ヨシフ・スターリン
- カテゴリ:日記
- 2015/11/21 02:59:35
やっぱり『歴史』ってカテゴリーは欲しいですねぇ^^
さて、題材の人物知らない人はいないでしょう。
旧ソ連の独裁者にして侵略者・虐殺者、そして暗殺を恐れた人物。
侵略者とは、第二次世界大戦でドイツと共謀してバルト三国と
ポーランドに侵攻し、戦後も東側諸国の盟主として冷戦の立役者。
虐殺者については枚挙にいとまがありません。
主だった2つを挙げます。
1.レーニンの死亡後国政を引き継いだとき人口は4億人いました。
スターリンは『ドイツ軍に殺された』と言っていますが実際に戦争で死亡した
一般市民は約3千万。
ほとんどがシベリアの開拓に名を借りた追放です。
自分の思想に反するものは家族ごと抹殺するかシベリアで餓死させました。
それがためにKGBの前身組織の秘密警察を作りました。
逃亡した人もいますが、極少数です…
結果、スターリンが死んだときの人口は2億人強。
いったいどんなことをすればこんなになるのやら…
2.そして見逃せないのが戦争捕虜の扱いです。
ウィーン条約では
『戦争捕虜の健康管理と身の安全には万全を期すこと』
となっています。
ところがスターリンは戦争捕虜をシベリアに送り開拓事業に従事させ
1日1食の食事と500人収容に小屋に暖炉が一つ。
ドイツ軍捕虜は100万人ほどいましたが帰国できたのは6千人ほど。
しかもその頃にはベルリンの壁ができていて西側諸国に故郷をもつ人は
家族に再会もできず死んでいきました。
日本人の戦争捕虜も6万人ほどが死んでいます。
最後は『暗殺を恐れて怯えきっていた』と言うことです。
それがために秘密警察を作り、密告を奨励し、レーニンの腹心だった
軍部の高級士官を多く更迭しました。
それ故、対ドイツ戦争の序盤にモスクワまでの侵攻を許したわけです。
結局勝ったと言っても三千万の兵力をかき集め数で押しつぶすしか
手段がありませんでした。
その証拠に、ドイツ側の戦死者は三百万でした。
でも、人の命は数で語るものではないですね。そこは反省です。
で、暗殺ですが、食卓に毒が混ぜられたり影武者が銃撃されたりと
何回襲われたか正確にはわかっていません。
わかっているのは『影武者が13人だった』ことだけ。
最後は心臓麻痺で他界したことになっていますが、実際には
長年食事にヒ素が混入されていて最後には医師にビタミン剤と称して
塩化カリウムを点滴されたという俗説があります。
塩化カリウムであれば眠るように死ぬので苦しみの形相は無いのですが
正直、それがしにはもっとむごい殺され方をしてほし方ですね。
とは言え、独裁者は常に孤独で猜疑心に追いかけられる
ものなんでしょうね。
いまの旧ソビエト連邦=現ロシアの国歌はあまり知られてないけど、レーニン以外にスターリンを称える歌詞があるんですよね。それに、ドイツ国家もナチスを称える歌詞があるので、公式行事などの前では決して歌われない国歌があります。そうやって神格化にとりくむのは独裁者であるといわしめるものですね。まあ、独裁者の最後は結局回りの部下など信じられなくなり、粛清したりして、最後にはろくな死に方しないのが定番ですけどね。でも、スターリンはやはりヒットラーやチャウセスクと同じような死に方をしてほしかったですね