Nicotto Town


出逢いのあの日に行こう


父の日記帳 ①

言葉があるお陰で,人と人は意思を伝え合えるのですが,
逆に,言葉のせいで誤解も生じます。

誰かに 「人がたくさんいたよ」 と言って,
相手が 「へえ。たくさんいたんだ~」 と答えたら,
お互い,同じ情報を共有したような気になりますが,
言った方は10人しか見ていないのに,
聞いた方は50人をイメージしているかもしれません。

特に,数字で表せない喜怒哀楽を表す言葉は,
言う方はさり気なく使っていても,
とても深い意味と強い気持ちが込められていることもあって,
それを理解することは,
その人がどんな環境でどんな生き方をしてきて,
今までに誰とどんな経験を積み重ねてきたのかなど,
その人の背景を全部知らないと不可能だと思います。

そんなことを考え出すと,
私たちは,短い言葉のやり取りの後,
「分かる,分かる~」 とか,「それは間違ってるよ~」 とか言いますが,
実際はお互いに何も分かり合えていないのではないかと,
何だか不安な気持ちになってきます。


さて,
私が19歳の時,食道癌で余命わずかとなった父が,
自分が死んだら読んでほしいと言って私に見せてタンスに仕舞った,
薄い茶色の,分厚い日記帳。

母はその7年前に肝臓癌で既に他界し,
兄は5年前に就職と同時に勤務先の独身寮に入っていて,
父と私は二人で暮らしていたのですが,
6月29日に父が他界し,家に一人残された私は,
兄と一緒に暮らすことになり,荷物を片付けて7月に引っ越しました。

タンスも,父の衣類は兄が整理し,私の衣類は残して,持っていきました。
しかし,引っ越した先でタンスを見ると,日記帳は入っていませんでした。

父が,仕舞う場所を変えてしまったのだろうか。
まあ,そのうちどこかから出てくるだろう。
そもそも,家族を苦しめてばかりきた父の日記なんて,
読んだところで大したことは書いていないだろう。
むしろ,読めば,自分勝手なことしか書いていなくて,腹が立つだけに違いない。

そう思って日記帳のことは忘れ,年月は流れ,
叔母が子宮癌で他界した時に葬儀で兄と会い,
雑談の中で父の日記帳のことを話したら,
兄は 「それ,俺が持ってるぞ」 と言いました。

なんだ。そうだったのか。

でも,その時も,見せてくれとも言わずに兄と別れ,
またまた年月が流れました。

今年は,私の一人目の娘が,生きていたら19歳になる年です。
父が他界した時の私と同い年です。
そろそろ,読んでみてもいいかなと思い,
先週,父の法事で兄に会った時に,
父の日記帳を渡してもらいました。

一度だけ父に見せられた時の記憶どおり,
薄い茶色の分厚い日記帳でした。

単身赴任している高松に持ち帰り,読んでみました。





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