Nicotto Town



旅行 22日目 カンボジア・プノンペン

4人部屋のドミトリーを一人で独占して使っていたのに、朝、一人増えました。
見た目は日本人女性ですが、聞いてみると中国の黄平(ふぁん・ぴん)さん。
とても元気な女の子で、これからキリングフィールドに行くけど、一緒に行かないかとのことです。

特に予定もなかったので、一緒に行くことにしました。

すると早速外に出てトゥクトゥク(バイクに荷台をつけたタクシー)のおじさんと値段交渉をしています。
そして戻ってきて一人7ドルで行ってくれるとのこと。確かに一人で行くより二人で行ったほうが安くつきます。

目的地のチュンエクは市内から12Kmほど離れたところにあり、その間お絵かきソフトを使いながら会話しました。
でも、黄さんは簡体字は書けても、元になる繁体字は知らないそうで、簡体字で書かれてもこれは何かと創造想像するのが一苦労でした。

チュンエクというキリングフィールドは、カンボジアで見つかった100以上のキリングフィールドのうちのひとつです。

さて、私は実はカンボジアへはあまり行きたいと思っていませんでした。それは、1970年代にポルポト政権ができ、800万人国民のうち、150万人から250万人ほどの大量殺害を行い、政権を失ってからもジャングルに逃げ、地雷を仕掛けるなどその後10年ほど国内を混乱に陥れたことを知っていたからです。

まあ、でもアンコールワットは一度見ておきたいと思ってカンボジアへ足を運んだわけです。

キリングフィールドというのはそのポルポト政権時の警察が囚人の殺害を行った場所で、一ヶ所に1万人以上の死体が埋められていたそうで、その中には赤ちゃんまで含まれていたそうです。
もともとは反革命思想の人たちを捕らえていったのですが、そのうち、教師や知識人、果てはメガネをかけていると言うだけでも捕まったそうです。

チュンエクでは、各国語の音声ガイダンスを貸し出しており、私は日本語のを、黄さんは中国語のを借りて中を見て回りました。

ガイダンスを聞くと、ポルポトが政権を取って、首都プノンペンからすべての人を農村に追い出し、生産性を挙げるために一日10数時間も働かせたなどの解説もありました。
また、ポルポト一派は政権を失った後ジャングルに逃げ、その後10年ほどの内戦が続いたそうで、そのときに埋められた地雷がいまだに残っていて、取り除き作業がまだ行われているとのことです。

ほとんどの建物などは取り壊されていましたが、埋葬されたところは掘り出されて穴になっており、いまだに骨や衣類が出てくるそうです。

慰霊塔には、見つかった頭蓋骨が分類されてうずたかく並べられていました。外国人ジャーナリストも8人ほど混じっていたそうです。処刑は斧などをつかったそうで、割れている頭蓋骨も多数。

今は民主カンボジアになって、新しいカンボジアを作っていこうとしています。

さて、午前中でチュンエクの見学を終え、ホテルに戻ってくるともう一人宿泊客が増えていました。
見た目は日本人男性です。
ハローと一言言った後、何もしゃべってこないので、間違いなく日本人です。
その後、WiFiパスワードは何かと英語で聞いてきたので、こちらも英語で答えておきました。
ちょっと見ると、日本のサッカーマガジンを見ていたので日本人には間違いないようです。

午後は暑いので出かけず、夕方すこし日が翳ってから王宮見学へ。
夜はマーケットであんみつを食べ、シーフードチャーハンの夕食。

コンビニでビールを買って帰ると、日本人男性は外出中らしく、黄さんだけ居たので、二人でビールを飲みながらいろいろと話しました。

まあ、話の種に尽きたときは、撮っている写真を見せて話を膨らませていきます。

で、私が世界25カ国くらい回っているという話をしていたら、何故中国には来ないのかと聞かれました。
うーん、確か中国はトイレのドアがないし、すぐにメイヨーって言ってくるからと言うと、今はトイレにはドアはあるし、みんなヨーヨーっていうから大丈夫といいます。
そういえば中国人は犬を食べるしというと、黄さんは、自分は食べないけど犬の肉はおいしいと言います。
じゃあ鳩はときくと、鳩はおいしいので食べるそうです。

なんて話をしていたら、日本人はイルカを食べるという話になり、The Coveという映画を持ち出してきました。いや、あれは違うからといっても、じゃあ鯨は食べるでしょうって話に。

まあ、その国々で食べるものが違うと言うお話でした。

アバター
2015/02/07 21:00
ぴな。さん

日本人は分りやすくていいですよ。

20年前にカンボジア行かれたんですか。
その頃は東南アジアといっても、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーは全く行こうと思わなかったですね。
今はすいすい行けるので回ってきましたが。

地雷の件いろいろあちこち見てたら、もう大変ですね。アメリカから始まってベトナムや、国内各勢力、各派がこぞって地雷をばら撒いたり埋めたりして、その数1200万個とか。
タイもタイ国境側に設置していたらしいし。
アバター
2015/02/07 20:50
空豆さん

これからまた薄くなっていきます。多分。
中国人とドイツ人は敵に回したくありません。

ドイツ人は、福島のことにかなり関心を持っていて、いろいろ聞いてきますが、
日本のマスコミが福島の真実を報道していない(と思われる)ので、説明に苦労します。
アバター
2015/02/07 20:47
ちくちくさん

中学高校とまじめに英語を勉強していれば、誰でも身につくかと。
アバター
2015/02/07 01:20
>ハローと一言言った後、何もしゃべってこないので、間違いなく日本人です。
馬鹿受け。www
確かに、海外のホテルのエレベーターとかで、グッドモーニングへの返事も会釈もしないのは、
間違いなく日本人ですね。あれ、いい加減、なんとかならないのかしら^^;

カンボジアは、20年前に行ったので、帰国後、結構がっつり調べたのですが、
地雷を埋めたのって、大半はポルポト派じゃなくて、ポト派を追い出した側なんですよ。
ポト派「が」埋めた地雷が・・・なんて、民放のニュースで言ってるのを聞いたコトもあって
仰天しましたけど、あれは、ゲリラ的に潜伏していたポトさん用。実は、逆なんです。
もちろん、ポトさんの方が、はるかに大量虐殺したんですけど。
プノンペンの中央市場の一画も、死体が山積みされたそうです。
ポトさんプノンペン入りした時に、政府の役人してた人達とその家族全員の・・・
道理で、変な気配の場所があったわけで。。。

20年前は、プノンペンの空港には、国王夫妻の肖像写真が並んで掛けられていたのに、
シェムリアップの空港には、シアヌーク国王の写真の隣には、
王妃じゃなくて、ポトさんの写真が並べてあって、ぶっ飛んだものでした。
さすがに、あれは、もう、ないでしょうねぇ。w
アバター
2015/02/07 00:20
どんどん濃くなる旅行記です。
面白く読ませていただいています。
食のお話は、互いを尊重し合うしかないと思いますが、なかなか可愛い強敵ですね。
アバター
2015/02/06 22:54
うちの娘が3年前にベトナムとカンボジアにボランティアサークルの活動でいったことあるんだけど、
カンボジアのアンコールワットクッキーだったかな、カンボジアの食材を使って、
カンボジアの人たちが作ったクッキーの会社を作られた女性社長さんにお話を聞いてきたって。
そのあとカンボジアの孤児院にいって子供たちと遊んだんだって。
だからカンボジアの子供たちも国についても本当に他人事じゃなく感じてるよ。
うちの娘はその経験で今の看護の道に行くことができたんだけど・・・
( ̄▽ ̄)とてもじゃないけど、海外活動できる看護師にはなれそうにないみたいだけど・・
( ̄▽ ̄)あれってすんごいエリートなんだと改めて知ったり・・・

こはるは使える英語ってどうやって身につけたのか、またなんかの時に教えてください。



月別アーカイブ

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2013

2012

2011

2010

2009

2008


Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.