Nicotto Town


出逢いのあの日に行こう


父の日記帳 ⑤

父は2月24日に退院して,家に帰って来ました。
また,私との二人暮らしが始まりました。

それは,私にとって,実は負担が減ることでした。

父が入院していた時期は,
仕事は,通常業務に加え,所管官庁の業務監査を控え,その準備のため,
担当者は全員連日残業,休日も出勤という状況で,
夜間大学の方も学年末の試験があって,
それなのに父は私に,休日だけじゃなく平日も毎日病院に来いと言うし,
洗濯物もどんどん溜まっていくし,
体がいくつあっても足りない感じでした。

それが,業務監査も学年末の試験も終わり,
おまけに病院に行かなくても父が家に居るんですから,
時間的にはとても楽になる…はずでした。

ところが,父は,夜,全然寝ませんでした。

元々夜型の人で,「この人は一体いつ寝るんだろう?」 と思っていましたが,
3か月の入院生活で夜は寝る生活が身に着いただろうと思いきや,
全然そんなことは無く,むしろ,夜の間は完全に起きているようになりました。
そして,30分おきぐらいに私を起こして,
トイレに連れて行ってくれとか,
あそこに座らせてくれとか,
あの本を取ってくれとか,何かしら用事を言い付けました。

こっちが先に死んじゃいそうだわ。

それなのに,たまに兄が彼女を連れて家に来ると,
「今日はたかたかと彼女が来た❤」 ってすっげえ嬉しそうに話すし。

それでも,父は,私と暮らした6月までの4か月間,
私に感謝していたはずです。

いよいよもう駄目だという頃,私を呼び,隣に座ってくれと言いました。
「なんじゃ?」 と思いながら,父と並んで布団の上に座ると,
父は私に寄り掛かり,「俺は幸せだ~」 と言いました。
ますます 「なんじゃ?」 と思いながらも私が黙っていると,父は,
「母さんは病院で死んじゃったけど,父さんは,家でこうして,
ふみふみに世話してもらいながら死ねるんだから,幸せだ~」 と言いました。

私はガバッと立ち上がって,父を見下ろして,怒鳴りつけました。
まあ,あまり正確に再現するのも こっ恥ずかしいですが,
お父さんは死なない,治るよ,
それなのに,本人がそんな弱気なことを言ったら,
治そうと思って看病している僕はどうなるんだ,みたいなことです。
大声で怒鳴りながら,自分で,
中学校では演劇部だったのに,演技が下手くそだなあと思いました。

癌は,これだから嫌なんだ。
最初のうちは,「悪い病気じゃないよ。治るよ」 という嘘が本当っぽいし,
本人も 「元気になったら◯◯がしたいな」 なんてことを本気っぽく言えるけど,
死ぬまでが長いから,もう,最後はお互いに嘘を使い果たしてしまって,
どんな演技も空しいだけになってしまう。

言っていることが全部嘘過ぎて,
父も もう,ただただニコニコと笑っているしかなくて,
それがますます腹立たしい。
こんなあり得ない嘘を,こんな下手くそな演技を,
俺が言わなきゃなんないのは,お前が変なことを言うからだろうが!

あの日のことを,父は日記にどう書いているのだろう?
入院中は淡々と検温とかの記録を書いていたけど,
退院してからは,毎晩毎晩,せっせと何か書き続けていたから,
退院後のページには,かなり,たくさんのことが書いてあるだろう。

そう思ったのに,2月24日の退院の翌日,2月25日以降が,
何も書かれていない!
ページはたっぷりあるのに,何も書いていない!
なしてーーーーー?!

よく見ると,2月24日のページの最後に,
「以下記載 家計簿へ」。

家計簿?

家計簿!

家計簿ーーーーっ!!!

母が病気になってから,ずっと私は家計簿を付けさせられていましたが,
就職して自分のお金で買い物をするようになってから,
家計簿は付けなくなっていました。
父は,その家計簿を,日記帳に使い始めていたんです。

家計簿…。

それは,引越しの時,他の雑誌なんかと一緒に紐で縛って捨てちゃったよう。

ああ,家計簿か。家計簿だったのか。
それは,捨てちゃいけなかったんだ。

父が他界して,この家を引っ越すまでの1か月の間に,
兄か私がこの日記帳を読んでいたら,家計簿を捨てなかったのになあ。

(最終回じゃないぞよ。もちっとだけ続くんじゃ。by亀仙人)




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.