Nicotto Town



土曜日の夜と日曜日の朝 (前編)

(変な土曜日・・・からの続き)

11月24日土曜日

東京ジムのゴングが鳴って、スパーリングが始まった。

相手の井沢クンと、リングの中央で16オンスのグローブを合わせる。

昨年、今年のインターハイ(高校総体)のライト級で優勝している井沢クンは
プロに転向する為に今度プロテストを受ける事になっている。

彼の身長は僕より5cm高い178cmとこのクラスでは長身でリーチも長い。

グローブを合わせた後、井沢クンは軽やかなフットワークでリングを
時計回りに廻り始めた。

僕はリングのほぼ中央で軽くステップを踏みながら、ガードを高く上げて
軸足の向きを変えながら彼の動きを追った。

井沢クンが立て続けに2発ジャブを放って来た。

左のガードと、ヘッドスリップで何とか交わしたけど、ノーモーションで早い。

一呼吸置いてから、ワンツーが来た。

ジャブを左で弾いて、右は頭を振って避けたけど、その後のショートアッパーを
ヘッドギア越しにアゴに貰った。

マウスピースを噛み締めた口の中で早くも血の味がし始めるのを感じた。

井沢クンが再び距離をとって、足を使い始めた。

僕はそれを目で追って行きながら、タイミングを見て、素早く踏み込んで
左右のフックを打ち込んで、相手のガードを上げさせてから、ボディーに
左を叩き込んだ。

井沢クンがすかさず回転の速い左右のフックで応戦して来る。

僕はダッキングでそれを交わして懐に潜り込んで、その打ち終わりに
左フックをヒットさせた。

「ヒューッ! ウチの期待のホープ相手にスピード負けしてねえよ!

・・・倉田サンの所から来て貰ってる、あのスパーリングパートナーって
まだ、アマの試合経験も無い練習生なんだろ?」

リングサイドで見ていた、このマスダジムの会長、増田重雄が舌を巻いて言った。

「井沢と同じ高3のコなんですけどね。  ・・・倉田会長が言うには勉強の息抜きに
ジムに通って来てるんだそうです」

増田の傍らにいたトレーナーの石原が答えた。

「かぁーっ! インターハイ2年連続優勝の高校王者と互角にやり合う受験生かよ!

・・・こりゃあ、倉田のジイサンも、残念がってるだろうなあ」

増田はいかにも残念そうな表情を浮かべて言った。

・・・

スパーリングの後、ジムのシャワーを使わせて貰って、それからバッグを
持って、帰りの挨拶をする為にリングサイドの方に行った。

「鈴木クンが来てくれると、ウチの井沢も勉強になるよ。・・・また来週もよろしく
頼むよ」

リングサイドで、練習生のシャドーを見ていたトレーナーの石原さんが言った。

井沢クンはロードワークに行ったのか姿が見えなかった。

ジムを出ると外はもうすっかり暗くなっていた。

僕は買い物客や、仕事や学校帰りの人が行き交っている商店街を
国鉄の駅の方へ向かって歩いて行った。

途中、レコード店で、レコードを見て行こうかと思ったけどまたにする事にした。

国鉄の駅から山手線で池袋まで行って、それから赤羽線に乗り換えて
十条まで帰った。

家に帰る途中、腹が減っていたので篠原演芸場の手前にある中華店で
ラーメンを食べて行く事にした。

他の店だと大体350円くらいするけど、ここだと280円で食べられる。

ラーメンを食べた後、マンションの2階にある家に帰った。

ドアを開けて誰もいない家の中に入った。

艦艇勤務の海上自衛隊幹部である父は、今航海中で留守だし、母は静岡県の
掛川市にある実家に用があって帰っていて火曜日まで帰って来ない。

家の洗濯機が壊れていて、近くのコインランドリーに洗濯しに行かなければ
いけない事を思い出したが、とりあえず居間で横になった。

疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまって、目が覚めた時には
夜の10時を過ぎていた。

洗濯は明日にしようかと思ったけど、今日の内に済ませようと思って
僕は大きなバッグに洗濯物を入れて家を出た。

冷え込んで来た夜の道を歩いて、篠原演芸場のある通りに出て十条駅の
方に向かって歩き、途中で左に曲がった。

サンチェーン(コンビニ)とその向かいの、もうすぐ閉館になるオンボロのポルノ映画館を
通り過ぎて、その少し先にある小さなコインランドリーに入った。

コインランドリーの中の洗濯や乾燥が終わるのを待つ休憩スペースの様な
所に、僕と同じ歳位に見える少女が椅子に座ったまま眠っているのか
小さなテーブルにうつ伏せになっていた。

コインランドリーの中の洗濯機や乾燥機はどれも回っていなかった。

(こんな時間にこんな所で一体何をしているんだろう?)

僕は気になりながらも、大型の方の洗濯機に洗濯物と洗剤を入れて
200円を入れて洗濯機を回し、中で待っているのも気まずいので
外に出た。

一度家に帰って、またすぐ出て来るのも面倒なので、駅の反対側の
アーケード商店街をブラブラしたりして30分ほどしてからコインランドリーに
戻った。

少女はまだそのままの状態でいた。

僕が洗濯の終わった洗濯物を取り出して乾燥機に移し変えている間
少女が顔を上げて僕の方を見た時、目が合ったけど、どちらも
何も言わなかった。

僕はその時内心、少し気難しそうだけど可愛い顔立ちをしていると思った。

乾燥機を回してから再び外に出て、寒いので自動販売機でホットの缶コーヒーを
飲んだりした後、30分後にまたコインランドリーに戻った。

少女はまだそこにいた。

テーブルからは顔を上げていたが放心した様にぼんやりとしている。

僕はそちらには関心を向けない様にして中に入って乾燥機から洗濯物を
取り出し始めた。

「ねえ」

と少女が言った。 僕は振り向いた。

「あなたは高校生?」

と、少女が尋ねた。たぶん洗濯物の中に学校の体操着があったからだろう。

「そうですけど」

相手の年齢がはっきりわからなかったので、僕は丁寧に答えた。

「3年生?」

少女が体操着のネームを見て言った。

「そうです」

「じゃあ、私と同い年だね。・・・高校生なのに一人暮らししているの?」

僕は簡単に事情を説明した。

「ふーん、そうなんだ」

少女がそう言った後、そこで会話が途切れた。僕はその間に乾燥機から
取り出した洗濯物をバッグに入れ終わった。

「ねえ、手品を見たくない?」

唐突に少女が言った。

「手品?」

僕はよくわからないままに彼女の顔を見た。

「ねえ、あなたに手品を見せてあげる」

少女はそう言って僕の方に近寄って来た。なぜだかはわからないけど、彼女の
態度や表情には何と無く奇妙な必死さが感じられた。

彼女は左のポケットから、何かを取り出してそれを握って見えない様にして
左手のこぶしを僕の顔の前に突き出した。

彼女がこぶしを開くと手のひらの上に500円硬貨が桐の描かれている面を
上にして載せられていた。

彼女は左手のこぶしを再び握り締めた。

「10数えてみて」

少女が言った。

「1,2、3,4、・・・」

僕は10までの数を数えながら、彼女の握り締めたこぶしを注視した。

握り締めている500円硬貨が消えるのだろうかと思った。

「・・・8,9、10」

僕が10数え終わると彼女はこぶしを開いた。

こぶしの上には相変わらず500円硬貨が載ったままだった。

何秒かの静止した沈黙が流れた。

少女は500円硬貨を載せたまま、手のひらを僕の方に差し出した。

「この500円玉をよく見てみて」

少女が言った。

#日記広場:自作小説

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2013/12/30 20:24
細かい描写に「時代」をこっそり描写している遊びがまた、楽しいです

言わずもがな、ですがなぜプロでないのかわからない読み応えに感服です
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2013/12/14 08:28
コインマジックのいわんとするところは…
次回ですね、はい^^
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2013/12/10 05:57
シュールな展開を予想させる出だし
さてどのような結末が……
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2013/12/09 13:52
ラーメンの280円と350円の違いは味? それともトッピングかなぁ・・・?

なんてことを小説の余白のうーーんと隅っこの部分で考えました^^;

そーだ。 海苔だ。 海苔の品質に違いなーーい。 (と海の民は思う)



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