Nicotto Town


メルカッツ提督苺


ちょっと昨日のブログの続きです。

言うなれば宗教なのですが
勧誘とか
宣伝ではありません。
ご安心ください。

世界中の宗教では思いっきりざっくり分けて2種類になります。
一神教と多神教です。
一神教はユダヤ教・キリスト教・イスラム教が代表的です。
順番は発祥年代順です。

多神教の代表格はヒンドゥー教と仏教でしょう。
かつてのエジプトにも多神教がありましたね。

さて、一神教と多神教の発祥地なのですが
一神教は極めて居住環境の厳しい砂漠やサバンナ地帯が多く
多神教は熱帯雨林地帯に多く日本人になじみの八百万の神々というのも
自分たちの生活の身の回りにあるもの、例えばお釜や釜戸など
神々を身近に置いています。言ってしまえば、生活にゆとりがあったと
言えるかもしれません。
一例をあげるなら湿地帯であれば田畑が開け、森林があれば
狩りができる。こんな具合に。
そこで生活に余裕ができた民族は自然の恵みに感謝し様々な神様を
作り出した、などと考えられます。
当然攻撃的な神様(近隣部族との争い)もあったでしょう。
そこで生贄やらが捧げられるようになり、最高の供物として人間が…。
しかし『聖域』というものも設けられたのが仏教や日本神道です。
ここには女性が入れません。
例えば相撲の土俵・刀鍛冶の鍛冶場・霊山(恐山とか)。
理由は昨日も書きましたが女性の経血なのですが、なぜ出てきたのか?
女性の神様もいるのに。謎です。

さて一神教ですが、神様を拝む前に自分たちの生活を成り立たさなければ
なりません。何しろ食料の乏しい砂漠地帯ですからねぇ。
なんとか生活を成り立たせようと神様を作り出し縋り付く。
1人で手いっぱいでしょう。
一神教の最初はユダヤ教です。キリスト教もイスラム教もその派生です。
ユダヤ教は何となくシンプルです。
神様と悪魔がいて、人間の扱いを巡ってお互い争うという感じ。
しかしこのユダヤ教の元もエジプトの古代宗教だと言われています。
もっとも、『反面教師にした』と言われておりますが。
生贄に人間を求める話は非常に少ないですね。
これは多分人口が少なかったからではないでしょうか?
とは言え『妬み』『嫉妬』『強欲』など。人間の暗部が赤裸々に描かれてます。

最後にしますが、それがしは宗教は哲学だと考えております。
哲学、すなわちより良い生き方の指針です。
そこでいろいろ本を読みましたが、『武士道』が一番しっくりきますねぇ。
卒論にすればよかったです。
哲学は他人に共用するものではありませんし自分で探すものです。
でもって、あると自分という存在を見失わないことが多いようです。

最後まで読んでいただき有難うございました。
ご自身の生活にあった哲学をどうか見つけてください。

アバター
2014/08/30 22:17
 まず、宗教と哲学はそもそも西洋の概念で、東洋にはあまり馴染まないと思います。
 例えば、神道と日本仏教はどちらかと言えば、日本人の生活や文化そのものだと思います。

 西洋と東洋の思想の違いをそれぞれの風土から説明するという方法は高校の現代社会の教科書に載っていました。
 西洋思想の基となる砂漠の風土において自然との調和は即、死を意味するため、自然は人間にとって征服される対象でしかなかった。そのため、進化を旨とし、情緒を廃し、単純明快な論理により科学技術を発達させ、世界を席捲するに至った。
 一方、東洋思想の基となる森林の風土においては、最初から自然と調和しており、また、四季の繰り返しの中に進化の概念はなく代わりに輪廻観が生まれたという内容だったと記憶しています。

 ちなみに、キリスト教にも輪廻観はあったようですが、世俗支配に都合が悪いためか、その内、ごっそりと抜けてしまったようです。

 最近、歳を取ってから勉強し直すのは大変なので、若い内にもっと勉強をしておけばよかったといつも思っています。
アバター
2014/08/30 10:13
宗教はデリケートな話題ですが。
そこにあえて切り込むのが提督ですね。

仏教は、原始仏教では一神教というか、むしろゴーダマ・シッダールタが解脱した
ということから解脱そのものへの信仰だったはずです。
仏像すら無かった。
石を信仰の象徴として偶像崇拝を否定したイスラム教に近いものでした。
それが、いつのまにか、仏陀を中心に様々な護法善神が集まる集団の多神教的な
側面が出てきました。
ガンダーラ仏教なんか仏教ですが、内容は古代ギリシア・ヘレニズムの多神教です。
でもそれだから、日本の重文の阿修羅像なんて傑作もできたのですよね。

キスリスト教も最初はユダヤ教の一派で、ユダヤ教ジーザス派でした。
それが迫害されて、死海文書時代の放浪宗教となり。
その後、古代ローマ帝国の国教となって、キリスト信仰よりもマリヤ信仰が
前面に出て、様々な聖人や天使も信仰の対象となったカトリックは一神教
から多神教へと変わったものでした。
ヨーロッパの土地のドルイド教などの多神教と習合したものとも言われます。
サンタクロースも、トルコの聖人と北欧神話の神が融合したものです。
そもそも「神と子と精霊」という言葉を入れてきたこと自体、原始キリスト教
からだいぶ変遷してます。
それがプロテスタントの興隆により多神教から一神教へと回帰しました。

一神教と多神教を区別するのは簡単ですが、そのあいだの境界部分や
ふたつのあいだでの揺れ動きはいつの時代でもあるものだと思います。

私にとって宗教は、南無阿弥陀仏です。
善人なおもて往生す、いわんや悪人をや。
歎異抄は宗教文書ですが、哲学書としても読めます。




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