Nicotto Town


出逢いのあの日に行こう


父の日記帳 ③

父は,風呂が嫌いでした。
私が高校生の頃,私が毎日風呂に入っていたら,
ガス代が掛かるから週に1回にしろと怒ったことがありました。
私は,小遣いをくれなくなっても構わないから
風呂には毎日入らせてくれと主張して,
父は,そこまで言うなら仕方ないと,
毎日風呂に入ることを渋々認めたこともありました。

そんな父が,10月の終わりぐらいから,やたらと風呂に入るようになり,
多い日は3回も入ることもありました。
「最近食欲が無いけど,風呂に入るとお腹が空いて,物を食べれるんだ」 と,
以前は風呂に入るなと私に言った手前,恥ずかしそうに言い訳しました。

そして,父は,病院も嫌いでした。
私が小学生の頃,父の鼻血が3,4日止まらず,
母が病院に行ってくれと頼みましたが,
それでも父は 「俺は病院には行かない」 と言って聞きませんでした。
私は,「お父さんは一生病院に行かないんだろうな」 と思っていました。

ところが,11月17日の朝,出勤の準備をしている私に父が
「父さん,今日,病院に行くわ」 と言いました。
私は,「ああ…。死ぬんだ」 と思いました。
絶対に自分から病院に行くなどと言わないはずの人が自分から行くということは,
もうこれ以上我慢できないほどにひどいことが起こっている。
一緒に暮らしていながら気付かなかったことは申し訳ないけど,
もう,手遅れなんだと,悟りました。

父の日記は,「11.17 病院初診 ¥800-」 とだけあります。

次のページは,「11.18 ヴリュウム 食道検査」。

11月21日は,「再診,入院予約」。

その後2回病院に行っていますが,
ベッドが空いてようやく入院できたのは12月8日です。
「病名 食道狭窄」 ,「加療 約2ヶ月」 と書かれています。
(実際には,医師から兄には,食道癌で余命3か月と伝えられているのですが。)
父は,体温や,トイレの回数とともに,自分の体重も書いています。
「41.5kg」

そんなに,痩せていたっけ…。
俺は,親父がそんなになるまで,なぜ気が付かなかったんだろう。

入院三日目は,
「たかたか 18:00すぎ帰る 1万円差入れ有 安心。よくしてくれる」
と兄に感謝しています。
また,この日から禁煙を始めて,毎日自分を励ます言葉を書いています。

日々の検査のことや,見舞いに来てくれた人の名前,
交代で付き添いに来る兄と私が何時から何時まで居たかなど,
父は毎日記録しています。

12月22日には手術を受けるのですが,その前日,
兄が当時付き合っていた彼女が面会に来ます。
彼女の氏名,年齢と,「ピンクのカーネーション,白い小花の束」 と書かれ,
何となく嬉しそうです。

彼女は,12月24日にも見舞いに来て,
病院で一人でクリスマスを過ごすのは寂しいだろうからと言って,
父に40センチぐらいの高さのクリスマスツリーをプレゼントしました。
父は,ちゃんと,彼女の名前と 「クリスマスツリー」 と書いています。
我が家では,兄や私のためにクリスマスという行事をしたことが無く,
すっかり年老いた父に今更クリスマスツリーは
恥ずかしかったんじゃないかなと思いましたが,
やっぱり嬉しかったようです。

でも,父は,記録を残しているだけで,
自分が何を考えていたのかをほとんど書いていません。
新年を迎えるに当たり,父に何を食べたいか聞いたところ,
千葉の辺りで売っている不味いのじゃない,北海道の美味しいウニが食べたいと言い,
北海道の親戚から取り寄せて 1月3日に兄と私が持って行った時だけ,
「美味」 と書いているぐらいのもので,後は淡々としたものです。

2月16日は,父の最後の誕生日になりました。




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