Nicotto Town


放牧日記(?)


スピーチ完了!!

スピーチ書き終わった!!

心の底にあるもの
 芸能人のスキャンダル、著名人の不祥事や不正行為、批判記事で溢れかえる週刊誌。人前で堂々と読むことは難儀だが、手に取る購読者がいることも、この社会では確固たる事実なのである。
 私はこの秋「SCOOP!」という映画を観た。おおまかなあらすじは、落ちぶれた凄腕パパラッチ・都城静が、ひょんなことからド新人記者・行川野火とコンビを組まされることになり、ケンカばかりの二人だったが、様々なスクープを撮影していく内に次第に仲を深め、徐々に出版部数を伸ばしていく・・・という話だ。私は劇中で野火が放った「マジ最低ですね、この仕事。」という言葉が、痛快なスクープを重ね、「マジ最高ですね!この仕事。」に変わった場面に引っ掛かりを感じた。人の心情が180度逆転するには大きな要因がある。私はここから見えてくる人の根本と自分のあり方について考えたいと思う。
 そもそもパパラッチとはどのような仕事なのだろうか。簡単にまとめると、有名人をつけまわし、彼らの表沙汰には出来ないプライベート写真を撮影して生計を立てるカメラマンのことだ。そんな彼らに写真を撮られた著名人は、世間の批判の的となり、叩かれるのを面白がる、掃いて捨てるほどいる傍観者が、次なる騒動を期待するという負のサイクルが、この社会の風潮である。つまり、パパラッチが儲かるということは、誰かの不幸とそれを喜ぶ人と紙一重なのだ。
 では、「人の不幸は蜜の味」とはどういうことなのだろうか。
 私達は、多かれ少なかれ、常に何か漠然とした不安を抱いている。そしてその不安も大小様々だろう。だが独りで抱え込みすぎては全てに絶望してしまう。前を向きたくて、何かに希望を見出したい。でも嫌なことには向き合いたくないとき、人は誰かを下に見る。他人のちょっとした欠点や性格など、何か少しでも目についたら、その人のことを否定する。相手の内面を知ろうともせず、表面的な判断をとるのは愚かだ。それでも飽き足らない人は「不幸」な人を狭い価値観から探そうとする。自分は幸せでありたいのに、他人の不幸を探し、自分に居場所を作る。まだ、自分は落ちぶれていない。この人よりは大丈夫。そう思いながら得る一時の安心は、やがてまた不安につながる。このように何者かに翻弄され、依存して生まれる幸福など儚いものだ。自分の欲は押し通したいのに、他人に対しては無情、といった相反する感情が同居しているのが、人間なのだ。とはいえ、欲望という感情にデメリットしかない訳でもない。一番になりたい!という感情がなければ競争心も沸かないし、将来の夢ややりたいことなどといった言葉は存在し得ない。欲望がなければ人間はただのロボットの集団になってしまう。だが、欲望のぶつかり合いが戦争というものであるのと同時に、欲望のない人はつまらないという。まさに人間とは矛盾の塊なのであり、「人の不幸は蜜の味」という言葉もそれ故に生まれたものだと思う。
 私はここまで考えてみて、人間の根本的性質を変えることは不可能だが、質の良い人間と質の悪い人間には違いがあると思った。私の考える質の悪い人間とは、目先のことしか考えていない中身のない人、質の良い人間は、視野が広くて可能性を伸ばせる人だ。私はどちらの人間なのだろうか。自分の中には二つの面があると思う。何でもかんでも表面的に見て面倒くさがってしまう自分。英語など好きなことにはすごく集中できる自分・・・。私は質の良い人間でありたい。変わりたい。理想に近づくには、自分の良い面、悪い面も知って受け止める必要がある。今の自分はこれまでの積み重ねの結果だ。後悔しても戻ることはできないし、目を背けるのも回り道に過ぎない。それでも、努力次第で人は変われる。常識や過去に流されず、良いと思う方向に自分を磨くことこそ、自らを高める一番の方法なのではないか。
 中学二年生というこの時期。まだまだ未完成な私達には、今見えているもの、これから見えてくるものもたくさんあるだろう。そんな私達の周りには興味の原石がいくらでも転がっているのだ。磨くのも放置するのも自分次第。自分の未来は自分で切り拓くものなのだ。だから私は、失敗しても、まだやり直せるこの時期こそ、様々なことに恐れず挑戦し、自分の地図を広げ、未来を輝くものにしていきたい。

I'm free!!!

あっ、、、中間だ、、、漢字テストも?!?!?!




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