Nicotto Town



晴れの国(前編)

全国的に見て雨の少ない地方で生まれ育った。

1981年から2010年までの30年間の統計値の平均でみると僕の生まれ育った県は
全国の都道府県で1番、雨の日が少ない。

年間の降水量も47都道府県の中で下から3番目。

この統計値を何となく眺めていて気付いたのは全国で最も年間降水量の多い
高知県(2547mm)と長野県に次いで2番目に降水量の少ない香川県(1082mm)
が隣接しているという事と、年間降水量全国1位の高知県の年間日照時間が山梨県
(2183時間)に次いで2番目に多い(2154・2時間)という事だ。

僕の生まれ育った県は、年間日照時間全国14位とそれほどでも無いのだけれど
雨の日が少ないという事をもってして、県はある時期から(晴れの国)という
キャッチフレーズで県のPRを始めだした。

僕は子どもの頃から今まで自分が雨の少ない土地に生まれ育ったという事を実感した事は
たぶんほとんど無かったと思う。

しかし雨の日の思い出というのを今、思い出そうとしてみたけれど、台風とか雷雨の
事が思い浮かんだ以外、すぐには何も思い浮かばない。

・・・

5月も終わりに近付いた。

今日は4時限目の授業は無いので、僕は職員室で昼までの時間を比較的
ゆっくりと過ごしている。

校舎の1階にある職員室の窓から見えるグラウンドに降り注ぐ
正午近くの陽射しは強く、外は初夏の熱気に包まれている。

グラウンドのフェンスの向こう側を走る国道を挟んで建っている町民会館などの
建物が並んだその向こう側は港の岸壁でその先には瀬戸内海が広がってすぐ
沖合いには汐見諸島の島々が迫っているのだが1階のここからでは見えない。

この町立中学校校舎の裏側は海岸沿いに走っている単線線路を挟んですぐ
なだらかな低い山々が連なっている。

今年の4月に新任教師としてこの汐見町立汐見中学校に着任して以来
慌しい日々が続いていたけれど、最近ようやく少しは落ち着きが持てる様に
なって来た。

・・・

海岸線と山々の間のわずかばかりの平地に東西に細長く続いているこの町を
西に向かって抜けて7,8キロばかり行くと陶器で有名な海前(うみさき)市に出る。

かつて海前湾の最奥にある海前港から北の方へ30キロほどの山間部にある鉱山に
向かって鉱物輸送の為の鉄道が延びていて、数少ない沿線住民の為の旅客営業も
細々と行われていたが、鉱山が閉山となり僕が高校を卒業した年の6月に廃止された。

僕の実家はこの海前市と鉱山とのほぼ中間の位置にある山に囲まれた小さな集落に
あり、僕は高校時代、1両だけで走る戦前生まれのディーゼルカーに乗って
海前市にある県立海前高校に3年間通った。

高校卒業後、東京都内の大学に進学し去年この県の教員採用試験に合格した僕は
4月からこの汐見町立汐見中学校に社会科の新卒教員として赴任する事になった。

生徒数は現在178名、各学年2クラスずつと特別支援学級がある。

僕は2年2組の担任をしている。

汐見町は汐見諸島の島々に住む人々約500人も含めて人口約8000人ほど
漁業が盛んで特にカキの養殖で知られている。

地形的に平地が少なく多くの住民は海と山に挟まれた狭い土地に沿って
軒を並べて暮らしている。

豊かな自然に囲まれたのんびりとした環境の中でこの学校の生徒達はのびやかに
健全に育っている・・・わけでも無い。

今朝も僕のクラスの武井健一、市野直哉、南原健介の3人組が靴箱脇の影で
畑野修二に向かって何か言っているのを見かけた。

はっきりとした場面を目にした訳では無いが、校内のいろんな場所で幾度と無く
4人の様子を見かけていれば何と無くわかる。

畑野は元々大人しい印象の生徒だったが、最近は目に見えて表情に
陰りがある。

資料で見れば武井、市野、南原の3人は1年の時には同じ1組だったが畑野は
2組だった。

僕の目から見る限りでは(兆候)が見え始めたのはここ1ヶ月ばかりの事の
様に思える。

時計を見ると4時限目が終わるまでには、あと15分ほどあった。

(こういった事は子供社会の中の出来事なので、大人が入りこんで口出し
する様な事ではない)

なんて言ってるのをTVで見たりする。

それで、いつかある時期に彼らが自ら気付き、悟って彼ら自身で問題を解決し
良い結果をもたらすと言うなら、何も言う事はないけど、まず大抵は
そんなに都合よく事が運ぶ事は無い様に思える。

生徒の自主性に委ねる?

感情のコントロールも出来ず、やっていい事と悪い事も分別も出来ず、いや頭では
わかっていても、露見しなければとか、俺だけがやってるわけじゃ無いとか
狡猾とまでは言わないにしろ安直に考えている。

そんな子供に必要なのは、自主性を持たせる事などでは無く指導だと思う。

(いじめられている方に問題がある)

問題があると言うのはその通りだと思う。

ただ、孤立無援の状態で自力だけでは解決出来ない問題に直面している
13歳の子供の無力さを責めると言うのはちょっと神経がわからない。

僕が言うのは、今後少しずつでも身につけさせなければならない物が
あるだろうと言う事だ。

しかし生徒間の間だけで、しかも大人の目を盗んで行われている事に
介入するのは難しい。

ただ行為を止めさせるのではなく、事の理非を根本的に理解させなければ
意味がない様に思える。

理想論を並べ立てているみたいだけれど、いずれにしても立場上
何も言わない、何もしないと言う訳にはいかない。

(とにかく・・・まずはリーダー格の武井かな)

4時限目の終了を知らせるチャイムが鳴った。

・・・

校舎2階にある2年2組の教室で給食を取った後、僕は教室を出て
向かいに建っている第2校舎の3階の方に向かった。

理科実験室の前に何人かの1年生の男子生徒がいたので彼らと他愛の
無い話をしながら、右斜め下の方角に見える自分のクラスの教室を
眺めた。

真向かいの位置にある美術室の前まで行けば、もっと教室の様子が
よくわかるのだけど、そこからだといかにも自分の担当するクラスを
観察している様に見える。

窓際に近い中ほどの席を取り囲んでいる、武井、市野、南原の背中だけが
見える。

畑野の席だが畑野の姿はここからは見えない。

1年の男子生徒達がどこかに行った後も、しばらく様子を眺めていたが
時折、3人の体が大きな動作をした。

畑野本人には手を出していないのかもしれないが、机を蹴飛ばしたり
している様にも見える。

どうやら早急な対応が必要な様だった。

僕はそのまま職員室に戻り、次の授業の準備だけした後、生徒資料を
手に取った。

この学校の生徒には親が漁業、或いは漁業関係の仕事についている
という者が多いが、武井健次の家は鉄工所を営んでいて、武井は
その家の次男だ。

2つ年上の兄はこの汐見町から電車で40分程かかる場所にある
工業高校に通っている。

畑野修二。

この中学校には汐見諸島の島から通っている生徒が8名いるが
畑野修二もその内の一人だ。

畑野の住んでいる多美島はカキの養殖が盛んだが、畑野の家は
民宿を営んでいて、島の斜面でミカンの栽培などもやっている。

畑野も次男だが兄が10歳上、姉が7歳上とやや歳が離れている。

生徒資料を閉じた所で丁度、僕のクラスの委員をしている
奥山多恵子が職員室に入って来た。

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2016/06/03 18:33
先生視点のイジメ問題。興味深いです。
僕はどう対処するのか・・・
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2016/05/31 11:41
いじめは良くない!
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2016/05/31 07:16
続きものですね。長い物語を面白くさせる方法は人数を増やさないようにすることと真の主人公が人生を一変させるエピソドなのだとか。

岡山県、鉄道ときたら、鉄っちゃん文豪・内田百閒ですよ。『阿呆列車』全三巻と『御馳走帖』は私の座右の書。お弟子さんの平山三郎さんの著書まで拝見しました。


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2016/05/31 01:15
難しいテーマですね
先生がどう子供達と関わるのか
楽しみです (楽しみってのもアレか(^-^;



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