Nicotto Town



亡霊  (後編)

「松尾山に馳せ小早川が陣に鉄砲を撃ち掛けよ」

家康は旗本鉄砲頭、布施孫兵衛重次に命じた。

重次は思わず顔を上げ、驚きの眼差しを家康に向けた。

「仰せ承って候」

布施重次は鉄砲組を率い本陣を出て松尾山にむかった。

・・・

松尾山・小早川秀秋陣

俄かに山の中腹辺りから、鉄砲が放たれる音が聞こえた。

程なく、注進の武者が秀秋の元へ駆け込んで来た。

「鉄砲にて撃ち掛けられておりまする。旗印は丸に三つ葉葵」

それを聞くや否や秀秋は激しく動揺した。

(もはや、内府へ内応する機は逃がしたるか・・・)

秀秋は思った。

(かくなる上は如何致すべきや・・・)

秀秋は様々に考えを巡らせたが、中々心が決まらなかった。

「殿、お家の存亡は今この時に懸かっておりまする。
この上は、内府方、大阪方いず方なりとも致し方無し。
されど最早、猶予は相成りませぬ。
いざ、旗幟を現しませい!」

小早川家重臣の平岡石見守が言った。

「下知を!ともあれ下知を!」

同じく重臣の稲葉佐渡守が叫んだ。

秀秋は床几から立ち上がった。

「貝を吹け! 馬引けい、出陣じゃ!」

秀秋は決断した。

・・・


「金吾を討て!裏切り中納言を討つのだ!」

業病で、崩れた顔を白頭巾で覆い、輿に乗った大谷刑部少輔吉継は軍配を
振りかざし、声を限りに叫んだ。

喚き声を挙げながら、松尾山から駆け降りて来る小早川勢一万五千に対し
大谷勢、戸田勝成、平塚為広の兵合わせて四千程がこれを迎えうち
小早川勢を三度まで山に押し戻した。

しかし、小早川に続いて松尾山の麓に陣を構えていた、脇坂安治、小川祐忠
赤座直保、朽木元綱らも立て続けに寝返って殺到した為にやがて大谷勢は壊滅した。

大谷の兵の多くは小早川秀秋の方に恨みの目を向けて死んでいった。

これを端緒にして大阪方は総崩れになった。

・・・

「覚悟の上の事なれば、この上は是非も無し・・・されどもあの人面獣心!」

病の為に目が見え無い吉継はそう言って、未だ矢玉の音が響いている辺りに
顔を向けた。

「あやつを生かしておく事だけは今生の心残り・・・三年の内に祟りを成さん!」

吉継はそう叫んだ後、刃を腹に突き立てた。

その首は介錯した湯浅五助により、土中深くに埋められた。

・・・

この合戦の後、論功行賞によって、小早川秀秋は備前美作55万石の領主となり
改易となった宇喜多秀家の居城だった岡山城に入城した。

それから今日に至るまでの二年間は秀秋にとって暗澹たるものだった。

時折、夜になると大谷刑部の亡霊が秀秋の前に姿を現して秀秋を悩ませた。

近習の者が大谷刑部の姿に変わり秀秋の前に現れて、手討ちに仕掛けた事も
あった。

眠れぬ夜が多くなり、うつつの夢の中にも大谷刑部や、秀秋に恨みの目を向けて
斃れて行った刑部の兵ども、合戦の後捕らえられ大津城の城門に据えられて
諸侯の前に晒された後、六条河原で首を刎ねられた石田冶部少輔三成、
その晩年感情にとりとめが無くなり、秀秋を内心怯えさせていた太閤秀吉が
現れて秀秋を苦しめた。

(ゆるせ、刑部、もうゆるせ)

苦悶の闇の中で秀秋は呻いた。

・・・

静かに更けて行く秋の長い夜は秀秋にとって、事の外耐え難いものだった。

杯に酒を注がせ、それを半分ほど一息に飲み干した後、大きな吐息を吐いた。

(ワシは継いだ家を守り、残す為に働いた・・・それだけの事では無いか!)

秀秋はとりとめの無い煩悶の中にいた。

突如、体の内から、激しい苦痛が湧き上がって来て、突き上げる様にそれは
込み上げて来て、口から噴き出された。

苦しさに胸を押さえながら、側を見ると、そこには白い頭巾を被り、威儀を正して
端座している大谷刑部の姿があった。

「おのれ、刑部!」

思わず立ち上がり後ずさりながら、刀を手に取ろうと腕を後ろに差し伸ばしたが
足がよろめき、目が眩んで周りのものが歪んで見えた。

昏くなって行く視界の中で刑部が無言で顔を向けているのが見えた。

・・・

慶長七年(1602)十月十八日、小早川秀秋 早世 享年二十一歳

小早川家は無嗣改易となった。

脳病で病死と言うのが一応の通説だが、その死因については実に
様々な説があり、どれが真相に近いのかすらよくわからない。

秀秋の実兄、木下延貞も秀秋が死んだ同じ日に岡山城で謎の死を
遂げている。

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2013/10/07 20:21
亡霊とは無力なもの
ゆめのあと…
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2013/10/04 22:14
豊臣家系、ほぼ全滅ですね…
家康の暗殺?
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2013/10/03 01:53
いろいろ解釈されますが
基本的には暗愚な人として扱われる秀秋公
実際には、軍議をして、家中の意見をよくきいた結果なのでしょうけれど
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2013/10/03 01:18
関ヶ原のキーマン秀秋は考えてみれば18歳、高校生か大学一年生くらい
数万の軍勢の運命を背負っており、暗愚だと言い切るには早すぎる気がします

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2013/10/02 23:59
歴史に疎いので、お勉強しようかな…って思いましたw
漫画日本の歴史で♪
ていうか、祟り…こわ!!
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2013/10/01 18:18
もっと恐くなるかと思っていたけど、恐くなくてよかった^^

大谷刑部は、業病を煩っていたと言われるので、描写しにくいですよね。
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2013/10/01 09:14
三年のうちに祟るって言って切腹されたら、とてもとてもこわいよね・・・(;_:)

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2013/09/30 22:50
尾張に育ったので、織田から豊臣、そして徳川という時代の流れは勉強とは名ではなく、詳しくなりました。
小早川の立場は複雑でしたね。そして若い死。

残る文献での推察では、真実は隠れてしまっているかもしれませんね。
過渡期にあった戦いで散るのは歴史の流れだったかもしれませんが、当時を生きた者たちには辛いことでした。
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2013/09/30 22:18
フウン。



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