歴史に『もしも』はタブー?
- カテゴリ:日記
- 2015/10/29 23:05:12
多くの歴史学者が言っています。
しかしそれはどうでしょう?
『温故知新』
『時が移り、所が変われど、人の営みに、変わりはない』
よく言われることです。
それがしの好きな小説でこんなセリフがあります。
『人類には2つの潮流があって人命より重要なことがあってと
人命より重要なことはないってね。
人は戦争を始める際に前者を理由にし止めるときに後者を理由にする。
そんなことを何百年何千年と繰り返している』
『温故知新』とは『古きに学び新しきを知る』と言うことです。
例えばですが
太平洋戦争開戦時にハワイ諸島を占領したらどうなっていたでしょう?
米軍の太平洋側に展開していた3隻の航空母艦は寄港地を失い
真珠湾内で座礁した7隻の戦艦も引き上げられず、むしろ日本海軍の
重要な戦力になりえたでしょう。
また、12月1日の御前会議で開戦が決定された時点でアメリカに
宣戦布告をしたならば、真珠湾のアメリカ艦隊をマリアナ方面に
引きずり出して、完全に沈めて太平洋の覇権を握ることが
できた可能性があります。
瀬戸内海の呉港には6隻の戦艦と3隻の航空母艦を温存していた
日本軍はこれをハワイ諸島占領に使えばミッドウェー諸島は
完全に孤立するばかりか、ドーリットルの帝都空襲もなかったでしょう。
その後はサモアの攻略、フィジー諸島の占領も容易になりますし
さすれば、米豪切断にもつながります。
結果的に山本五十六長官の思い切った賭けができなかったことが
敗戦につながったと言わざるを得ませんが、反面、日本は
敗戦したことにより、今それがしはこんなブログをかけるのでしょうし
中国や北朝鮮のような情報統制・言論統制がないわけで
負けてよかったのは事実です。
しかし、『歴史にもしもはタブー』と言うのは固定概念とすべきでは
無いと思う次第であります。
『歴史は繰り返す』
と言いますが、それは歴史に学ばず人の営みを振り返らない
一種の『思考停止』に思えてなりません。
歴史を学ぶのであれば『もしも』という仮説も打ち立てて
未来につなげていくことこそ重要ではないかと思います。