Nicotto Town



卒業 (後編)

・・・

            (2)

僕は中学を卒業すると、鷹取市内にある、県立鷹取高校に進学した。

そして、高校の入学式の日に僕は小学5年の時、美奥温泉の共同露天風呂で
出会った少女に、再び出会った。

僕と同じ、その春に入学した新入生の中に彼女はいた。

彼女はその時、同じ中学出身らしい何人かの新しい制服を着た女子生徒と
一緒にいたが、彼女は周囲全体を見渡しても一際目を引く容姿だったので
僕は一目見て、すぐにあの時の少女だった事に気付いた。

少し後になってからわかった事だが、彼女の名前は久々原(くぐはら)綾と言った。

ともあれ、僕は高校生になり、毎朝、神手川沿いを走る山北と山南地方を結ぶ
ローカル線の駅まで自転車で行き、そこから高取駅まで気動車に乗って
高校に通った。

僕は高校でも陸上部に入りやはり中長距離を専門にした。

僕が中学の時から、部活で陸上の中長距離を選んだのは、すこぶる簡単な
理由からだった。

グラウンドをただひたすら夢中で走っている時は、行き着く場所の無い
煩わしい様々な考え事から幾分なりとも逃れられ、或いはうまくすれば
振り切る事だって出来たからだ。

一方、久々原綾は音楽部に所属し、音楽室でピアノを弾いたりしていた。

僕は高校3年間を通じて、久々原綾とはクラスもずっと違っていた事もあって
個人的に会話と呼べる様な話をした事が一度も無い。

もちろん3年の年月の間、同じ校舎で高校生生活を送っていたのだから
そういう機会を得たいと思えばいくらでも機会はあっただろう。

後になって振り返ってみれば、正直な所、僕は3年間の間、そう言う機会が
訪れる事を心のどこかで何と無く避けていたのだろうと思う。

それでいながら、僕は校内で彼女の姿を見かける度に、ずっと彼女の存在が
とても気になり続けていた。

僕が久々原綾の姿を学校で見かける時、彼女は大体何人かの友人と一緒に
いる事が多かったし、容姿が良くて、成績も良く、何より控え目な性格で
人当たりも良かったので、周囲の生徒も誰もが好感を持って彼女に接した。

しかし僕の目には穏やかでつつましい微笑みを浮かべる彼女の表情の中に
どこか、孤独の影が潜んでいる様に思えてならなかった。

そして、彼女に接する他の生徒達の視線や感情の中に度々、目には見えない
特別なものが感じられる様な気がした。

・・・

高校2年が終業した春休みに祖母が他界した後、鷹取高校には山間部に家がある
生徒の為の寮があったので結局その男子寮に入寮する事になり、高校3年の
一年間を鷹取市内にあるその寮で過ごした。

そして僕はこの春、高校卒業後、鷹取を離れて東京の私立大学の法学部2部(夜間)に
進学する事が決まった。

卒業式が目前に迫った2月の終わりの午後、寮の電話に久々原綾が僕宛に
電話をかけて来た時、僕は正直驚いた。

「刀根屋クンにとっては迷惑な事なのかもしれないけれど・・・」

突然電話して来た事を詫びた後、久々原綾が言った。

「卒業したら、お互い鷹取を離れる事になっているので、もうその後、刀根屋クンに
会う事は二度と無いかも知れない」

だからその前に、一度、僕に会って話がしたいと思って迷った末に電話してきたの
だと言う。

そう言った電話のやり取りの後、僕はそれからすぐ久々原綾に外で会う事になった。

場所はいろいろ考えた後、鷹取城の城跡に決めた。

電話を切った後、一応簡単に着替えと準備を済ませ僕は寮を出た。

鷹取高校と、その男女寮は鷹取城跡や市役所、商店街の他飲食店等が建ち並んでいる
国鉄鷹取駅の北口とは反対のずっと南側、海岸線が近い場所にあるので
僕は寮を出た後、鷹取駅へ向かって歩いて行く。

道路のあちこちには数日前の大雪に日に雪掻きで積み上げられた雪がまだ溶けずに
残っていた。

鷹取駅の近くの跨線橋を渡って山北本線を横切り南側に出て、飲食店や雑居ビルが
続く線路沿いの路地を駅前の本通りに向けて歩く。

途中にある4階建て雑居ビルの入り口にジュラルミン製の大盾を手にした機動隊員が
二人立っているのが見える。

ビルの2階部分には久々原商事の看板が掲げられている。

丸菱組系二代目山北棚原組の久々原組事務所の入ったビルだ。

組長、久々原勇次は山北棚原組の代替わりの時、若頭補佐から若頭に昇格した。

ニュースによれば、2月の上旬、山南地方のある町の繁華街で反丸菱組系の
熊水会傘下の組の組員が飲食店での口論から山北棚原組傘下の組の組員を刺殺、
その後、丸菱組と熊水会の抗争にまで発展していると言う。

僕はその前を通り過ぎて駅前に出て商店街が両脇に続く本通りを城跡の方へ
向かって行った。

・・・

まだ少し残雪の残った城跡の本丸跡の石垣の上からは僕らが3年間高校生活を送った
鷹取市街が一望出来た。

市の中心から少し西側に神手川が流れ先の方で日本海に注いでいる。

少し風が強かったが、空は良く晴れていてだいぶ春めいて来た明るい陽射しが
地上や海面にまぶしく降り注いでいる。

「ウチなあ、この3年間いっぺん刀根屋と二人きりで話がしてみたいなあと
ずっと思っとたんよ」

目の前の眺望を眺め、吹いている風に髪がなびくのを気にしながら久々原綾が言った。

「ワシもなあ、ホンマの事を言うたら、この3年間、久々原さんの事がずっと
気になっとったんじゃ」

僕は自分が長い間、思っていた事を正直に言った。

「・・・刀根屋クンは、東京に行ってしもうたら、もうこっちには戻って来んのじゃろう?」

少し後で、久々原綾が僕に聞いた。

将来の事なんて、まだよくわからないけど、少なくとも僕はこの街に再び戻って来て
暮らす事は全く考えて無かった。

「ウチもなあ、ここを出た後、もうここへは戻って来とう無いわ思うとるんよ」

久々原綾が言った。

彼女は卒業の後、山南地方の都市にある音楽大学に進学する事が決まっていた。

「ウチは小学生の時に花室からこっちに移って来た時から、早よう大きゅうなって
早ようここから出て行きたいって、ずっとそればあ考えとった・・・」

彼女の父親、久々原勇次がこの鷹取の街に久々原組の看板を出す事で
山北棚原組は念願の鷹取進出を果たす事が出来た。

その久々原勇次は、この鷹取に組を構える前に、長い間、刑務所で懲役を
勤めていたはずだ。

彼はその世界では有名で語り草にさえなっている(山北戦争)と言われる抗争中に
起きた(夜汽車事件)の実行犯の一人だった。

この城跡に登って来る途中に話している時、久々原綾は、僕と同じ7月生まれなのだと
言う話をしていた。

いずれにしても、それは僕らが生まれる前に起きた、僕らには関係の無い
ずっと昔の出来事だった。

・・・

陽が西に大きく傾いて眼下に広がる鷹取の街が夕日に照らし出されていた。

「この街を出て行く前に、最後に刀根屋クンと話す事が出来てよかった」

久々原綾が言った。

「ワシもなあ、ずっと心残りだったもんが、久々原さんのおかげで一つ無うなった」

僕は言った。

心の中にずっと長い間溶けずに残っていた残雪のかたまりの様なものが
溶けて無くなった様な気がした。

夕日に照らし出された神手川に架かった鉄橋を客車を牽いて走るディーゼル機関車が
長い汽笛を鳴らしながら渡って行くのが見えた。

僕らはもうすぐ卒業を迎え、その後お互いにこの街を出たら、もうたぶん再び会う事は
無いだろうと言う気がしたが、僕が今日、彼女とこの場所で同じ景色を見ていた事は
ずっと忘れられない思い出になる様な気がした。

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2014/05/05 14:45
はぁ…読み応えありすぎでした~><
どちらも親の仕事の為に心に渦を巻いたように育ったのかもしれません。
ヘタをするとその渦に念情を放り込んでどろどろ沼沼な展開になっちゃいますよね。
いつ、そうなるのだろうとドキドキしながら読んで、
初めて語り合ったらそれが別れのタイミングだった…
ストンと、良かったなって気持ちが心に落ちました。
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2014/04/23 20:51
近づいたり離れたり同じ川を流れていた木の葉が、大海に出てしまうと再び会うことはなくなります。
もしも、出会えたら、それは奇跡。
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2014/04/04 08:10
卒業後の再会を期待してしまう私でした
アバター
2014/04/01 18:53
理不尽な人生の運命に負けることなく、人が生きていると言う現実は、勇気と希望を与えてくれます。
二人が、誇り高く人生を楽しんで生きて行ってほしいな。(#^.^#) 
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2014/04/01 17:28
毎月最終日はかいじんさんの日~^^ (というのがあたしの中では定説になっています^^)

久々原さん、すごく勇気を出して刀根屋君に電話をしたのでしょうね。
ふたりのやわらかい方言に和やかな気持ちになりました。

この土地に見切りを付けるのは、ふたりにとって戻ってきたくない場所だから。
けれど最後に共有した時間がその気持ちをいくばくか、和らげている筈だと思いました。
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2014/04/01 10:05
  長編であれば、ここから深いエピソードが何連発かきて、ドラマチックな終わりがあるものですが、 短編はここで手を打たねばならぬところが悲しくもあり、楽でもあり、この手のホロにが系ちょい物悲しいストーリーは、極力、詩的に、技巧的に、やって逃げ切るといいのかなあと考える私でした。
  毎度の寄稿に重ねて感謝いたします。



 



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