Nicotto Town



出前の文化


...memo
2012年03月15日
出前の文化

 「店屋ものの出前」は、日本だけのシステムで、諸外国ではほとんど見られないそうだ。

 「店(みせ)屋」のものと書いて「てんや」と読ませるのは、どういうわけか…。こんな言葉も今ではあまり遣われないかもしれない。
 宿駅に併殺された飲食店でつくった料理が本来の意味だったが、飲食店から取り寄せる食べ物を言うようになった。転じて近世では「女郎」も「店屋物」と呼ばれたらしい。

 つまり、女郎屋にしけこんだ客が近くの蕎麦屋や寿司屋などから料理を取り寄せたからなのか、どうか…。
 昨今ではまず鰻重を出前で取るなんてことは、庶民には高嶺の花になったが、代わりにピザ屋とか総菜屋が繁盛しているようだ。

 また、出前専門の業者もあって、自分のところでは料理をつくらないで、出前の人を置けないが注文には応じたいレストランの料理を配達している。
 こうなると言葉も変わってきて、「デリバリー」とか「ケータリング」と呼ぶようになってきた。若い人に「出前」なんて言っても通じないのかもしれない。

 日本に特有この出前の商習慣が誕生したのは、日本がやはり身分制が緩やかだからだという考察を、増田悦佐氏の『クルマ社会・7つの大罪』で読んだ。

 出前は、韓国・朝鮮では考えられない商習慣なのだという。
 彼らの国では、「他人の家に出前を届けるということはその家より自分の家の階級が低いことを認めることだった」から、出前は誕生しなかった。
 と増田氏は言うが、Wikipediaによると、韓国でも古くからチャジャンミョンという麺の出前はあったと記してある。近頃ではやはりピザやフライドチキンの宅配ができてきたという。
 韓国の身分制も多少はゆるんできたのか?

 日本では、大衆的な飲食店なら、必然的に出前を頼まれることになる。出前をやらない大衆的料飲店は、ただ単に人手がないケースが多かろう。

 増田氏によると、ザイニチの人が日本で飲食店をやろうとしたら、出前は民族性からいって断るしかないので、店で生肉を切って出すだけで客に自分で焼いてもらえる「焼き肉屋」を興したのだそうだ。
 
 私はカネをもらっても韓国には旅行に行きたくないけれど、あちらでは焼き肉屋はポピュラーな飲食店ではないのだそうで、たまにあっても日本の焼き肉屋ほどおいしくないのだそうだ。

 日本では出前といえば、昨今はバイクで届けるようになった、元は自転車であった。蕎麦屋や寿司屋が、片手でハンドルを握り、肩に高々と何十人前の容器を担いで走ってみせるアクロバット的な出前もあったが、もう見られない。

 その自転車の活用法が、これまた日本では独特の発展を遂げた。その点ではアメリカと大きく違う。
  *    *

  アメリカでは行商に特化した商人は別にして、ふつうに店を構えた小売商や食べもの屋が、庶民の家庭に御用聞き行って注文の品を配達したり、出前を届けたり という商習慣はまったくなかったが、日本ではしっかり定着していたということだ。もちろん、大金持ちの家には世界中どこでも商店からの配達やケータリング もあったが。そして、日本の小売商や食べもの屋にとって、自転車で行動半径が2倍とか3倍に広がるということは、潜在顧客が4倍から9倍に拡大するわけだ から、意欲的な小売商、食べもの屋は一斉に配達の道具としての自転車に飛びついた。

  *    *
 というわけである。
 増田氏は、アメリカでは自転車が発明されると、ただちに高等教育を受けた階層に属していた若い男女の娯楽の道具と見なされたが、日本では最初から業務用として注目され普及したのだと説いている。
 自転車ばかりか、クルマも同様の目的の相違があったということだった。

 従って、アメリカでは自転車もクルマも、階級社会をより固める役割を推し進めてしまったのに対し、日本は厳しい階級差別がなかったがゆえに、自転車にしろクルマにしろ、健全な大衆社会の発展に寄与することとなったのである。



心に青雲
2012年03月15日
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/257776885.html
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心に青雲
2012年04月27日
タイトル変更
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/267219858.html
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