Nicotto Town



真夏のルフラン’(前編)

県境に近いトンネルを抜けると、深い緑に覆われた山腹と眼下の岩や大きな石だらけの
谷間を流れる川以外には何も見えなかった。

次のトンネルを抜けると川沿いに細い道路が続いているのが見えてしばらくすると
山の麓が少しだけ開けて来て狭い平地に細々と水田が続いている光景が窓の外に
見えて、やがて所々に古びた小さな家がぽつぽつと点在しているしているのが
見える様になって来た。

・・・

小学3年の夏休み中の八月、東京の繁華街で飲食店を経営する母親の仕事の都合で
僕は1週間ほどの間、母方の祖父母の実家に預けられる事になった。

僕は一人で新幹線に3時間以上乗った後、ローカル線に乗り換えて北に向かい
さらに途中の駅で別の列車に乗り換えて、祖父母の住んでいる所がある駅に
向かっている。

同じく都内でいくつかの飲食店と風俗店を経営する父親はもう2ヶ月ほど、顔を
見ていなかったし、母の仕事は午後からなので、一人っ子の僕は一人で行動する事
じたいには、まったく慣れっこになっていた。

大人の世界の事情について、それ程通じている訳じゃないけれど、僕が祖父母に
預けられる事になったのは母親の仕事の都合じゃ無いだろう事は何と無くわかっていた。

大体が母の店はもうすぐ(夏休み)に入るのだ。

しかし僕はもう9歳だ。何かと忙しい大人達を煩わせる程には子供じゃない。

学期中に何度かはテストで百点を取り損ねてしまう未熟で勉強不足な僕だけど
大人が望む様に振舞うのが子供の務めと言う事くらいは心得ている。

「あなたのおじいちゃんとおばあちゃんがずっと前からあなたにすごく会いたがって
いたのよ」

母はそう言っていた。

・・・

いつの間にかワンマンディ-ゼルカーは、僕一人を乗せて山深い風景の中を
走り続けていた。

朝、10時前に東京の家を出たのだけれど、窓の外に見える太陽はもうだいぶ
西の方に傾いていた。

やがて音声アナウンスが間もなく僕が降りる駅に到着する事を告げて山裾を
川と細い道に沿って続く線路の上を走る列車が徐々に減速しはじめた。

僕は着替えとかが詰め込まれて膨らんだバッグを肩に掛け座席から立ち上った。

運転席の窓の方を見ると段々近付いて来るホームの上に二人の人影が
こちらの方に視線を向けているのが見えた。

水色の作業ズボンを履いてランニングシャツ姿に紺色の帽子を被ったひょうりと
した老人と、もんぺを履いて頭に日本手拭いを巻いた小柄な老婆、おそらく
僕を迎えに来た母の両親、初めて会う僕の祖父母なのだろう。

列車がふたりが立っているホームの中ほどにある瓦屋根の古い木造駅舎の所で
停車して、僕が運転手に切符を見せた後、列車から降りるとふたりの老人は
日焼けした顔に満面の笑みを浮かべて僕を出迎えた。

「慎一郎か? おお! 写真で見るよりえろう大きゅうなっとるのう!」

僕の祖父・・・おじいちゃんが言った。

「ほんになあ・・・うちらあ、今まで写真でしか慎ちゃんを見た事無かったけえなあ」

おばあちゃんが言った。

切符を回収する箱の横を通って小さな木造の駅舎の中に入ると左手に木の
ベンチが壁際にあって、右手は今は無人になった駅員室があって木枠の
ガラス戸の向こうに机や古い大きな秤が埃を被っているのが見えた。

駅舎を出たすぐ前には駅の向かい側に食料品・日用雑貨を売っている小さな商店が
一軒あるだけでその両側は雑木林になっていて周辺は大きな蝉の鳴声で覆い尽くされ
ていた。

駅舎の横がささやかな花壇みたいになっていたが、その場所は始終陽が当り続けて
いるせいかそこに茎が太くて高く伸びたヒマワリが僕が今まで見た事無いほどの
大きな花を咲かせていた。

僕はおじいちゃんたちと駅前の道から川沿いの道路の方へ向かって歩いて行った。

川沿いの道に出てすぐ先に小さなコンクリリートの橋が架かっていてそれを渡って
それほど大きくない川を越えると少し平地があって水田が広がっていて向かい側の
山の麓にぽつぽつと何件かのどれも大体同じ様な造りの小さな古い家が
距離を置いて建っている。

その内の割と橋から近い所にある左側の一軒がおじいちゃんとおばあちゃんが
暮らしている家だった。

「ほいでなあ、こっからあ見えんけどあの向こう側の方の川田の家に和美が・・・
慎ちゃんのお母さんのお姉さんなんじゃけど、嫁いどってなあ。そこに恵ちゃん
言うて慎ちゃんのいとこがおるんよ」

おばあちゃんが何百メートルか先の山裾が少し張り出して丘の様に延びている
向こうの方を指差して言った。

「恵と慎一郎は年が同じじゃったろうが」

おじいちゃんが言った。

「ほうじゃ、ほうじゃ、ほうじゃったなあ」

まわりはあいかわらず、いちめん蝉の鳴声に包まれている。

やがておじいちゃんとおばあちゃんの家が近付いて来た。

「ここらはほんに何もありゃあせんとこじゃけえ、東京から来とる慎ちゃんには
退屈なとこじゃろうけどなあ」

おばあちゃんが申し訳なさそうに言った。

「こげな所まで来るんは、大変じゃったろうのう。・・・まあ、しばらくの間、ウチで
ゆっくりのんびりしようったらええがな」

おじいちゃんが言った。

家の外観も僕の目には新鮮なものだったが、家の中に入ると僕はその光景に
目を丸くした。

玄関に入るとすぐ土間があり上がり口の障子の向こう側に見える部屋の正面には
振り子時計が振り子を左右に動かしながらカチカチと音を立てて動いてた。

部屋の右側には古い木製の箪笥が置かれその後ろ側の漆喰の壁の柱の所には
太く大きな数字の日めくりカレンダーが掛けられている。

左側は障子になっていてその向こうは外に通じているみたいだった。

僕はそれまで畳の部屋と言うのを殆ど見た事が無かったので畳の上を歩く事自体が
もの珍しい体験だった。

おじいちゃんとテーブルについて座布団の上に座り扇風機の風に当たりながら
部屋の中を見回していると、おばあちゃんがスイカを切って持って来てくれた。

おばあちゃんが蚊取り線香を炊いて、おじいちゃんが障子を開けた。

蚊取り線香の匂いを嗅いだのは初めてだった。

障子の向こうは縁側になっていて、その向こう側は小さな畑になっていて
トマトやナス、きゅうりなどが植えられているのが見えた。

そのすぐ向こう側は山で鬱蒼と木が生い茂った斜面になっている。

陽はもうだいぶ傾いていて、日陰になった山の斜面からは初めて生で聞く
ヒグラシの鳴声が大きく鳴り響いて聞こえた。

スイカを食べ終わった後、縁側に出てみた。

おばあちゃんが「蚊に食われるけえ、蚊取り線使いんさい」と言うのですぐ脇に
蚊取り線香を置いた。

しばらく縁側に座って足をぶらぶらさせながらどこか物悲しく聞こえるヒグラシの
鳴声を聞きながら山の方を眺めていたがふと気になって縁側の下を覗き込んで
みた。

縁側の下は粒の細かい砂地になっていて、そこにたくさんのアリ地獄の巣があった。

実際にアリ地獄の巣を見るのも生まれて初めてだった。

ふと気配がして左の方を見ると壁の影から僕と同い年位の女の子が顔だけ出して
こっちを見ていたので僕はびっくりした。

彼女は僕と視線が合うと驚いて顔を引っ込めたが、しばらくすると出て来た。

ピンクのTシャツを着て赤いスカートにサンダルを履き、髪は肩より少し長くて
前髪を髪留めで留めていた。

どちらかと言うとかわいいと言うより少し目がきついけど綺麗な顔立ちをしていた。

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2014/09/04 21:42
懐かしい昭和のおうちの夏。
描写が素晴らしいので、
パッと脳裏に情景が浮かびました。
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2014/09/01 19:35
ほっとする田舎の風景 というのは
どこか寂しく ポストカードのような距離感を感じます
でも、そう言うところが好きかも

かいじんさんの情景の書き方って すごく優しくて 
流れるように自然な感じで入ってくるから好きです。
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2014/09/01 12:36
都会少年の夏休み田舎暮らしって冒険の連続っぽいですね
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2014/09/01 11:21
駅の向日葵が印象的です
鮮やかな黄色のおっきな向日葵
田舎に初めて来た主人公を見守ってるみたいです^^
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2014/09/01 03:53
綺麗な出だし
では次に進みます
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2014/09/01 00:35
田舎の取れたて野菜も美味しいけれど、スーパーの惣菜も美味しいよん。(^-^)
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2014/08/31 21:38
ピュアな出会いにドキドキします。
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2014/08/31 19:46
いいね、いいね。 いい感じですよ。
次が楽しみ。
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2014/08/31 19:45
夏の終わりの物悲しい風景が思い浮かびます

でも都会育ちの僕には見るもの全て「!」(ビックリマーク)なんですね^^

何かの探検をする時のようなワクワク感を持って読めました( ⊙‿⊙)

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2014/08/31 18:15
情景描写が綺麗ですね
最後に出会う少女との出会いは
淡い恋にむかうのだろうかと期待させられます
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2014/08/31 15:56
少年の日の思い出スケッチ
これから何かが起りそうな終り方



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