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成績アップは中枢神経刺激薬…


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【日本版コラム】成績アップは中枢神経刺激薬―米国の小学生を襲う薬社会の実態
ジェンキンス沙智の米国ワーキングマザー当世事情

 米国に住んでいると、この国は究極の「薬社会」だと思うことが多々ある。メディアには医薬品の広告が溢れ、薬局やスーパーの店頭には様々な薬が何列もの棚にズラリと並んでいる。

 容易に手に入る医薬品が氾濫しているだけでなく、ビタミンやプロテインなどのサプリメントや、エネルギードリンクを摂取している人も非常に多い。さらに、合法の医薬品もさることながら、違法薬物の使用でさえも小学生の頃から「手を出してはいけない」と教育されなければならないほど問題が浸透している。

 しかし最近、米国の「薬依存度」の高さをもってしても、驚愕してしまう話を聞いた。それは、子供の成績を上げる目的で、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療に使われる「アデロール」や「リタリン」といった中枢神経刺激薬を、ADHDをもたない子供にまで投与する親や医師が増えているというのだ。

 これらの薬は集中力を高め、注意力を持続させる効果がある。学習に集中でき、テストの成績は上がるかもしれないが、食欲減退、高血圧、心臓発作、脳卒中などの重篤な副作用があるだけでなく、依存・中毒性も極めて高い。

 日本では、アデロール、リタリンともにADHDの治療薬として承認されておらず、アデロールについては覚せい剤に相当すると厚生労働省が明示している(ただし、リタリンと同成分を含む「コンサータ」はADHD治療薬として承認されている)。

 この問題を特集したニューヨーク・タイムズの記事によると、神経刺激薬の使用は低所得層の子供を中心に広がっている傾向が見られるという。記事では、ジョージア州の小児科医、マイケル・アンダーソン氏が、偽りの診断をして向精神薬を処方する理由について、「子供を取り巻く環境を直すには費用がかかりすぎるため、子供自身を適応させなければいけない状況を社会が作り出している」と説明する。

 10歳前後の4人の子供全員に向精神薬を飲ませているとして記事で紹介された父親は、「子供達が前向きで、幸せで、社会生活をうまく送れており、薬がその手助けをしているのなら、なぜ服用させないのか」というスタンスだ。しかも、そのうち11歳の子は、5年前からアデロールを飲み始めたところ、1年ほど前から幻覚症状が出始め、学校で問題を起こしたり、自暴自棄になったりしたにもかかわらず、投薬を中止するのではなく、薬の種類を変えて服用を続けさせているという。

 小児精神科医でハーバード大学医学大学院助教のナンシー・ラパポート博士は、本コラムの取材に対して、医師や親の立場からすると「すぐに結果が出るものが目の前にあるというのは魅力的に感じられるかもしれない」としながらも、例えば何らかのトラウマのために集中力が欠如している子供に薬を飲ませても、「根本的な問題を治すことにはならない」と話す。

 マサチューセッツ州ケンブリッジの公立学校顧問も務めるラパポート氏は、薬の投与が問題の解決に至らないことが 「その場しのぎの対策として薬が使われる悲劇で、実際にはその子の問題を悪化させることもある」と警鐘を鳴らす。

 もちろん、この問題を「良くない傾向」として片付けるのは簡単だ。しかし、この背景には米国の社会経済的問題が複雑に絡んでおり、容易に解決できるものではないように思われる。

 特に事態を難しくしているのは、拡大を続ける所得格差だろう。米国の公立学校は固定資産税が主な運営財源で、学区内住民の所得水準によって学校の「質」に大きな差がある。米国立教育統計センター(NCES)が先月発表した2010年度のデータでは、生徒1人当たりの教育費が最も高い州と低い州では、3倍近い違いがあることが示された。

 さらに、裕福な家庭の子供は、通っている学校の教育水準が高い傾向があるだけでなく、家庭教師を雇って成績を上げたり、精神科医にかかって心の問題を取り除いたりすることもできるが、低所得層の子供は薬以外の「選択肢が少ない」と前出のアンダーソン医師はニューヨーク・タイムズの記事で語っている。

 ミズーリ州セントルイスのワシントン大学で小児精神衛生を研究するラメシュ・ラガヴァン博士は、授業についていけない、学習上の困難を有するなどの問題が見られる場合、安易に薬に頼るのではなく、様々な分析を通して子供が抱える本質的な問題を突き止めて解決すべきと主張する。

 ただ、それを実現するには「学校に十分な投資がされていない」状態で、特に低所得世帯が多い地域の学校は、「教科書やホワイトボード、モニターなどを確保するにも苦労しているのに、まして生徒が実際に罹患しているのが学習障害なのかADHDなのか、また、小児精神科医にかからせるべきか教室内での指導法を変えればいいのかなどを見極めるためのリソースはない」という。

 米国では今、年明けに減税失効と歳出の強制削減開始が重なる「財政の崖」が懸念されているが、与野党が年末までに妥協案に合意できなければ、歳出削減の一環として教育予算も約8%カットされることになる。公立学校の財源に占める連邦教育予算の割合は比較的小さいものの、こうした資金はクラスの小規模化、課外補習、障害児童向けプログラムなどを支援するために支給されており、金融危機の煽りですでに様々な経費削減を余儀なくされている学校にとって厳しい痛手となることは確かだ。

 これまでも、米国の大学生の間で成績アップのために中枢神経刺激薬を使う動きがあるとは聞いたことがあった。しかし、病気を発症していないにもかかわらず、生活態度が悪いから、成績が芳しくないからという理由だけで、身体・精神ともに発達過程にある子供を薬でどうにかしようという考えはあまりにも短絡的ではないだろうか。

 実際に発達障害をもつ子供にとって、向精神薬は有効性が高いと言われる。しかしそれ以外の場合は、社会経済的に不利な立場にあったとしても、子供と向き合う時間を少しでも多く持ち、話を聞いたり勉強を手伝ったりする方が、子供の心の平穏、ひいては学習力の改善につながる対処法として優れている気がしてならない。


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ジェンキンス沙智(さち) フリージャーナリスト・翻訳家

 愛知県豊田市出身。テキサス大学オースティン校でジャーナリズム学士号を取得。在学中に英紙インディペンデント、米CBSニュース/マーケットウォッチ、 米紙オースティン・アメリカン・ステーツマンでインターンシップを経験。卒業後はロイター通信(現トムソン・ロイター)に入社。東京支局でテクノロジー、通信、航空、食品、小売業界などを中心に企業ニュースを担当した。2010年に退職し、アメリカ人の夫と2人の子供とともに渡米。現在はテキサス州オースティン近郊でフリージャーナリスト兼翻訳家として活動している。


2012年 12月 7日  18:22 JST
http://jp.wsj.com/US/node_560202





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