Nicotto Town



躍動する60兆の細胞たち 1/4


...memo

1. 少食は命に対する謝恩行為

今から100年ほど前の明治時代、現在の山形県鶴岡市にすごい超能力者がいました。女性でした。
女性の名は長南年恵ちょうなんとしえといい、食べ物をほとんど口にしないにもかかわらず、ふつうの人間の何倍、いや何十倍もの身体能力を有し、それを人々のために役立てた人物です。

超能力者は古今東西、世界のあちこちで出現していますが、長南さんの場合、ただ人を驚かすだけのショーまがいの奇跡ではなく、病気や窮地のどん底で苦しむ人を土壇場で救わなければならないとき、懸命に神仏に祈祷・祈願して起こした奇跡だったことから、並みの超能力者ではありません。その存在は、まさに釈迦やキリストに匹敵するものではないでしょうか。

日常の生活では、ご自分が持っているものを人が欲しいといえば何でも惜しげもなくあげたり、よろず相談で問題を解決してあげるなど、とにかく人々を幸せにすることだけに生きられたのです。当然我欲や執着心などまったくなく、通称「極楽娘—年恵観音」と呼ばれていました。底抜けに明るい性格と無垢な心で、容姿はいつも童女そのものだったそうです。

さてその長南さんの最大の奇跡は、「神水」と呼ばれる不思議な水で、さまざまな病気で苦しむ人々を救ったことでしょう。患者がそれぞれ持ち寄った空き瓶に、祈りによって神水を満たし、それを飲んだ患者の病気が治ったわけですが、病気の種類によって違った色の水が出現するなど、数十人の患者が一つの部屋でじかに目撃し、実体験したことを示す記録が残されています。

この長南さんの奇跡がトリックやウソではなかったことは、当時の神戸地方裁判所の判事が証言しており、疑いようがありません。その凄まじい超能力(?)に唖然とするばかりですが、先ごろテレビでも、超能力者としての長南さんを特集する番組がありましたので、ご覧になられた方もいらっしゃるでしょう。

しかしここでは長南さんの超能力より、むしろ長南さんがほとんどものを食べなかったということに注目したいと思います。
これにかんしては鶴岡市役所が所有、保管する「長南年恵刀自集」という文献、および当時の毎日新聞が長南さんのご家族のかたに取材した記録などから、次のことがわかっています。

子供のころからたびたび霊媒能力を見せ、ごくたまに少量の生のサツマイモをかじる以外、口にするのは生水だけだった。二十歳のとき、お湯を飲んだら吐血したのを最後に、以降十四年間は生水以外まったく食べ物を口にしていない。生理、大小便はなく、風呂にも入らず、それでいて髪の毛や皮膚も艶やかで、全身からなんともいえない芳香がただよっていた。

長南さんの超能力がものを食べないこととなんらかの関係があるのか、よくわかりません。しかしもっと現実的な問題として、ものを食べなければ栄養不足となり、生体を維持できなくなる、つまり短時日で死に至るのではないかという、当然すぎる疑問があります。

じつは私自身もこの点の理解に苦しみ、正直なところ長南さんの存在じたい怪しく思ったものでした。ところが、絶食や少食といった常識的には命を脅かす行為をみずから実践し、なんとそれを臨床医療に取り入れている医師がいることを知って、考えを変える必要があると思うようになりました。

その医師とは大阪府八尾市にある甲田医院の院長、甲田博士という医学者兼臨床医です。この章では甲田先生のご著書を参考に、その半世紀に及ぶ貴重な業績と研究データをご紹介させていただきます。

その前に、甲田先生が医学の理念として日ごろ強調されているのが、「命を大切にする」ということです。それは自分や他人の命を大切にすることはもちろん、人間以外の動物や植物の命も大切にする意味もこめられています。

一見ありふれたことのようですが、甲田先生は「現代人の病気は、人間は“動物や植物の尊い命をいただいて生かされているのだ”、という自覚のなさが原因である」と明言されています。

「少食が健康の原点」というご著書で、これをもっと具体的に次のように述べておられます。

「・・・したがって、一粒の米、一枚の葉っぱといえども、天から与えられた大切な命として感謝合掌していただき、けっしてこれを無駄にしないという考えで食事をすることが、健康法のもっとも大切な基本となってくるわけです。

すなわちこれが少食の思想ですが、ようするに“できるだけ殺生をしない”という愛と慈悲の具体的表現なのです。しかも愛と慈悲の行為である少食が、じつはまた健康法の秘訣となってくるところに、偉大なる神の配慮を感じとることができるのです」

この甲田先生のお言葉は、半世紀ものあいだ断食療法を中心とするさまざまな健康法を実践・指導されてきた、いわばその結論として述べられており、私にはたんなる精神論や抽象論ではない迫力が感じられますが、皆さんはいかがでしょうか?

先生ご自身も、その長い経験でわかったことは、少食が守られず過食を続けている限り、ほかにどのような健康法を実行し、一時的に健康になるように見えても、結局は病に倒れ、長寿を全うすることはできないと述べておられます。

また少食を無理なく実行できるよう、貴重なアドバイスもされていますので、その部分を次にご紹介します。

食事をするということは、動物・植物の「命」を天(神)からいただくということです。動物・植物も、できればこの世でより長く生きたいという本能を全うしたいところですが、その命をいま、私たちに捧げてくれるのです。

本来は私たちと同じ命を、私たちのために捧げてくれた動物・植物にたいして、深い感謝の気持ちを表すのが食事にさいして行なうお祈りです。

これからいただくこの命は、また六時間後には私たちの命に変わっているのです。

してみると、犠牲になってくれた動物・植物の命が成仏できるように、私たちの命をよりよく生かせるような生き方を、私たちはしなくてはなりますまい。それゆえ、ここでまた私たちは、「自分の天命が全うされますように」という神へのお祈りが必要になってくると思うのですが、いかがでしょうか。

私のところへ十年近くきておられるある患者さんですが、長いあいだ大食・夜食の悪癖がつづいておりました。

この悪い癖を直し、正しい少食が守られるよういろいろと努力してこられたのですが、なかなか簡単には成功しません。何回となく失敗し、自信を失っておられたのです。

そこで最後に、自分の食べるものを一度全部神様にお供えし、それからいただくということにされたのです。したがって、神様にお供えしないものは一切食べないということにされたわけです。これが見事に成功し、以後は食事が乱れず、模範的な少食実行者になっておられます。

このように、少食で成功するためには、どうしても宗教と一体になることが必要だと最近痛感しているのであります。曹洞宗で有名な永平寺でも、雲水さんたちが皆、食事のさいに「五観の偈ごかんのげ」を唱えておられますが、私たちもこの五観の偈ごかんのげを家族そろって唱え、合唱してから食事をいただくようにされるといいでしょう。



...以下、本文 ↓

アバター
2013/10/07 19:55


五観の偈

1. 一つには功の多少を計り、彼の来処を量はかる
(これからいただく食事が、このお膳に載せられるまでに、どれだけ大勢の人たちの手を経てきたかということを考え、その人たちの労苦に対し心から感謝する。さらに、これらの食物を育んでくれた日光・空気・土・水などの自然の恩恵にも感謝する)

2. 二つには己が徳行の全欠を忖はかって供に応ず
(この食物をいただく自分は、どれだけ人のお役に立つようなことをしてきたか、果たして本当に、この食物をお受けする資格があるだろうかと、よく反省をする)

3. 三つには心を防ぎ過を離るるは貪欲を宗とす
(私たちは食事にさいし、ついより好みし、おいしいものはもっとほしいと貪り心を起こし、味ないものには愚痴をいったり、腹を立てたりする。この貪瞋痴どんじんちの三毒で、ついに地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちてしまうのであることをよく反省する)

4. 四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり
(これからいただく食事は、飢えや渇きをいやし、肉体が枯死しないための良薬として考えればいい。そうすれば貪りの心や愚痴、瞋いかりの心も起こるはずがない)

5. 五つには成道の為の故に、今此の食を受く
(私たちが食事をいただく最終の目的は、成道せんがためである。即ちまことの道を成し遂げるために、食事をいただくのであって、決して食わんがためではないのである)



2009/04/01
http://www12.plala.or.jp/kusuri/page10-1.html
...




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.