Nicotto Town


出逢いのあの日に行こう


父の日記帳 ④

父は,「ありがとう」 と言えない人でした。

私と二人で暮らすようになった頃から,
自分の誕生日や父の日が近付くと
「今年のふみふみ君からのプレゼントは何かな~」 などと言い出し,
催促はするくせに,当日に私がプレゼントを渡すと,お礼を言いません。

ネクタイを渡した時だって,
包みの形を見た瞬間に 「ああ。ネクタイか」 と馬鹿にしたように笑って,
「ありがとう」 と言わなかった。

奮発して電気マッサージ器を買った時だって,
「何だ,これは?」 とビックリした顔をしただけで,
「ありがとう」 と言わなかった。

それじゃあ何なら喜ぶのか,何なら 「ありがとう」 と言うのかと考え,
「そうだ! 親父が欲しい物にすればいいんだ」 と気付き,
何が欲しいかを聞いたら,「何か美味い物を食わせてくれ」 と言ったので,
学校の女子の先輩に,御飯のおかずにもお酒のつまみにもなる料理を教えてもらい,
材料を買って帰ってそれを作っていたら,
台所に来てそれを見た後,ふらりと出掛けて行き,
八百屋で売れ残っていた腐りかけのイチゴを2パック買ってきて,
「これ,すっごく安かったのよ。ふみふみも食べれ」 と言って,
イチゴだけ食べて私の料理は食べず,もちろん 「ありがとう」 の出番も無かった。

「俺の手料理じゃ駄目なら,寿司だったら文句は無いだろう」 と,
翌年は寿司の出前を取ることにしたものの,
私の小遣いには高くて高くて,父の分の一人前しか取りませんでしたが
父はマグロを2カン食べただけで酔っ払って寝てしまい,
やっぱり 「ありがとう」 を言わなかった。

父の最後の誕生日は,もう,私は,父に 「ありがとう」 を期待せず,
「どうせ何かあげても,すぐ死んじゃうんだから,
俺が使いたい物を買うことにしよう」 と考え,
自分が使いたい万年筆を買って父にプレゼントしました。

すると,父は,「ありがとう」 と言いました。
しかも,本当に嬉しそうな顔で言いました。

私は,心の中で,
「違うんだ。今年のは,違うんだ。
お父さんのために買ったんじゃなくて,本当は,自分用に買ったんだ。
それなのに,なんで,今年だけ 『ありがとう』 なんて,
今まで一度も言ったこと無いのに,なんで,今年だけ言うんだ」 と,
非常に申し訳なくなりました。

で,その,父の誕生日の2月16日の父の日記は,
なんと,検温とかトイレのことはいつもどおり書いているのに,
誕生日に関することが何も書いていないじゃないの!
なして~!!!!

兄の彼女がくれたクリスマスツリーは記録しているのに,俺の万年筆は~?!

どうなっちゃってんだよう,まったく~。

そして,父は,2月24日に退院します。
病院が,治る見込みのある人にベッドを空けてほしい,
治らない人は自宅に帰ってほしいと言ったためです。




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