Nicotto Town


ぺんぎんうどん


9月自作/お題:秋の気配 『暖かな季節へ』


 乾いた風の吹く異国の片隅で、絵麻は、名前も明かせない男の子供を身籠っていた。
 どうしようと悩んではみたもの、答えは明白。
「行かなきゃ」
 心を決めて公園のベンチから立ち上がろうとするのに、足は動かない。
 お腹に手を当ててみる。感触なんてまだ欠片も無い。《処分》してしまうなら実感の無い今のうちだというのに。
 そろそろ陽が暮れる。
 朝からずっとこの繰り返しだ。
 刻を告げるチャペルが鳴って、絵麻は深い溜息を吐いた。
 公園前の通りを渡った所の病院はもう受付を終了しただろう。帰るつもりで夕暮れの公園を去ろうとしてまた足が止まった。
 広場には色鮮やかな服で踊る女たち。
 ギターを奏でる少年。
 地べたに胡坐をかいてチェスに興じる青年と、勝負の行く末を見守るギャラリー。
 この公園でひがな一日繰り広げられるパフォーマンスだ。
 彼らもそろそろ潮時の時間だろうと絵麻は適当に当たりをつけて、一人の踊り娘の前に小銭を投げた。軽い音を立てて石畳に転がった小銭を拾い、肩に下げたポーチに入れて「ありがとう」とたどたどしく答えた彼女は踊りを止めた。
「今日は仕事、休みなのね」
 驚いたのは先ほどのたどたどしさとうって変った流暢な日本語だろうか、それとも自分を見知っているらしい言葉だったろうか。
 絵麻が返事に困って立ち尽くしていると、
「いつもお客さん連れてきてくれる。私、稼がせてもらってる」
 あぁ、そうか、と思い出した。
 この街で観光ガイドを務める日本人は、この公園を突っ切って免税店に向かう。その際お客さん達は思い思いにパフォーマンスを楽しんで歩き、ちゃりん、と小銭を彼らの前に置いてゆくのだ。稼ぎの元を連れて来る絵麻を彼女が見知っていても不思議はなかった。
「ごめんなさい。今日はお休みなの。明後日になったらまたお客さんを連れてくるわ」
 彼女は小首をかしげて少しだけ何かを考えていたが、すぐにまた笑顔に戻り、絵麻の腕を握りしめた。
「晩御飯行こう。いつもお客さんくれるお礼。今日は私ご馳走する」
「え?」
「朝からずっと居た。お腹減ったね」
 夕暮れの赤い街の中で、彼女は燃える太陽のような笑顔を見せた。
 そしてこの日をきっかけに、絵麻の、彼女に振り回される日々が始まった。

 彼女は名前をマリアと名乗った。
 人懐こい明るい笑顔はこの国特有のものなのだろう。例に漏れずマリアも明るい笑顔の女性だった。けれど不思議な事に、交友関係が驚くほど無かった。
 狭いアパートに訪れる人は居ない。
 彼女の料理の腕は、自分の為以外に振るう事を忘れてしまったかのように簡単な物ばかりだった。

「寂しくないの?」
 ある晩、ぽつりと聞いてみた。
 夜が明け陽が高くなると公園へ踊りに出て日銭を稼ぎ、誰かと会話を交わすでもなく部屋に帰り、黙々と食べて眠る。自分だったら寂しくて気が狂ってしまうかもしれない。
 しかしマリアは笑って質問を吹き飛ばした。
「寂しくないわ。だって、待っていれば帰ってくるもの」
「家族?」
「私、コータロを待っているの」
 男性の、それも日本人らしい名前にまた驚かされた。
「旦那さん?」
「そうよ。絵麻と同じ日本人」
 知り合ってまだひと月足らずの人間に、何の警戒も抱かずマリアは、あっけらかんと話し始めた。

 自分たちは古い祖先からずっと、旅をしながら歌い踊って日銭を稼ぎ生きてきた。
 この街でコータロと出会い、家族と別れた。
 コータロなる男性が、小説家で会ったらしい事。
「お婆ちゃんから聞いたおとぎ話や、ご先祖の旅の話。コータロに聞かせてあげたらそれを本にして日本で売ってくれたの」
 赤い表紙の擦り切れた本を取り出して、嬉しそうに語る。
「もっと色んな話を聞かせてって手紙が来たけど、簡単な文字は読めても私、字は書けなくて返事出せない。お話いっぱいあるのに。
 だからコータロが帰って来たらまたお話してあげるの」
 もう何年待っているのか。
 擦り切れた表紙に書かれた筆者の名前は初めて見る物で、おまけに『コータロ』とは読めない違う名前だった。

「エマはダンナサマ、居ないの?」
 不意に切り返されて面をくらった。
「い、居ないわよ」
 慌てて答えて少しバツが悪い思いでうつむいてしまう。居るような、居ないような。
 けれどそれを説明するのは面倒くさい。ここは『居ない』方がいい。そう判断して顔を上げると、目の前に顔はいつもの明るさを失っていた。
 目と目が合ってハッとしたように
「エマは美人だから男性がほっとかないのに」
 半ば無理やり笑顔を取り戻したように、少し裏返った声でマリアは言った。


 居ないような、居るような。

 絵麻がこの国を訪れて右も左も分からなかった頃、今の仕事に導いてくれた人。日本の本社とあちこちの支社を飛び回っている為、会えるのは年に数回。日本には妻も子も居る。
 だから、妊娠の事は厄介な問題だった。
 面倒な事になると思われれば今の仕事もこの国に居る事も難しくなる。
 離婚再婚を親が繰り返したせいで居場所を失ってきた絵麻には、この街を追われる事は行き場が無くなるという事だ。
 今度の休みこそ……改めて決心して、マリアの作った素っ気ないサラダにフォークを突き刺した。



 秋を迎えた空は青く澄み渡り、そして遠い。
 これから寒くなってゆく季節に、自分の一部となりつつある物を失う事に一抹の侘しさを感じながら、それでもこの街でこれからも生きてゆける事を考えれば迷いは消える。
 公園のベンチで病院の受付時間を待って、立ち上がった。
 その肩を、後ろから抱きしめられた。柔らかで華奢な腕。
 彼女は弾んだ声で言った。
「一緒に行こう、エマ」
 マリアは絵麻の頭を抱えて自分の肩に埋めさせた。
「私、また旅に出る。自由に踊って、自由に歌うの」
「でも、コータロを待っているのでしょう」
 マリアは小さく首を横に振り、病院を真っ直ぐに見つめた。
「ひとりで待つ、寂しい。エマとご飯食べておしゃべりして、寂しくなかった。
 でも今エマを行かせたら私またひとりになる気がした。
 だからエマを連れてゆく、決めた」
 マリアが微笑む。
「エマもベイビーも生きていける道をあげる。だから行こう」
 お腹の子供の事は一言も言っていない筈だった。驚いてマリアを見つめると、彼女は不意に唇を重ねてきた。
 軽く羽ばたくようなちゅっという音の後に、また微笑む彼女が見える。
「病院見える、ここで頭を抱えてる女性、皆同じ。
 同じ事考えてためらう。だからわかった。
 でも、これからこの街、寒くなる。
 コータロを待つ冬、とても寒かった。
 ベイビーが抜けたらエマももっと寒くて苦しいよ。
 だから行こう。北へ行く、冬も暖かい街がある。
 いつか私の家族、会えるかもしれない。
 エマもわたしも、ひとりじゃなくなる」

 他の季節とは対照的に、いつも寒かったこの街の冬。彼が来るのは年に数回。
 今頃はどこかの街で他の女性を暖めているのだろうか、日本で家族と暖かくしているのだろうかと、毛布にうずくまって膝を抱えて過ごした冬。
 その冬をすごさなくて済む代わりに、彼と過ごした短い日々を棄てられるだろうか。
 寂しい冬を呼ぶ美しい遠い秋の空。
 けれど、手の届く晴れ渡る笑顔を、恋しいとも思ってしまった。

「いつか、後悔して迷うかもしれないわ」
「そしたらまた私が抱きしめる。今度はベイビーと一緒」

 暖かな秋は、今この手の中に。




~ 了 ~

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2013/10/19 13:51
>ナミちゃま

男はへたれだからダメなのよww
でもあたしが書く物で、男の方が立派っていう話、少ないなぁ(笑)

読んでくださってありがとうございました♡
ナミちゃまのも夜、読みに行くね~(´▽`)
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2013/10/19 08:46
(*´;ェ;`*) じわ・・・・・・。

男は何をしとんじゃ~~~~~~~~(っ`Д´)っ・:∴!
出て来いや~~~~~~~((○( ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄メ)ぷるぷる
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2013/10/16 22:52
>ゆきちゃま

あたしも、子供産む前は正直言って自分が子供育てる事になるなんて
夢にも思ってなかったですよ…(笑)
旦那はイランけど、子供は可愛いですww
続き…これで終わりです~ごめんちゃい><キュー

読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/16 10:09
うん!!
女性は、子供を生む前とあとでは、大きく変わる・・・・・と私は思う
子供嫌いだった ゆきが言うのですものwwww
相手は誰であれ 産まなきゃ後悔するのさ
つづき待ってるね・・・・って 終わったんかい???
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2013/10/05 11:39
>ことみさん

勝手に想像、大歓迎です~(´▽`)
もちろん産まれた子供と幸せに旅をして、
そのうち仲間も増えて来たりして、間違いなくハッピーエンドです^^
幸せな未来を想像するのは楽しいです~

読んでくださってありがとうございました^^
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2013/10/05 11:37
>まゆさん

まゆさんへのレスも飛んでいる…(^_^;)
二人で旅をしてるうちに三人になって、
そのうち自分を探す旅の途中の某国女性も混ざって、
国を追われたわけありカップルも混ざったりして、
どんどん大きなファミリーになっちゃうのかもしれませんねぇ^^

読んでくださってありがとうございました(´▽`)
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2013/10/05 11:35
>ねこまんまさん

あれ? ねこまんまさんにレスし忘れてる…(^_^;)
あたしはテレビドラマって殆ど見ないので解んないのですが、
中森明菜さんと安田成美さんかぁ…うん、そんな感じですね^^
とっても素敵な組み合わせやと思います^^

読んでくださってありがとうございました(´▽`)
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2013/10/05 11:31
>紅之蘭さん

泣いてくれてありがとう~(´▽`)
世の中、辛い事ばっかりではなかとです^^
前向きに頑張って幸せな未来を作っていけるといいです^^

読んでくださってありがとう~
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2013/10/05 04:30
この先、どっかでベイビーが生まれて、この3人のお話の続きを勝手に想像しました^^
ハッピーエンドな想像ですが、もし?つづきがあるなら楽しみです^^
ぜひ、ハッピーエンドなお話になるといいなぁとか、勝手な事また書いちゃいました^^
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2013/10/04 00:22
泣けた 
うえ~ん
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2013/10/03 13:11
>百目木さん

リアルにある海外の物を書こうと思ったら、下調べがハンパないので書けません~ww
今回のなんて、ジプシー出してるけど自分のイメージでは
唯一海外旅行を経験したニュージーランドですからww
書くとしたら現存する国や地域じゃなくて、異世界ですねぇ
今頑張って書いてますけど前に進みません(笑)

読んでくださってありがとうございました~(´▽`)
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2013/10/03 13:08
>ミコさん

エマもマリアも実は内縁の妻なんですよね^^;
自分で稼いで生活ができるなら、恋愛も自由にできていいなぁ…
なんて、ちょっと羨ましく思ったり(^_^;)

読んでくださってありがとうございました(´▽`)
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2013/10/03 06:15
ちょみさんの引き出しの中には、
ぜったいこういう海外放浪物件があると予想してましたので、
この物語の登場は、とても腑に落ちました。

それと性愛と死のモチーフの絡みみたいな一連の作品の鉱脈、、
そういうのが中編展開されるような日が、いずれ来そうな感じ。
森瑤子さんとはまた違った世界がありそうだと思った。
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2013/10/03 01:02
エマの結婚感はふつうの人の概念とはまったく違うもので
実はマリーとまったく同じ状況にあると思えました
考え方によって幸福だと感じているのだろうなあ
と想像しています
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2013/10/03 00:26
>真珠ちゃま

前後編に分けるほどの無い話なので無理やりここの文字数に合わせたので
しっとり感が全くなくなって、一番書きたかったその

>ベビーが (以下略)

あたりがさくっとさっぱりになってしまったけど、これで良かったのかも(^_^;)
うん、覚悟を決めて生きる女は幸せになるのです^^

読んでくださってありがとうございました~(´▽`)
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2013/10/03 00:24
> E.Grey さま^^

もう、地理的なものがぐちゃぐちゃなんですが、
位置的には南半球で、ジプシー文化はスペインあたりで
公園はニュージーランドのカテドラルスクエアあたりを…www

読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/03 00:14
泣きましたよー

ベイビーが抜けたらエマももっと寒くて苦しいよ。

って、絶対、そう。
うぇーん、うまく言えないけど、幸せになってほしい(;_;)
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2013/10/02 04:37
一気に読ませて頂きました
イメージとしては北があたたかいということですから南米でしょうか
ヒロインが出会った女性はジプシーのようでもあります
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2013/10/02 02:28
>かいじんさん

統計によると日本は9月生まれが多いようなので
一番人恋しいのはクリスマスから正月なのやと思います~
って、照れも恥もない事言ってすみません><


読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/02 02:21
>メロンちゃま

どんな立場でも、妊娠は大変やと思います~
それを大事に見守ってくれるご町内には本当に感謝なのです^^
昨今は「地域で育てる」を頑張ってくれてる自治体も多いので
その勢いで孤独な子育てが無くなるといいなーと願ってます^^

読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/02 02:17
>パパりん

男女平等に妊娠すると、妊娠や生理を理由に
「大事にしてよね♡」という女性論理が通らなくなるので
男性は妊娠しなくていいです(笑)
でき婚なんて結局はただの考えなしですよ←言い切る(笑)
後々のデメリットを考えたら、順番通りに結婚したり子供産んだりするのが一番ですよ!
と、いうわけで、通報があっても、どちらも真面目に考えてるんだから、ぜってー問題ねぇっす!


読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/02 02:12
>やあさん

ここのブログの文字数に合わせて無理やり帳尻つけた最後ですけど
案外、装飾連ねまくるよりこのくらい素っ気ない方がいいのかなぁw
でも、本宅に載せる際はもう少し肉付けしますww

女達の未来は、常に明るく前向きなのですよw
だって、女性は原始太陽なのですもの(´▽`)

読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/02 02:09
>紫草さん

本当はもっとしっとり書きたかったのだけど
2回に分けるのがヤだったので3000字に収めてみたらこんな感じでした~
何だかあらすじみたいだけど、逆にこれはこれで良かったのかも←無駄に前向き(笑)
作中に出てこない人物の重さって、なかなかに大事ですよね^^

読んでくださってありがとうございました♡
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2013/10/01 18:16
女だけの旅芸人一座の誕生の瞬間か?

波瀾万丈を予感させ、今後の展開が楽しみな展開ですね。
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2013/10/01 08:38
安田成美さんと中森明菜さんのドラマ思い出しちゃいました^^(ドラマタイトル忘れましたが^^;)

待つだけでなく、自分で歩き出すと女性は案外強いものです。
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2013/09/30 21:10
秋が一番、人恋しく温もりを求めたり、感じたり出来ますよね。
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2013/09/30 18:49
複雑な立場での妊娠は大変だろうね~@@ 経験ないから分かんないけれど。この出会いが良かったのかどうかもん~・・・・・みんな、幸せになれるように祈ろう!って気分になったよぉ~^^
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2013/09/30 18:23
男女平等に妊娠したらこういう不公平なこともなくなるんですかね~

少ない恋愛経験ながら結婚するまで生でしたことなんかなかったんだけど、でき婚あたりにみられるように一般的男女は安全日なんてのを信じてGOサインしてるんだろうか・・・・

いちおう真面目なコメントのつもりだけど捕まったらゴメンね(笑)
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2013/09/30 15:44
>暖かな秋は、今この手の中に。

このことばがじゅーーんって体の隅々まで行きわたった気持ち。

この先、きっといろいろな困難も待ち受けているのだろうけど、

子どもがいるから頑張れることもいっぱいあるよね。
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2013/09/30 14:58
 百恵さんや、明菜さんの、それっぽい曲がリフレインされてました。
 男性は出てこないけれど、すごい存在ですね。
 そして、それを乗り越える女性2人と赤ちゃん。
 無限の力を持って生まれてくる赤ちゃんは、きっとこの先、この二人のママを支えていってくれるでしょう。
 そんな将来が見えるお話でした。
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2013/09/30 13:31
時代考証的な物とか舞台とか国とか
細かく考えて突っ込んじゃったら、負けよ?(笑)



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