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メルカッツ提督苺


四十七人目の忠臣

赤穂浪士の吉良邸討ち入りではよく四十七人と言われておりますが
赤穂藩の直臣は実は四十六人で残りの一人は家老大石内蔵助の家臣で
名は寺坂吉衛門と言います。

赤穂藩おとりつぶしの折にはこの寺坂吉衛門は主人に暇を出され
在所に帰り生活するように申し付けられました。
しかしこの寺坂吉衛門は浪士一頭の末席に加わり仇討に加わりたいと嘆願し
当初は受け入れられませんでしたが、風雨にまみれても庭先から離れず
槍を片手に座り続けていました。

雨にぬれても文句ひとつ言わずにただただ主人の供をしたいという姿勢に
大石の妻りくに見初められついに討ち入りの同市に加わりました。

そしてみなさんご存知のように十二月一四日未明に吉良邸討ち入りがなされ
ほかの浪士同様獅子奮迅の働きをしたのであります。

しかし吉良上野介に首級を挙げ大願成就したのち寺坂吉衛門には
別命が下されました。
御正室遙泉院への報告と、赤穂の国元に残っている浪士一頭の家族への
報告が命じられたのです。

足かけ二年、浪士一頭四十六名は既に切腹となり墓を浅野匠の上と並べられ
葬られておりました。

大石内蔵助の下命を果たし墓前に報告したのち切腹しようとしたところ
泉岳寺の住職に止められ
『貴殿が死んでは御浪士一頭の艱難辛苦の果ての御成就を誰が言伝えられる』
と諭され、寺男として泉岳寺にて墓守をすることになりました。
その後三十有余年勤め上げ病を発し余命いくばくもないと悟るに至り
床を出て浪士一頭の墓前に鎮座しその場で息絶えたたといわれています。

ここに吉良邸に討ち入った四十七人が相揃ったのであります。





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