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2012年以降の暦が描かれた最古のマヤカレンダ…


...memo、抜粋。

2012年以降の暦が描かれた最古のマヤカレンダーが発見される

Maya calendar workshop documents time beyond 2012
msnbc (米国) 2012.05.11

2012年を越えて描かれていたマヤカレンダーの内容

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▲ 1200年前のマヤの壁画の記録を発見し、サイエンスに発表したボストン大学の考古学者ウィリアム・サターノ( William Saturno )博士。


最新のナショナル・ジオグラフィックと科学誌サイエンスで発表される研究発表の内容は、考古学者たちによる驚くべき発見とその研究結果だ。

それは、長い間、論争の中心となっていた話題のひとつである「マヤカレンダーに記述されている終末」と主張する意見も多かった「2012年の黙示録の時期」を遙かに越えた未来まで記述されていたマヤ文明の長期カレンダーの存在だった。

2012年終末説の根拠となってきたのは、マヤ文明での長期暦で使われる「バクトゥン」という 144,000日を表す長期暦の単位があり、その単位の13(13バクトゥン)の終わりの日が 2012年12月だということであった。

しかし、今回、ボストン大学の研究チームが発見した壁画の記述では、マヤカレンダーは 13バクトゥンでは終わっていなかったのだ。

マヤの記号の解読の専門家であるテキサス大学の考古学者ディビッド・スチュアート博士はこのように言う。

「今回発見されたマヤカレンダーには 13バクトゥンの後に、14バクトゥン、15バクトゥン、そして、16バクトゥンと・・・つまり、マヤカレンダーは 13バクトゥン(2012年)の先に向かって果てしなく続いているのです。それは、億年、兆年、あるいは、1000年の9乗といったような桁の未来にまで続いているもののようなのです」。


今回の発掘と調査は、米国ボストン大学のウィリアム・サターノ博士が率いたもので、グアテマラのペテン地区にあるシュルトゥン( Xultun )遺跡の地下にある6×6フィート(1.8×1.8メートル)の部屋だ。以前、ここの発掘に携わった学生が、この場所に、略奪によって掘られた溝から突出していた保持壁の存在に気づいたことによる。

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考古学者たちの調査によりそこに 西暦 800年頃のものと思われる古代マヤ文明の豪華に綾取られた部屋を見つけたのだ。

その部屋の隙間の空間のひとつには、青い羽根飾りを身につけて、白い杖を持った、おそらくマヤの王であった兄弟が描かれていた。


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▲ 右に描かれているのがマヤの王。中央の人物は、王の前にひざまづいている思われる人物。これらは、マヤの以前の遺跡では見たことのなないアートワークだ。左の図は、黒曜石で黒く描かれている人物。この黒い人物は「黒曜石の兄」と名付けられた。


以下は、すべて壁画をレンダリングにより再現したもの。


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▲ マヤの王。青い羽根の精巧に作られた頭飾りをつけている。



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▲ 王の前にひざまづいている思われる人物



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▲ 3人の黒い男性。白いふんどしと、首飾り、そして一枚羽の頭の羽飾りをつけている。


そして、もうひとつの壁画には、数と象形文字(ヒエログリフ)が描かれていた。

スチュワート博士は、「これらは時間の間隔を表しています」と言う。

「日付けだけではなく、マヤ独特の時間経過の表記です。数のセットのそれぞれが 177日、あるいは178年の大陰暦周期を意味していると思われます。これはマヤの聖職者(天文学者)が、月の年齢を理解する計算システムであったと私たちは考えています」。


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▲ この壁画の計算は、金星、水星、そして火星の順行に関係するものだと研究者は報告している。


サターノ博士は、

「我々は、このシュルトゥン遺跡で残るすべての部分を今後調査していくつもりです。多分、明日も明後日も、そして数十年後も、この遺跡の調査と解明に取り組んでいるかもしれません」

と述べた。



In Deep
2012年05月11日
http://oka-jp.seesaa.net/article/269534156.html

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