弘法大師空海の異性解脱法
- カテゴリ:日記
- 2014/10/07 22:08:22
言わずと知れた真言宗の教祖でありまして、我が家も真言宗なのですが
それがしは罵声を浴びせて踏みにじりたい坊主の一人がこの空海です。
空海は色欲に溺れない為に
『どんな女も年を取れば皺くちゃになり見にくく太り二目と見られなくなる』
と言って修行を続けたとか。
でも、男だって女だって年をくえばしわが深くなりシミが出たり
肥ったりするわけですよ。
でも人間の愛情って
そんな外目だけじゃ
ないでしょ!!
それがわからない奴の宗派なんて糞以下だ!!
禅宗にでも改宗しようかなぁ?、などと父親の存命中と話してたもんです。
まぁ、信仰心がほとんどない自分宗という親譲りですがね。
あたしも、それに1票
所詮は、偽善者で俗物的なエセ教祖にとっての信者という存在は、自らの力の誇示と、自分の地位を守るための盾と、金集めの存在にしか過ぎないものだと思います。
国家も、宗教も自分が向上するため、生きてくための道具であると考えるべきだと思います。それが逆にそれらに使われ、使えなくなったら捨てられるような存在にならないように気をつけないといけません。
仏教にしても、過去の歴史を見れば俗物的な事柄が多く、信長の時代の一向宗などは使い捨ての道具にされたいい例だと思います。天草四郎の乱もしかりです。過去の歴史を見、正しき事柄を見極めて行動しないと、痛い目に会うと思いますです。
私はどの宗教を信じるのも本人の勝手と思っておりますが、その宗教の教義がまたは教祖が言っていることが、自分を精神的に本当に向上させるものなのか、正義に照らして正しいことなのか、常に第三者的な立場をもって見つめる目を心の中で持っているべきだと思います。
神様はどこにでも居て、どこからでも自分を見ていると思います。罪を犯してしまい、謝罪する方法は各宗教さまざまですが、本当に償う気持ちとそれを行動に移す覚悟があれば、別にどの宗教に入っていなくても、神様はきっと許してくれると私は信じております。
提督の空海上人の俗物論も同感です。空海上人も人間ですから、俗物的な比喩が出てきても当然です。問題は空海上人の唱えた説話が、信じるか否かですね。
私自身は今の仏教のあり方には疑問を持つことが多く、例えば死んだ後につけられる戒名だとかは、なんで金しだいで戒名の良し悪しが変わるのか、また、生前に入信してつけられるならいざ知らず、死んだあとにつかられるのか・・・単なる生臭坊主の金集めの手段になりさがっている戒名になんの価値があるのか、私には全然理解できません。
また、キリスト教とかのようにきまった時間や曜日に教会などに集まって礼拝するわけでもなく、お葬式とかお墓参りのときだけしか、接する機会のない宗教って信じるに値するの?と思ってしまいます。とまあ、私の自論ですが、長々とコメしてすいません。
キリスト教にしても、仏教にしても、イスラム教にしても、教祖の教えから今日にいたるまで、様々な伝道士やら宗教家によって解釈が変わり、今の時代においてもともとのあるべき教えとは違っているかもしれません。
キリスト教はイエスを神の子としておりますが、死海にて発見された文章ではそのようなことは一言も書いてないです。
また、イスラム教にしてもマホメットが最初に教えた説法が、いまではジハードと称して罪のない人々を殺戮しまくる〇〇〇〇国などというテロリスト=狂信者がいるイスラム教の宗派も存在し、本来の教えとはかけ離れていると思います。このように長い歴史によって元の教えが歪められて伝わっている可能性があります。
それに、新興宗教などは信じるに値しないしません。どっかのアホな教祖は自分は〇〇の生まれ変わりだとか、最近では御嶽山が我が身に降りてきたなどといって、吹聴する始末・・・そんな奴があっちこっちに信者から巻き上げたお金で豪華な教会を建てて(・・・知っているのは赤穂浪士で有名な泉岳寺近くに場違いな同宗教の教会があります)、ことさら終末論やらで人々の恐怖心や不安感をあおり、勧誘している宗教もあります。
また、マ〇ミという愛称の芸能人は、自分の信じる宗教に入信しないと、自分の出ている番組のみならず、業界から追い出すなどという暴挙に出るような人々が信じる宗教もあります。
正しい教えであれば、有名な宗教家や過去の教祖の名前を使って信者の勧誘をしなくても、自然と人は集まるものだと思っております。そういうチカラにたよったり、拉致して洗脳まがいのことをしないと信者が集まらない宗教は、私は信じるに値しないと思っております。
→つづく