Nicotto Town


メルカッツ提督苺


私にとっての父親


正直頼りない存在でした。

晩年の話ですが。

小さい頃はよく怒られ、叩かれ、叱られました。

しかし、私がある人の家のガラスを割ってしまいひどくしょげてしまった時がありました。

そんな時は怒られるわけでもなく、説教されるわけでもなく

ただ、黙って一緒に謝りに行ってくれました。

私の自我が芽生えた時、はっきり言えば中学時代でしょう。

口論になることもありましたが、決して手を挙げることはありませんでした。

どちらが正論かという論戦でした。

父親が正しければ私が引くし、逆もまた然り。

そんな父親に一番こっぴどく怒られたのは、大学を留年した時でした。

しかし、まず私の言い分を聞いてくれました。

で、今後どうするかということになって

「下宿する。仕送りはいらない」

と私が言い切って実行に移し、無事卒業した折には

何も言わず卒業祝いを渡されました。

就職して、結婚し、「これで父親の面倒が見れる」と思った矢先に

私はうつ病になってしまい、離婚、逆にまた面倒をかける羽目になってしまいました。

でも不思議なもので、離婚するまで仕事に出れなかった私が、

親元に帰ってしばらくすると仕事につけるようになってしまいました。

父親とは相変わらず政治問題や社会問題で論戦しましたが、

決して頭から押さえつけるような真似はされませんでした。

晩年父親が人工透析にかかるようになった時、

私は先生に腎臓の移植をお願いしました。

私の腎臓を父親にです。

これには、父親は反対しました。先生からも止められました。

結局腎臓だけの問題ではないからです。

ならば心臓を・・・・と言った時、父親は初めて諭すような口ぶりで

やんわりと退けました。

以来入退院を繰り返す中、いつも夜食を手土産に見舞いに行きました。

他の兄弟は一切来ませんでした。

私は父親の匂いが好きでした。安らぐというかなんと言いますか。

母親に言わせれば煙草とコーヒーの匂いなんだそうですが、

違いましたねぇ。

透析の終わったある日、私が車椅子を押して家に帰る途中

「のど渇かない?」

と言って、喫茶店に入ったことがあります。

父いわく「こんな味、何十年振りだろう」と、じっくりと味わってくれました。

「二度と来れるなんて思わなかった」

と。

私が今一番欲しいもの。それは父親の匂いです。

それか、支えていると思えるものです。

母親はダメです。

私が社会あ保険労務士の勉強しているとき

父親は「受かるといいなぁ」ですが

母親は「身につくのかしら」ですから。

私の両親に対する忠節度の違いはここから来ます。

正直母親を放り出して1人暮らししたいです。でもできません。

母親の住むところが無くなりますから。

もっとも、私が自殺したら同じことで、ここに矛盾が生じるわけですが・・・・

本当に私が欲しいものは、父親の匂いか、

私が支えたいと思う人を支えて生活することなんでしょうか。

皆さんの先日来のコメントを見て、自己解析した結果です。

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2009/11/15 14:33
冷静にまとめることもできる亮ちゃんに感心します。
また、安心もします。
自分はまだ自分のことを客観的に語ることができないでいます。
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2009/11/14 19:12
お父さんは、息子さんに真剣に向かい合える人
だったんですね。
うらやましいです。

私の実両親もこれくらいまともだったら
こちらから関係を絶つことまではせずにすんだのにな、と思ってしまいます。
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2009/11/14 06:09
男と女で、父親、母親に対する思いも違うんでしょうねぇ…
て言うか、人に寄って、それぞれですかね…
私は、子供の頃の病気が原因で、両親に苦労と心配を、させっぱなしで…
どちらに対しても、感謝と恩返しをしてあげたいって気持ちを持ってますけど…
生きてる内に親孝行をって言葉を、よく耳にしますけど
現実は、日々の暮らしに流されて、なかなか…

とりあえず、親よりは、先に死ねないなって…
それくらいが、今の私の精一杯の親孝行ですかね…
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2009/11/13 19:34
一言で言うと・・・・うちの親父とはえらい違いです。
詳しく書くと怒りが湧いてくるので割愛しますが・・・・><




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