Nicotto Town



晴れの国(中篇)

・・・

「そうじゃ、そう言やあ奥山って1年の時、畑野と同じ組じゃったんじゃろう?」

奥山と何気ない会話をした後、ふと思い出した風に尋ねてみた。

「うん。同じ2組じゃったけど」

「畑野って、えろう絵が上手いみたいじゃのう」

「そうそう。畑野君って絵描いたらぼっけえで。夏休みに描いて来た絵を
見た時あまりに上手過ぎるんで教室が大騒ぎになったけえ」

僕は彼の絵を見た事は無いが、確かに相当絵が得意なんだろうと思う。

1年生の時に、県の児童生徒絵画展で県知事賞を受賞している。

「あんなあ、畑野君の事なんじゃけど・・・」

奥山が周囲を見回した後、言い出しにくそうに口を開いた。

「まあ、畑野も、もうチイと楽しい顔して学校に来れる様にしちゃらんと
いけんのう」

5時限目のチャイムまで2分を切っていたので、僕はそれだけ言うと
立ち上がった。

・・・

6時限目の授業は僕のクラスだった。

「ほんじゃあ次、(平安時代の武士たち)の所・・・」

僕はそう言うと教室を見回して次に教科書を読み上げる者を選ぶ仕草を
したが誰を指名するかは既に決めていた。

「じゃあ、畑野に読んで貰おうか」

畑野がおずおずと立ち上がりためらいがちな声で読み始めた。

「平安時代の武士たち・・・平安時代には地方の豪族や有力農民たちは・・・
私有地を広げていったのであった・・・9世紀の中ごろから・・・」

隣の席の人間にやっと聞き取れるほどの声でぼそぼそと読み上げている。

「もうチイと大きい声で読んでくれにゃあ、皆に聞こえりゃあせんがな」

僕はその時、そう言いながら細野の方を見ていなかった。

「豪族や有力農民たちは自分たちの土地や財産をまもるためには・・・
兵力をたくわえていった・・・」

畑野が先ほどより少しだけ大きな声で再び読み始めた。

僕はその間もずっとある1点を凝視していた。

「もうチイとだけ大きな声を出して読め」

「一族の者や、手下の農民たちに武装させるようになった・・・」

畑野の声がまた少し大きくなった。

僕はずっと教壇の横に置いた椅子に座ったまま一人の生徒を凝視している。

「このようにして、武士(ぶし)ができていった・・・」

「先生、なしてそがいにワシの方ばぁ、見よるんなら」

たまりかねた様に武井健次が言った。

「別に見とりゃあせんがな」

視線を動かさずに僕は答えた。

教室内に一瞬、沈黙の間が流れた。

「・・・武士たちは、一族のかしらを棟梁(とうりょう)として、それぞれの一族ごとに
武士団を結成していった・・・」

「見よるがな」

「ほいじゃけ見よりゃあせん。・・・ワシの視線の先にお前がおるだけじゃ」

「・・・」

「・・・貴族の中にもこれにならい、武士団をつくり・・・ ・・・源氏や平氏などが
そのような貴族の武士である」

そこで読むのを止めさせ、畑野は席についた。

僕はまだ武井から視線を外さずにいる。

武井はずっと気まずそうな困惑した表情で僕の方を見返している。

「何なら?・・・嫌なんか?」

僕は言った。

「そりゃあ、そがぁにずっと見られようたら、気になってしょうが無いけえ」

「ほうか。ほいじゃあやめるわい。・・・嫌じゃぁ思う事をされるんは嫌じゃろう
けえのう」

僕はそう言って武井から視線を外し、椅子から立ち上がった。

少しでも伝わったかどうかはわからないがいずれにしても、これで終わったとは
まったく思っていない。

とりあえず、1球、牽制球を投げてみただけの事だ。

授業とホームルームが終わった後、職員室に戻って大きく息をついた。

とにかく、問題を解決出来るまでは、思いつく限りの事を次々とやってみるしか
無いと思った。

・・・

次の日ももよく晴れた一日だった。

この日の5時限目は自分の受け持つ2年2組の授業だった。

その後の6時限目は各クラスのホームルームになっている。

「武井、市野、南原、畑野・・・この4人は今からすぐに体操服に着替えて
体育館の前に集合せえ」

給食の後、僕は4人に向かって言った。

武井、市野、南原の3人は怪訝な表情をした後、互いに顔を見合わせ
畑野の方へ視線を送った。

畑野も目を見開き、何か問いたそうな目で僕を見つめている。

「体操服に着替えてどねえするんですか」

市野が僕に尋ねた。

「授業に決まっとろが。・・・あんまし時間が無いけえ早よせえよ」

それだけ言うと、クラス委員の奥山多恵子に職員室に来る様に
言って席を立ち、職員室に戻った。

職員室で奥山に最近授業でやった所のプリントを渡して今日の
授業は自習にすると伝えた後、僕も着替えようかと思ったけど
結局、そのままナップサックだけ持って体育館前の方へ向かった。

しばらくすると4人も体操服姿でやって来た。

「よし、ほんなら行くぞ」

僕はそれだけ言って校門の方へ向かって歩き出した。

「行く言うて、どけえ行くんですか?」

後ろに付いて歩きながら武井が言った。

「今日はお前らだけ、野外授業にする」

「どこで?」

「あれに登る」

僕は校門を出た所で、すぐ近くに見えている物見山を指差して言った。

物見山はここから国道を挟んですぐ右手に見えている汐見港の端に
ある標高120mほどの小さな山だ。

横断歩道を渡り、右に曲がってしばらく歩き観光旅館の脇の路地に入って
登山道口の方へ向かった。

高い所から照りつける陽射しが痛いほどに肌を灼いた。

4人は表情に不審の色を浮かべながらも黙って付いて来ている。

頂上近くまで舗装されている登山道を登り始めるとたちまち汗が吹き出て
来て僕は着替えて来なかった事を少し後悔した。

急な勾配を登って行く内に僕と4人の生徒達の息が少しずつ荒くなって行く。

周囲は鳥の鳴き声だけが騒がしかった。

「先生、なしてワシらあこげな所、登らされよるんかの」

汗を噴出させながら武井が僕に尋ねた。

「頂上に着いたら教えちゃるわい」

そう答えている内に登山道の両脇を覆っていた樹木の枝が途切れ、麓の様子が
見渡せる場所に来た。

すぐ眼下に太陽の光を受けた青い海がありフェリーが停泊し、何層もの漁船が
固まって繋留されている汐見港が見えてその向こうに汐見の町並み、汐見中や
少し離れた所にある汐見駅の簡素な駅舎が見えた。海側の方には汐見諸島の
中で一番大きい大鳥島の一部だけが見える。

やがて舗装が途切れて山道になった所を少し登って頂上にたどり着いた。

頂上からは汐見町の町並みや瀬戸内海に浮かぶ汐見諸島の島々等が
一望に見渡せた。

僕は4人の生徒達に氷を入れて持って来た麦茶を飲ませて少し休ませた後
ナップサックから4枚の透明ゴミ袋を取り出した。

「ほんじゃあ、もうすぐに始めるぞ」

「始める言うて何を始めるん?」

南原が言った。

「何をする言うて、周りをよう見てみい。あちこちにゴミが落ちとろうが。
それを集めて持って帰るんじゃ」

「なして、ワシらだけそげな事をさせられるんじゃ」

市野が言う。

「クラスから厳選して選び抜いた選抜メンバーじゃ。時間が無いんじゃけ
すぐにやるぞ」

畑野は黙々とゴミを拾い始め、他の3人も固まってゆっくりとゴミをゴミ袋に
入れ始める。

「そげえに固まってやりょうったら、終わるもんも終わりゃあせんがな。
ここは武井1人に任して、市野と南原は下の駐車場をやって来い。
畑野は駐車場からここまでの道に落ちとるのを下から拾うて来てくれぇ」

何かブツブツ言っている市野と南原の後ろを畑野が付いて3人は下の
方へ降りて行った。

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2016/06/02 23:59
いい先生だなぁ。゚(゚´ω`゚)゚。



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