徳川家康が律義者?
- カテゴリ:日記
- 2014/12/10 21:38:37
これは豊臣秀吉との約束だった千姫と秀頼の婚礼を行ったからです。
しかし本当に律義者だったのかな?
それがしが子供の頃は『狸親父』の異名でした。
特に顕著なのは秀吉の死後誓紙の中の『大名同士の婚礼は禁ず』という項目を
破って、伊達家や蜂須賀家と言った豊臣恩顧の大名と次々と婚姻関係を結び
五大老の前田利家らに詰問されたのをのらりくらりと躱し、征夷大将軍になった
際、次は秀頼に譲ると言って結局自分の子供に譲ったり
ということをしている。
やっぱり律義者じゃないでしょ。
でなきゃ、戦国時代は生き残れません。
ただ、秀吉に対してそういう気持ちはなかったでしょうね。
対信長
と
対秀吉
では気持ちが全然違ったでしょうから。
秀吉なんかが天下とっちゃって、苦々しく思っていたことでしょう。
「信長の草履取りだったくせに…。」
な~んてきもちはあったでしょうね~。
家康は律義者と言うよりは真面目って感じだと思います。
真面目で世渡り上手なイメージです。