Nicotto Town



朝顔 (前編)

腕時計を見ると午後の八時を少し回っていた。

JRの駅から数年前に閉山された鉱山の麓にある小さな町まで行く最終のバスは
長く続く山裾とすぐ真下を流れる川に挟まれた真っ暗な道路をゆっくりとカーブを
描きながら走り続けている。

窓の外の闇の中で窓から漏れる照明の光に照らし出されたすぐ間近の路側線や
ガードレールや落石防護壁が浮かび上がっては流れていった。

しばらく走って行く内に山並みが遠ざかって、真っ暗な水田の広がった平地の
所々に外灯の白い光や、点在する民家の明かりが見え始め、僕の実家がある
集落が近付いてきた。

集落の郵便局の前にある停留所の手前で、僕は降車ボタンを押して、バッグを
肩に掛けて立ち上がった。

やがて、バスはゆっくりと停留所に近付いて停車し、僕は運転席横の運賃箱に
料金を入れてバスを降りた。

僕がバスを降りると、扉が閉まり誰も乗客のいなくなったバスは、さらに数キロ先の
終点に向かって走り去っていった。

バスが走り去ると、道路を走る車はごくまばらで、周囲の田んぼの蛙の鳴声だけが
響き渡っている集落は熱気の籠もった濃い闇の中に包まれていた。

上空には月は無かったがしばらく見る事の無かった無数の星が輝く夜空が
広がっていた。

東京から帰省して来る度に、僕は自分が生まれてから高校を卒業するまでの
十数年間をこの夜の闇の深さと静寂の中で過ごして来た事が、何だか記憶の
中ではそれ程のギャップが無くてどうも不思議に感じられる。

僕は車の走っていない国道を渡って川の堤防の階段を上って堤防の上から
久し振りに夜の川の景色を眺めてみた。

200メートル程上流で国道は橋を渡って対岸の方に出てそこからまた川に沿って
北の方に向かって行く。

その橋の真下の外灯の真下辺りの照らされた部分の流れだけは白く揺らめいて
見えているが、僕の目の前の水面は真っ暗で、川の水の流れる音だけが
ザーザーと聞こえていた。

中学生の頃まで、この場所でよく釣りをして、夏の夜には何度かウナギが釣れた事が
あるのを思い出す。

そして、自転車と歩行者だけが通れるこの堤防の上の道は、子供の頃から
2年前に高校を卒業して大学進学の為に上京までの年月の間に、友達やら
その当時付き合っていた彼女やらいろんな奴と何度も歩いたり、自転車で
通ったりした。

川の暗い水面を眺め、そんな事を思い出しながらしばらくそこでぼんやりしていた。

やがて僕は堤防を降りて国道を渡ってバスの停留所の所まで戻って行った。

それから郵便局を少し過ぎた辺りで国道から少しそれている、小さな道を
鉱山が閉山する前まで鉄道の駅があった跡地の方へ歩いて行った。

駅の跡地の向かい側に消防団の倉庫があり、その隣の理容店の真っ暗な扉には
「夏休みのため16日まで休業します」と書かれた貼り紙があった。

その隣の診療所の入り口にも同じ様な貼り紙があったので、そこにも同じ様な事が
書いてあるのかと思ったら、そこには「医師骨折入院の為、休診しております」
と書かれていた。

僕は駅の跡地を通り過ぎて、星空の下の暗い道をさらに少し先にある自分の
実家の方へ歩いて行った。

・・・

東京から帰省して来てお盆期間の数日を実家で過ごして、明日は東京に戻ると言う
前日の昼過ぎ、セミの鳴き声が辺りに響き、強い陽射しが照り付ける中、
僕は郵便局の前のバス停留所でJRの駅がある町に向かうバスを待っていた。

この山深い集落から、30分ほどバスに揺られてその町まで出れば、駅前に
50メートル足らずのアーケードがあり何件かの商店や飲食店が並んだ
猫の額程の市街地がある。

僕が2年前までの3年間通った高校はこの町にあった。

僕はその日、町で3人の高校時代の同級生に久し振りに会う事になっていた。

バスが来ると、僕は開いた後方のドアから乗り込んだ。

ドアが閉まると、走り出したバスは数日前の夜にこの集落に戻って来た時と
逆の方向に向かって行った。

・・・

「ニガキ、久し振りじゃのう」

JRの駅前で、バスを降りた僕に向かって、左手を挙げながら駅の構内から出てきた
桐島マモルが言った。

「苦木君、お久し振り」

その後ろから出て来た、相原美佐子がそう言って小さく頭を下げた。

「何でえ、東京で暮らしょうる割りにゃあ、あんまし変わり映えがせんなあ」

相原の隣にいた、吉原有里子が眼鏡の縁を押さえながら言った。

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2013/08/30 20:38
吉原さんですか
登場人物紹介がおわりました
次回に飛躍ですね^^



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