぶ飲み進んだ頃、谷原真梨子が僕に聞いた。

「今は、いない」

僕はそう答えてビールのジョッキを傾けた。

「谷原さんは? 今、彼氏とかいるの?」

少し間を置いて今度は僕が聞いてみた。

「私?」

彼女はそう言った後、ほんの少しの間、僕の顔を覗き込んで黙り込んだ。

「私は・・・いる」

彼女は言った。

「そうなんだ・・・」

曖昧な笑顔を浮かべて僕が言った。

「でも、こっちに来てから付き合ってた女の子はいたんでしょう?」

谷原真梨子が言った。

「まあ、でも結局はいろいろとうまくいかなかった」

僕は当たり障りの無い表現で簡潔に答えた。

去年の春に上京してから、今まで僕は何人かの女の子や女性達と知り合い
その内の何人かと寝た。

その内の3人とは、お互いに恋をした(少なくとも僕はそう思っている)のだけれど、
それはある日唐突に急速に盛り上がって、すぐに同じ様に急速に終息に
向かって行った。

そして僕は、東京に来て3人目の彼女が僕から疎遠になり始めた去年の11月終りの
週末、7歳年上の女性と知り合った。

僕と彼女は月に何度か外で会ってホテルで寝た。

彼女は既に結婚していたので、彼女と会うのは大抵は昼間から夕方までの時間だった。

彼女との関係は彼女に子供がいなかった事とお互いに恋愛感情と言うのが無かった分
先月の初めまで順調に続いていた。

しかし、その関係も彼女の家庭が先月、川崎市郊外のマンションに引越して
行った事で終わりを迎える事になった。

彼女との関係を続けていた時、僕は彼女と寝る事に後ろめたさを感じたりする様な
事はほとんどと言っていい程、なかった。

もし、仮に僕が彼女と関係しなかったとしても、彼女の亭主以外の誰かが僕のかわりに
彼女と関係を持つ様になったと思えるし、実際、彼女自身が僕にそんな事を言った事が
ある。

「上本クンって優しい性格なのにね・・・それに上本クンはとても誠実な人なんだろうな
 
って私には思えるし・・・」

谷原真梨子が言った。

「僕が誠実?」

僕は驚いて聞き返した。

「うん・・・私はそう思ってる」

僕は彼女の言葉を聞きながら、彼女が思い描いている僕と、現実の僕と言うのが
ひどくかけ離れているのを感じた。

アバター
2013/08/04 18:31
谷原さんの言う、優しい性格…とか、誠実な人なんだろうな…とかは、危ない!!って思っちゃいましたっ
彼氏いるのに、僕を口説きはじめてるのかー!?って思っちゃいました。
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2013/08/03 15:21
寝ようが寝まいが終わった恋はすでにない
誠実さはまた別物
奪うべし
とか
あ、ちがう
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2013/08/02 13:48
夏の海へと続く道。
都会の暑いアスファルトの続く道。
人の生きてきた時間の流れと、『今』の自分を見る過去の人。

最後の2行で強引に、とありましたが、どこをとっても自然に「僕」は動いていました。
彼女の彼氏が「いる」の前の「…」が、この後の二人の関係を想像させます。
思い出の中の「僕」から抜けた時の、谷原女史の言葉を聞いてみたいな。
アバター
2013/08/01 22:48
谷原さんの人物鑑定眼は節穴か~っ!

誠実になれるようにがんばるんだっ!僕さん。
アバター
2013/08/01 16:34
離れている間に、イメージがかけ離れていったのかな。

優しいとか誠実とかの言葉は、彼女にとって会話の潤滑油に過ぎないのかもしれないと

ふと思いました。


もっとも、彼女の中の上本君が中学生の時の上本君のまま存在しているせいで

出た言葉だったら、また違いますよね。

うーーん。 恋愛小説は、あたしにはハードルが高い~~^^;

(そしてかいじんさんのイメージとひどくかけ離れているのを感じた。@やあ)

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2013/08/01 05:04
思い込みは怖いよねぇ… 誠実かどうかなんて、状況によって違うし。
僕も後に誠実になるかもしれない。(^^ )



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