ケネディー暗殺犯オズワルド節
- カテゴリ:ニュース
- 2015/11/01 21:48:14
以前も書きましたが、オズワルドに固執している方がいたので
ちょっと書かせていただきます。
まず、ケネディー大統領の暗殺につかわれた銃弾は3発です。
これは、ビデオ映像と音声から確実なものです。
で、オズワルドの狙撃兵時代の成績は『B+』です。
100㎡先の固定標的をかすめる程度です。
それがしはアーチェリーをやっておりまして90㎡から固定的を
撃ちました。
真ん中の最高点部分は1円玉の5分の1程度の大きさですが
撃ち抜きまくりました。
でも移動標的だと極端に難易度が上がります。
横水平移動なら楽ですが、縦方向では距離が変わり風邪や湿度・温度が
変わるので段違いに難しくなります。
それがしは的に当てるのがやっとでした。
100mの静止標的をかすめる程度の腕ではまず当たりません。
それからオズワルドの当日の行動が意外と監視されていて
13時半に同じビル内の3階の食堂で食事をしていてその後
車で30分ほどの映画館で2時間映画を見ていました。
これには半券があるのと、途中体質時のハンコがないため
ケネディー大統領暗殺時には殺害現場にいなかったことがわかります。
また彼の携行していた拳銃は22口径で、これでは100㎡すら
届きません。
最後にオズワルド暗殺事件ですが、この時使われた拳銃は
38口径のリボルバーで、警官の携行銃です。
連邦刑務所移送時に暗殺されたのですが、この模様を放映するのに
集まった報道陣はみんな金属検査や武器の携行検査を受けています。
これをパスして暗殺したのであれば考えられることは警察内部の
犯行・あるいは協力者がいることになります。
当時、既に銃のシリアルナンバーから警官の特定はできていたのですが
その後のオズワルド暗殺事件では取り上げられませんでした。
国家ぐるみの暗殺とみられる状況が揃い過ぎていますが
実はビデオ映像は歩道橋の上からと暗殺に使われたビルからも
撮影されていました。が、これらは現在抹消されています。
今年はアメリカの公文書公開期限制度年に当たりアメリカ人なら
誰でも閲覧できるはずの年ですが、ウォーレン委員会の調査書以外は
破棄されています。
ケネディー大統領は、ピッグス湾事件をきっかけにベトナム戦争に
介入したともされています。
はたして大統領が自作自演だったピッグス湾事件をどの程度細かく
精査したかは謎ですが、内政に忙殺されていた状態とソ連との軋轢から
不完全な報告書をそのまま受け入れて、戦争に介入したことは
容易に考えられます。
個人的な憶測ですが、ベトナム戦争への介入を成功させた
軍部・軍事産業界・FBI・CIA・マフィアは『これでケネディーは用済み』
と、したのではないでしょうか?
結論、オズワルドはスケープゴートだったわけです。
如何でしょう?
不自然過ぎると言う事、犯人に仕立てるべき条件を、無理矢理に
こじつけられたような気がします。
内部に協力者がいなければ、出来ないですね。
ケネディ大統領の狙撃場面、何度見ても衝撃です。
大統領の車の同乗者が至近距離から撃ったという説もあったと思います。
確か、あと20数年経ったら真相が公開されるそうですね。
おそらく、最後の審判の後だから問題ないだろうということだと思いますが、たぶん、その頃にはアメリカは国家の体を為していないだろうし、今の我々の文明そのものが終わっているかも知れません。
私自身は何としてもそれまで生き延びて、この世界の変遷を見届けたいと思っています。
私はケネディ夫人が車の上に飛び散ったケネディ氏の脳みそをかき集めてたのが印象的でした。